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莊子:古代中国の実存主義 (福永光司)

福永光司
中央公論社1964

数ヶ月の間、魯迅に掛かりっきりだったぼくは、そこからどのテーマに飛ぼうかと構想を練っていた。限りない可能性を持つ魯迅のことゆえ、候補がいくらでもあった。同時代のほかの作家か、日本人作家が観察した魯迅または近代中国か、ぼくが魯迅を通して読んだ「人間そのもの」を思考する別の作品か。どれも面白く、多分いずれ扱うことになるが、ふとこれまでこのブログで取り上げた本を振り返ると、どうも近代以降のものばかりだということに気がついた。しかし、中国を理解する場合、近代以降しか読まないというのは、非常に危険な判断だ。膨大な量の思想、文学、史学の古典を持つ中国において、後世の人は常に古典の祖述によって自身の思いを表現してきた。朱熹のエッセンスが彼が書いた四書の注釈にこそあり、王陽明の核心が先秦から宋代の儒者が使った用語への批評に表れるように。そして、古典を祖述した言説や著書もいつの間にか古典となり、さらなる後世の祖述を待つことになる。たとえば古典になりつつある魯迅は、すでに中国共産党を含む各勢力によって祖述される側となった。後世の人が常に正しく理解できているわけではない。故意にまたは思いが強すぎて古典を歪曲してしまうことがままあるのだ。だからこそ、古典の意味を正しくつかみ、後世の人がどこで間違えたのか、なぜ間違いを犯したのかを思考することが重要だ。そうした特徴を持つ中国に言説に対し、「古典によって掣肘されている」と攻撃することもできよう。しかし、そうした現実がすでに出来上がっている以上、中国の古代を知らなければ近現代を真に知ることができないのも事実である。それに、ぼくが大学院で出席したゼミの半分以上は古典を読んでいた。そろそろ慣れ親しんだものに戻ってみたいと思うのも、自然であった。

と、だいたいこんな考えで、魯迅から繋がりそうな古典を探していたら、今回の本に出会った。日本の道教研究の第一人者だった福永光司なら、読んでおいて損はないはず。それに「実存主義」という副題も今の関心事とぴったりだ。さて、どんなことが書いてあるのか。ぼくは逸る気持ちを抑えながら、最初のページを開き、そして驚いた。

人間は誰でも自由でありたいと願う。人間が誰でも自由でありたいと願うのは、人間が現実に不自由だからである。

この警句から始まる序説は、荘子の生涯を振り返るのではなく、人間学に注力してきた中国思想の特徴にも触れない。実存主義とされる西洋の哲学者の名前が数人出てくるが、その学説を解説してもいない。ただ延々と、冗長なほどに人間の不自由さと不条理さを喝破し、荘子を含む哲学者たちがその不自由さに気づいたために思考を続けてきたと指摘する。福永が問題にする「実存主義」は、荘子と西洋哲学の論点を比較し、類似性を指摘し「ほら中国古代にもこんなのがあった」と満足する程度の低いものではない(残念ながら中国の大半の学者はこの程度で満足してしまっている)。学術研究の対象として以上に、人生を思考する手立てとして荘子と実存主義を読んでいることを、福永は強調するのである。たとえば彼はこう言っている。

人間が古代専制社会においても近代市民社会においてもひとしく「ただひとり死んでゆく」存在であったように、人間の精神がまたあらゆる時間的空間的限定を超えてなお何らかの共通した構造もつものであるとするならば、初めから神を持たない人間の自由を追究した荘子の哲学は、これからの人類の生き方に関しても多くのものを示唆しうるであろう。

このような論の進め方は、ぼくからすれば意外だった。京大人文研の所長を勤めたこともある学界の重鎮である福永光司なら、日本の学者がおしなべてそうしているように、「史料」「原典」「先行研究」を踏まえた緻密な議論を展開するものだと思いこんでいたからだ。荘子を研究する著作なら、荘子という巨大な恒星を中心に、数多ある注釈者と研究者を惑星の如く登場させ、福永自身も惑星の一つとして、自分が観測した恒星の一斑を読者に伝える。それがぼくの熟知したやり方だった。しかし、この本はどうだ、荘子と福永光司しか登場しない。いや、それどころか、ときに福永は自分を莊子と同化させるのだ。たとえば第二章の冒頭部はこうだ。

