Tokyo Cantat 2023で思ったシンガポールの合唱
こんにちは。日本ではバラが見頃を迎えていますね。散歩をしていると、そこここできれいなバラを見かけて、うれしくなります。
GWはいかがお過ごしだったでしょうか。東京近郊で合唱をやっている人にとっては、毎年GWの過ごし方といえば、合唱のコンサートや講習会等が凝縮されたイベントTokyo Cantatではないでしょうか?
シンガポールに引っ越す前は、私も出演者として参加していました。今年は縁あって一時帰国していて、客席からじっくり演奏を聴くことができました。
今回は、5/4(木・祝)に行われたTokyo Cantat 2023のコンサート、「やまと うたの血脈Ⅻ 地球へのバラード~傷みの泉から祈りの声を~」を聴いて、シンガポールの合唱について思ったことをお伝えします。
このコンサートは、三善晃合唱作品展。今年は作曲家 三善晃の逝去から10年にあたり、2台ピアノや児童合唱から構成される大曲、難曲、名曲が並びます。
ここでは細かく書きませんが、音楽評論家であり今回監修をしている丘山万里子さんの解説、演奏される曲の内容の密度、演奏のレベルの高さ、現代に照らした強いメッセージ性、演出、大勢が集まった客席の静かな熱量、どれをとってもすてきな演奏会でした。帰国していてほんとうによかった。
三善晃合唱作品の演奏についてはここまでにして、この演奏を聴いて思ったのは、シンガポールの合唱との対比です。
まず、とても個人的なことですが、日本語曲、日本ならではの情景や人々の人生を歌った曲は、常夏のシンガポールにしばらく住み、ちょっと疲れ気味だった私に、とてもとても染み入りました。繊細な情緒や懐かしさ、人の温かみみたいなものが染み渡るのを感じました。シンガポールは緑があふれ、自然と共存する美しい都市で、シンガポールの人びともとても親切であたたかいです。でも、四季があり、歴史も異なる日本のそれとは、趣が違います。日本で生まれ育った私には、最近これが足りなかったんだ、と、日本語の響きや演奏から思い浮かぶ風景を味わいました。
そして、たまたま最近思っていたことは、日本語って美しいんだな、独自のよさがあるんだなということです。
最近、三善先生と丘山さんの共著「波のあわいに」を読み、
という箇所があり、ハッとしました。
シンガポールでも地元の合唱団に入り、約1年が経ちました。歌うのは、もちろんルネサンス曲もありますが、各国・地域の民謡の合唱曲や、シンガポールや外国の現代作曲家の曲。
はじめ、私の目には多文化・多言語の選曲がとても新鮮に映りました。こんな曲があるんだ、こんな言語も歌うんだ、と興味津々。でも、逆に言うと、日本の合唱団があたりまえに日本語曲を歌うような、統一された言語やアイデンティティが、あるようでないことに最近気付きました。
多民族国家であり、多言語国家であるシンガポールはそれはそれで豊かな文化だけれど、いろんな国(日本を含む)から侵略されてきた歴史も相まって、ちょっとさみしさや悲しさも感じます。モザイクのように様々な文化や民族が入り組んでいるからこそ、それぞれの母語で表現することがとても大切だからこそ、民謡の合唱曲が多く取り上げられるのかもしれません。
歴史的にシンガポールほど他の国や地域の文化の影響を受けなかった日本が、他の国との共通言語を持たず(英語は義務教育だけれど)、各分野で「ガラパコス」と呼ばれる現状もまた、ちょっとさみしく残念なことかもしれませんね。
Tokyo Cantatを聴いて、また歌いたくなりました。日本でできることを満喫しながら、シンガポールに帰ったら、またシンガポールならではの合唱に打ち込みたいと思います。
おまけ
日本では、日本でしか食べられないスイーツも楽しんでいます!