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異国から異国へ(日本語クラス(6)、努力家)
努力家
中国の大学受験制度は、誠に複雑怪奇である。ぼくが高校卒業予定の年、河南省の高考(センター試験に相当)は国語、数学、外国語の主要3教科がそれぞれ150点満点、残りの物理、化学、地理、生物、歴史、政治6科目は、300点満点一回キリのテストにまとめられ、その名も「大総合」という。しかも、次の年から試験の制度が変わることがすでに決まっており、「大総合」の代わりに「文系総合」と「理系総合」のどちらかを選ぶことになっている。専門性が上がる分、難易度も高くなるため、今年の受験に失敗すれば、来年はさらなる地獄が待っているというのが、全員の認識だった。
だから、日本語クラスの面々は、「語学は嫌いだ!」と宣言した1名を除き、全員推薦を目指していた。推薦資格を得られるのは総合成績が学年の上位20%であり、辞退が出れば繰り上げとなる。総合成績は各年度の中間試験、期末試験、そして推薦資格を決めるための試験から総合的に判断される。一回きりのテストで運命が決まる高考と比べれば、いくらか不確実性を排除し、本当に実力のある生徒を選別できるものとなっていたーーと、有資格者のリストが発表されるまで、ぼくは思っていた。
その思い込みは、推薦の有資格者リストが掲示欄に張り出された日に崩れた。あの日の午後の授業前、ぼくは同じ日本語クラスのイェン、リー、そしてよく覚えていない同級生数名とで、担任の事務室に行き、詰め寄っていた。
「なんでダンくんの名前がないんですか?おかしいでしょうが!」
ダンくんは、クラスでいつもトップ3に入るくらいの成績で、推薦資格を決める試験でとんでもないミスをしない限り、推薦は確実と自他とも思っていた。ところが、発表されたリストに彼の名はない。本人に聞いても「試験で失敗していないのはたしか、それ以上は知らない」と多くを語らない。もしかしたら採点ミスかもとぼくたちは思い、それなら学校に言って再採点を要請することも不可能ではない。しかし、高校3年間、同級生が他クラスの先生とトラブルを起こしたときでさえ、学生の側に立ってくれた担任は、このときばかりは無言だった。ぼくたちが口々に「採点確認させてください!」とお願いしても、彼女はただ目を閉じ、ゆっくりと首を振るだけ。その様子にしびれを切らした一人が、「だったら直接校長に掛け合いますよ!」と教室を出ていこうとすると、担任は「バンッ!」と机をたたき、金切り声で止めた。
「やめなさい!そんなことしたら、ダンくんの立場がもっと悪くなるだけ!あの子にはまだ道はあるわ!」
初めて見る担任の様子に、ぼくたちは気圧され、そして誰も反論できなかった。あのころのぼくたちはもう高3だ、勉強一筋だったとは言え、大人の事情が少しずつ分かってきている。ダンくんの代わりに推薦資格を得た野郎は、下から数えたほうが早いような成績だが、父親は鄭州市の高官だ。これ以上の騒ぎになったら、ダンくんに逆恨みがさらに及ばないとも限らない。そんなことは、有資格者リストを見た瞬間から全員悟っていた。それでも、学校内のことなら、学生でいるうちは、公平な競争が期待できるものだと、最後の望みをかけていた。しかし、先生の怒声で現実に呼び戻されたぼくたちは、大人の世界が始めから学校を飲み込んでいたことを、痛いほど感じた。
犠牲になったのがダンくんだということは、皮肉のようにさえ思えた。彼は高校3年間クラスの風紀委員を担当し、ルール違反があれば、たとえ幼稚園から一緒の幼馴染でも見逃さない仕事ぶりで、同級生や先生からの信頼が篤かった。そんな不偏不党で生真面目な性格な人間が、とんでもない不公平に晒されているのである。あたりを見回すと、不平、不満、憤激、諦めの目がいくつもあり、そして悔しさで泣き出す人もいた。ぼくも悔しかった、友人が不正の犠牲になったことはもとより、正義を信じてみようとする心情をも、裏切られたからだ。たしかにダンくんには道がまだある。推薦がなくても、広州外語大など一部の学校は、「マイナー言語事前受験」という制度で、大学で英語以外を専攻とする学生を募集していた。実際ダンくんは、彼の学力からすれば朝飯前のこの試験で、広州外語大の日本語科に進学した。だが、彼はより大きな可能性を持っていた。しかもそれを手中にするための努力を怠らずにずっとしてきた。それなのに、最後の最後で、ぼくたちにはどうしようもない力によって、潰されてしまったのだ。