よく晴れた日の蒙沢は木々の緑も美しく、梢にさえずる鳥の声も賑やかである。青く澄んだ空に流れる白雲は、木の間がくれの沼の水面に明るい影を落とし、灌木の間を縫って沼に注ぐ小川のうねりには、ところどころ、せせらぎが微かな音を立てている。
荘子は時おり、その小川にそってそぞろ歩きを楽しみながら、水に戯れる鯈魚ゆうぎょのすばやい姿に足を止め、川底を濁す泥鰌のひょうきんな動きに目をみはる。小川の流れは彼の歩みを蒙沢の林の繁みに導き、繁みを出はずれたところに沼の水畔があった。荘子はその畔の苔むした石に腰を下ろして、梢にさえずる鳥の声に耳を傾け、空に流れる白雲を仰ぎ見る。

荘子が魚を眺める話は、書物の『荘子』に確かに出てくる。しかし前後の風景描写と荘子の歩く姿などは、明らかに福永の想像の産物だ。それでも、妄想だと排撃されるのを憚ることなく、福永はすべての章や節で同じような手法を駆使し、読者を執拗に自分が想像した荘子の世界へといざなう。さらに大胆なことに、福永はときに歴史書を紐解き、血で血を洗う権力闘争を冷徹に叙述した後、荘子がこうした出来事を聞いて落胆し、人間の卑屈と卑劣さに悲嘆する姿を描く。荘子が悲嘆したという根拠がどこにもないにもかかわらず、だ。だから福永が書いたのは、史料調査を通して得られた事実ではなく、彼自身が荘子と命がけの対話を繰り返した結果、ついて自分自身のなかに荘子を取り込み、荘子の目を獲得した後に眺め直した自分を取り巻く世界の姿である。

ぼくは「命がけの対話」と書いた。事情を知らなければ、言い過ぎと思われるかもしれない。しかし福永光司は間違いなく命をかけ、幾度も死を覚悟したはずだ。彼は言う。

その小心な私が、祖国の名によって与えられた「死」を目前にして、恐れ怯みとまどう青年時代を過ごすことになったのも、まことに皮肉なめぐり合わせであった。自分の体にカーキ色の軍服を見いだしたときから、私は好むと好まざるとにかかわらず、この世から消えゆく心づもりをしなければならなかった。大陸の戦場での恐怖と戦慄に青ざめた数年間の生活がそれに引き続いた。『荘子』はこの時期の私にとって最も身近な存在であった。私の『荘子』に対する理解は、このような精神状況の中で培われたのである。

福永光司は、召集された際に『荘子』を行嚢に突っ込ませ、戦闘の休息時にそれを読んでいた。読書していないときは、荘子の末裔を殺し、または戦友が荘子の末裔に殺される日々を凝視する。人間の生がかくももろく、無価値になる極限状態。文字通り存在そのものを消される戦場。それを経験した福永は、自身の実存をかけて、荘子と対話を繰り返した。その結果、彼は荘子をなによりも中国の戦国時代に生き、自分と同じ様に日々死と混乱を眺めた人物として内面に取り込んだ。だから第一章のタイトルは、まさしく福永のこの世に対するダイレクトな感想を代弁しているーー「痛ましいかな現実」。

その現実は、天から降ってきた災厄ではない。他ならぬ人間が現実を一手に作り出し、自分自身を苦しめ続けるのである。だから福永は第二章、第三章で続けて断言する、「危うい人間」「惑える人々」と。これらの章で彼は『荘子』のエピソードを引用し、人間の愚かさと危うさを荘子が凝視していたこと、人間社会の軋みと歪みを荘子が鋭く醒覚したこと、そして人間の歴史の悲劇と虚無に荘子がしめやかな諦念を持っていたことを伝えようとする。ここまでは、この世の現状に心痛む良識ある人なら、誰もが一度はたどる思索の道筋だ。そしてほとんどの人はここでさらに思索することを諦め、現実を心ならずも受け入れるか、物的または精神的な自己麻痺をして一生を過ごすことなる。しかし、荘子はそうではないと、福永光司は考えた。

荘子は何をしたのか。第四章のタイトル、「真実在の世界」に、すなわち「道」の世界に荘子はたどり着いたと福永は言う。

「道は在らざるところなし」ーー真実在の世界は至るところに顕現しているから、一切万物はそれぞれに「理」ーー真理性をやどしている。人間は人間としての理を、鳥獣は鳥獣としての理を、草木は草木としての理を。ただ人間の人間としてのあり方と鳥獣草木のそれとが異なっているだけである。

