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ぼくのなかの日本(第39回、女心)

女心

いきなりだが、ぼくは浅倉南が好きではない。

幼馴染、美少女、レオタード、黒髪ストレート、あだち充先生はウブな男子が好きそうな要素をこれでもかと詰め込んできたが、あの性格がぼくにはダメだった。そのことを決定付けたのは、中2のある日、同級生の家に遊びに行き、テレビで何回目の再放送かわからぬ『タッチ』を一緒に見たときのことだ。何話だったかは覚えていないが、上杉和也の練習後にイチャイチャし、「好きよ、かっちゃん」とにこやかに言ったにもかかわらず、数分後にはボクシングで満身創痍になって自宅で寝込む上杉達也の見舞いに行き、そこでハプニングがあったとはいえ二人抱き合って、今度はしみじみと「好きよ、たっちゃん」というのである。それを見ていたぼくと同級生は、「このやろう、一体どっちが好きなんだ!?」「そうだそうだ、はっきりしろ!」と憤っていた。今なら、浅倉南の表情やトーンですぐにどちらが本心なのか、あるいは「好き」の意味がどう違うのかがわかるが、当時のぼくたちにとって、浅倉南は女心と秋の空の体現者であり、単純な男子は興味をそそられるよりも、困惑するだけであった。

それにしても憤る必要はないと思うが、おそらくぼくたちの憤りは、浅倉南よりも、同じくなにを考えているのかわからない同学年の女子に向けたものと思われる。同級生のとある女子が、ただ髪の毛を伸ばしただけのさほどかっこよくない男子を「ジャニーズに入れそう!」「キムタクみたい!」と目をハートにして褒めそやし、半年後に本当に付き合い出したという超レアケースもあるが、大半は有耶無耶にもやもや、思わせぶりな態度をたまに見せ、男子を悶々とさせたあげく、何事もなく時間だけが過ぎてゆくのである。先生方ももちろんそれを察しており、英語の藤原先生に至っては授業そっちのけで恋愛談義をし、「お前ら、今付き合ってもいいことはない。どうせ高校に入ったら今までと比べ物にならないくらいたくさんの個性を目にして、中学校の恋なんかすぐに忘れるからな。特に男子、結局今のお前らは、色々知りたいけれど、実際なにを知りたいのか自分でもよくわからない年頃なんだよ」と結論を下した。今思えば、至言である。

先生が心配するまでもなく、中2でお付き合いまで行ったのは、うちのクラスでは上記のアバタもエクボ以外になかった。先生の言葉に納得したのではなく、気になった相手がいても、あの頃はただ同じ空間にいるだけで満足できたからである。たとえば、意中の田ノ内さんと幸運にも隣席になったぼくなどは、特に進展がなく、というより進展させようとする意図さえないが、ただ近くにいるだけで、毎日が楽しくて仕方がなかった。田ノ内さんの親友である飯島さんも同じクラスであり、ぼくも飯島さんとよく話すようになったが、そのときふと、1年の同級生の竹中が飯島さんに一目惚れしたという話を思い出し、今は違うクラスになったあいつはどうするんだろうと、無用な心配をする余裕さえ出始めていた。

そんなある日、同じ巨人ファンで仲良くなった吉井から誘われ、彼の家でゲームを一緒にやることになった。さらに吉井は、「おまえ料理がうまいって聞いたから、なんか作って持ってきてくれよ。うち今夜親帰りが遅いから。その代わりゲーム貸すよ」と無遠慮に申し出た。ぼくとて、30分くらいの労働でゲームが手に入るのならいやなわけがない。たしかあの日は、日本人が思い描く中華料理のイメージ通りにチンジャオロースと五目炒飯を作ったはずだ。やがてゲームに変わるその弁当を後生大事に抱え、吉井の家のチャイムを鳴らすと、ドアが開いた。出たのは、吉井ではなく、竹中だった。

「なんでおまえがここにいる!?」
「うん、まあ、いろいろあって、とにかく上がれよ。」

玄関に女物の靴があるのが見え、しかし大人の声が聞こえてこないため、ぼくは困惑しながら上がった。吉井の部屋に入ると、彼は握っていたコントローラーを離し、「おお、来たか、弁当待ってたよ!」と喜び、そして部屋には、なぜか飯島さんがいた。