ダンくんになんと顔向けすればいいのかわからないぼくたちは、失意のうちに解散した。あの日抗議したメンバーのなかに、後にダンくんと広州外語大で同級生になる人もいたが、本人がこのことをどう思ったのかは、彼も聞いていない。ダンくんとそれほど親密ではないぼくはなおさらだ。大学時代の活躍だけは人伝に聞き、飛び級制度を利用して、4年制の大学を3年間で卒業したと聞いたときは「さすが」と思い、中国の文系の研究機関として最高レベルの中国社会科学院の院生に合格したと聞いたときは、「すごい!」と喜び、そして「おまえは3年前にそれを手に入れるべきだった」と悔しさが再び滲んだ。
だが、とにもかくにも、彼は最高レベルの場所に来た。もともとここにいるべき人間が、戻ってきたともいえる。そんな彼を歓迎すべく、北京にいる日本語クラスの同級生を数人呼び、ザリガニ料理で有名なレストランに集まった。メガネ姿になったダンくんは、高校の頃と変わらない真面目さでみんなと話し、3年間でどれだけの本を読んだのかと驚くほど、知識を備えていた。そして、話題がなぜか中国古代の官僚選抜試験である「科挙」に及んだとき、ダンくんは身を乗り出して言った。
「科挙は、いろいろ問題あるけど、庶民でも理論上は最上位層まで行ける道を開いたという意味では、画期的だよ。だからヴォルテールのような欧洲の思想家からも称賛されたんだ。」
ぼくも概ねこの意見に賛同するが、そうだと思わない人も当然いる。高校の時から人に反論することを趣味としていた女子がダンくんを遮り、「その言い方はおかしいと思う。試験だけで決めるということに問題があると思うの」と議論を始めようとした。
「試験だけで決めてなにが悪い?試験以外のものをさし挟まないだけ、ほかの方法よりずっと公平だと思うけどな、オレは。」
ダンくんの斜め前に座っていたぼくは、この言葉を発した彼をじっと観察していた。いつものように冷静な口調で、ザリガニの殻をむく手も止めていない。自分が経験した理不尽な仕打ちを思い出しているのか、すぐにはわからなかった。だが、ダンくんの言葉のあとに続いたのは沈黙で、この話題はただちに打ち切るべきだと、その場にいた全員が暗黙のうちに了解した。
ダンくんはその後も、順調に実力を身につけ、修士を卒業してから中央省庁に入った。回り道をしたけれど、一応外から見ればエリートコースに復帰したことになる。一方のぼくはというと、省庁だけは死んでも入らないと心に決め、学者になることを夢見て日本に来ていた。外から眺める中国は実に興味深く、ぼくはその頃からSNSで中国の社会について批判的なコメントをよく残すようになったが、ある日、いつもはなにも反応しないダンくんが、ぼくのシェアした記事にコメントを残したのである。
「この記事、なにが言いたいわけ?」
議論が好きなぼくは、早速返信した。
「中国の身分的な不平等や不公平は、改善されていない。それどころか悪化している。そんな論旨でしょ」
「それはどうかな?改善はされているんじゃない?」
「ぼくはそう思わないけどな。むしろガラスの天井が増えていると思うよ。」
「そんなのは、仕方ないだろ?ガラスの天井があっても、与えられた中で頑張るしかない、少なくとも、頑張るチャンスは与えられた。それで十分だよ。」
ぼくは、それ以上返信できなかった。ダンくんがどこまで自分のことを思い描いたのかは不明だが、彼が数年前の会食で発した言葉からして、少なくとも高校の時のことを不公平に思っていたことは確かだ。それなのに、今は不公平を前提として認め、その中で努力できればいいと主張する。たしかに現実的だ、そうやって生きていくことが一番精神衛生上いいのかもしれない。だが、担任に詰め寄ったあの午後のみんなが表情が忘れられないぼくは、身勝手なことこの上ないと承知しながら、ダンくんに裏切られた気がしてならなかった。
あれから数年後、ダンくんとの連絡がほとんどなくなったぼくは、ある日ネットでニュースを漁っていると、何気なく開いた記事に釘付けになった。「鄭州市の高官、汚職で逮捕」とのタイトルで、とある高官の悪事を羅列したその記事は、高官の名前と職歴からして、かつてダンくんの推薦資格を盗み取った野郎の父親に間違いなかった。やっとか!ざまあみろ!!と、久しぶりに溜飲を下げたぼくは、早速ダンくんにこのことを伝えようと思ったが、「送信」ボタンを押す寸前で、思いとどまった。
「やっぱりやめよ。ダンくんは、もう新しい人生を歩いている。今更昔に引きずり戻すような真似は不要だ。」
そうして、送信をキャンセルしたぼくは、再度記事を読み直し、はたしてどれだけの人生がこの悪党で狂わされたのか、このような悪党があとどれくらいいるのかを想像し、彼らには努力しか残されていないことを、嘆息した。