福永が序説で述べたように、荘子は初めから神を構想していない。だから万物に宿る「理」は、現世を超えたところにあるなにかによって与えられたのではなく、万物がそれぞれ自分自身の内部に予め持つものである。その理に沿って万物は「自生自化」してゆくのみであり、人間もまた同様である。そのことに目覚めたとき、人間は己の存在の限りなき小ささと知力のこの上なき狭さを自覚すると福永は言う。

人間はこのような至大の世界の中で、おのずからにして生じ、おのずからにして化する万物の一つとして己の限られた人生を生きてゆく。彼は理由も知らされず、もしくは、理由を知ることも出来ずに、この世界に投げ出される。彼は己の生きていることを唯一の理由として、自らの人生を受け取り、かつ生きてゆく。生きてゆくことだけが彼の決意であり、生きてゆくことだけに彼は責任を持てばよい。

このような境地に至った人間は、第五章のタイトルが示すように、「自由なる人間」となる。「生きてゆくことだけ」とは、責任を放棄し日々物欲に浸るだけを意味するのではない。そうではなく、後天的に付与された、したがって自分の足枷となっている貴賤、賢愚、栄辱などの価値付けが必ずしも絶対的なものではなく、自己の存在はこれらの一面的な価値を超えたいっそう根源的な理に支えられていることを知ることである。それはまた、付与された価値をただ黙々と受け入れ、他人に好きなように色付けされる主体のない人間でもない。むしろその逆で、外物への執着がないがゆえに、あるがままに振る舞わうことができるのだ。

あるがままに振る舞うことのできる人間だけが、動揺し崩れることのない自己の主体性を持つ。

このような流れで、福永は悲惨な現実から出発し、『荘子』の原文をたどりながら、ついに現実から逃避するのではなく、逆に現実に強靭な主体性で立ち向かう荘子の姿を浮かび上がらせた。それはまた荘子を読む福永自身の姿であり、この数ヶ月読んできた魯迅の姿であろう。荘子、魯迅、福永光司を読んでいる今のぼくだって、彼らが到達した地平を目指したい、しかし、これらの偉大なる先哲が到達した姿は、我ら凡人の手が届くものなのだろうか。神がなく、外物によって付与される規範もない。あるのは「投げ出された」存在としての自分だけ。その状態で、外物に執着せずに主体性を持てというのである。そんな境地を支える精神とは、一体どのようなものか、ぼくにはとても想像できないのである。むしろ執着を排除するのではなく、執着そのものをも人間存在の根本的な「理」の一つとして考えなければ、大衆に手の届く議論を打ち立てることができないのではないだろうか。

ということで、福永光司の荘子はこのあたりにして、一気に1800年飛び越して、明末に行くことにしよう。

(本文は以上、以下補足)

学術的な観点から言えば、本書には指摘すべき点がいくつもある。まず、福永の引用は完全に『荘子』の構成を無視しており、原作者が同様な流れで議論を展開したわけでは全くない。また、引用文の選択が恣意的であり、『荘子』が帝王学の側面を持つことが読者に伝わらない。たとえば、漢代の歴史書『漢書』には「芸文志」という図書記録の一章があり、そこでは『荘子』のことを「君主が統治する術を説く」と位置づける。そして、おそらく最も批判されるのが、書物『荘子』の信憑性を全く問題にしなかったことであろう。福永はそのことを十分自覚しており、あとがきで次のように説明する。

これらの内容のうち、どれだけが荘周[荘子の名]の直接書いたことであり、どの部分が荘周本来の思想を忠実に伝えているかという問題になると、その判定をめぐって学者の議論はなかなかにかまびすしい。
(中略)
たとい後次的加筆であり竄入であろうとも、そしてまた、それらの叙述の間にたとえ思想としての本末軽重があろうとも、『荘子』全篇の内容は『荘子』全篇の内容として一つのまとまった思考を表現し、共通した性格を持つ。それらは万物斉同の哲学の思想的な底辺をなし、荘子的思考を培う精神的な風土を形成しているのである。

この説明で十分だとは思わない。だが、本書の価値は『荘子』をどう読むべきかよりも、「福永光司が荘子とどう対話し、どんな結論に至ったか」にある。その意味で言えば、間違いなく名著であり、ぼくをこの本に導いてくれた魯迅と、日本の優れた公共図書館システムに感謝する。

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