ますます困惑するぼく、吉井はかっさらうように弁当を受け取り、竹中と飯島さんを部屋に残し、強引にぼくを無人のリビングに引きずり込んだ。なにが起きたんだ、なんで逃げるんだ、そもそもなんであの二人がいる、色んな質問を一気にぶつけると、吉井は「はあ」と息をつきながら首を振って言った。

「おまえが来る少し前に、竹中から電話がかかってきたんだよ。家に行ってもいいかって、別に1人増えても問題ないと思ってOKしたらよ、飯島さんも一緒に来た。そんなの聞いてねぇよ、女の子と一緒にいたいなら公園でもマックでもいけよ、なんで俺んち来るんだよ。気まずくてしょうがねぇ。」
「ん?おまえ、竹中が飯島さん好きだって知ってるのか?」
「そりゃ知ってるよ。あいつはあちこち言いふらしているからな、嫌でも耳に入る。」

そうか、竹中、おまえはこうやって噂を広め、外堀を埋めていくつもりなのか。その結果呼び出すことに成功したのだから、羨ましくないといえば嘘になる。しかし妙だ、2人で遊びに行けばいいのに、なんで第三者の家に行く。吉井に聞いても意味がわからないという。そうして二人でリビングで話し合いをしていると、廊下から足音がしてきた。飯島さんと、彼女をエスコートするように、竹中が入ってきたのである。

「二人でなにしてんの?」飯島さんは元気よく聞く。おまえたちのうわさをしていたとは言えるわけがないので、吉井は「弁当を食べようとした」と言って、本当に蓋を開けて食べ始めた。

おいおい、まだ4時だぞ、晩ごはんじゃなかったのかよ。呆気にとられるぼく。吉井は話すのが気まずいのか、一刻も休まずに弁当をかきこみ、口いっぱいにチャーハンを詰め込んだ。しかし飯島さんは逆にその様子に興味を覚え、「そんなにおいしいの?」と聞いた。なおも食べながらうなずく吉井、飯島さんは「へぇー、これ張くんが作ったんだよね?うわさは聞いていたけど、すごいね!」とぼくに満面の笑みを振りまいてくれた。

これはやばい。ぼくは一応「まあ、それほどでも」と謙遜したが、時既に遅し、飯島さんの後ろで、竹中が刺すような目線を向けてきたのである。考えてみれば、田ノ内さんと仲のいい飯島さんと仲良くなれば、ぼくにとってもプラスになるはずだが、あのときのぼくはそこまで頭が回らず、ただ一刻も早くこの場から離れたかった。もう食べ終えようとしている吉井に、「そういえばゲームは?あれもらったら帰るけど」と来て10分未満で帰宅宣言をし、吉井もぼくの意図を十二分に汲み取り、すぐにゲームを探し出し、玄関まで見送ってくれた。自分の家でなければ、彼も逃げ出していたに違いない。

次の日に、学校で吉井を見かけると、すぐに昨日のことを聞いた。吉井は弁当のお礼を言ってから、昨日のその後の様子を教えてくれた。

ぼくが帰ったあと、吉井、竹中、飯島さんの3人はしばらくおしゃべりしていたが、30分もしないうちに飯島さんが理由をつけて帰ってしまったのだという。追いかける理由がなく、その場で意気消沈する竹中。吉井がなぜうちに来たと訊ねると、こう答えたのだという。

「オレにもわかんないよ。普通に遊びに行こうって誘って、OKしてくれて嬉しかったのに、2人だけじゃつまんないから別の男子に家に行こうっていうんだよ。それでオレと近所のおまえんとこに来たけど、別に楽しそうでもない、すぐに帰っちゃうし、オレよりも弁当のほうに反応するし…」

話し終わった吉井は、「女子ってよくわかんないね」と嘆いた。クラスの中を見回すと、飯島さんは田ノ内さんといつものように楽しくおしゃべりしている。ぼくは「弁当のことを話題にしてくれないかな」と期待を寄せながら、吉井の言葉に上の空でうなずいた。

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