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方法としての中国(溝口雄三)

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溝口雄三
東京大学出版会1989

溝口雄三が批判した中国観

日本のインターネット掲示板やニュースサイトのコメント欄などを眺めていると、近現代の中国、とりわけ人民共和国以降のことが話題に上ると、目を覆いたくなるほどの罵詈雑言で溢れかえっていることがわかる。他方、古代中国、とりわけ三国志が出てくれば、おそらく罵詈雑言を書き込んだのと同一、または同じくらいヒマな方々が、今度はウンチクを滔々と語りだし、思い入れの深い人物がいかに素晴らしいのかをみんなに納得させようとする。そしてこうした議論には、いつも「今の中国は嫌いだけど、昔の中国は本当にすごかった」と嘆く人が出てくる。なにもインターネットだけがそうなのではない。天下のNHKでさえ、中国を取り上げたドキュメンタリーでは近現代が批判中心、古代は文化の素晴らしさ中心というありさまである。どうやら日本では、マスコミから一般人に至るまで、古代中国と近現代の中国は完全に分断された別個の国家だと言わないまでも、価値判断としては切り離されて評価できるものになっているようである。

中国を古代と近現代にわけて捉えるこの奇妙な態度は、ここ数年間に誕生したのではなく、溝口雄三がこの本を書いた1980年代にすでにそうなっていた。溝口は日本人のヨーロッパ古代に対する関心がヨーロッパの近現代像に触発されているのに対し、中国の古代に対しては近代と無縁な関心を持つことを指摘した上で、次のように喝破する。

この相違は、ヨーロッパの近現代像が、明治以来、他の世界に時には優越的とさえされたある文明価値をもつと認められてきたのに対し、中国の近現代が一般に文明価値どころか歴史価値そのものにおいて、ヨーロッパはもとより日本にすら劣っていると通念されてきたことと無縁ではない。

日本のこのような関心において、古代中国は日本文化とのつながりを強く持つ分野ーー三国志、漢詩、仏教などーーのみが注目される。しかも、それらは劣っていると通念される現代中国へつながる文化的基盤としてではなく、日本文化へつながるものとしてのみ重要視される。溝口の言葉を借りれば「日本内的中国」というものになり、しかも、そうした関心が「最近ではマス・メディアによって卑俗なかたちで増幅されさえしている」のである。

もちろん、溝口以前にそれに疑問を持った学者や思想家がいなかったというわけではない。戦後日本の歴史学ではマルクス主義から中国の歴史や革命の価値を捉え直し、近現代中国を理想的な国家として再評価する論調もあったほどだ。しかし、溝口はそうした試みにも疑問を呈す。「進化や革命に主に依拠してなされたものであったため、それらと関係をとり結びえなかった『史記』とか『碧巌録』とかの古代や中世の世界は、依然として革命・進化の近現代中国とは無縁のまま」だというのである。つまり、中国を眺める際の拠り所となるのもが日本文化から進化や革命といった観念に変わっただけであり、中国そのものが不在だということにかわりはないのである。

中国を「方法」とすること

あれもだめ、これもだめ、では、どうすればいいのか。答えは簡単、そこに中国という存在があり、その存在の独自性を認め、それに即して研究・思考をすればいいだけのことである。至極当然で、何ら新鮮味のない立場だが、溝口はその先までをも構想し、中国を「方法」として世界を捉え直すことを提唱する。

今ではわたくしたちは、そうしようと思えば、この中国というよくも悪くも独自な世界を通して、いわば中国レンズでヨーロッパを見ることが可能になり、それにより従来の「世界」に対する批判もできるようになった。たとえば、「自由」とは何なのか、「国家」とは何なのか、「法」「契約」とは何なのかなど、これまで普遍の原理とされてきたものを、いったんは個別化し相対化できようになった。(中略)相対化された多元的な原理の上にもう一層、高次の世界像といったものを創出しようということである。

大胆な構想ではあるが、竹内好の思考に触発され、西洋の近代に疑問を持ち中国研究に進んだ溝口の経歴を考えれば、このような考えを持つのはよく理解できる。しかし、この言葉が、経済の成長にしたがい自信を強めつつあった当時の中国の一部の知識人の目には、「外国人が中国の独自性を認めてくれた」と喜びを持って迎えられた。日本には数多くの優れた中国学者がいるにもかかわらず、溝口雄三だけが著書のほぼすべてを中国語に翻訳され、著作集も刊行されていることからも、彼がいかに中国人を喜ばせたのかがわかる。そうした反応が日本国内に還流すると、日本国内においても、溝口が中国を「実体化」させ、竹内好がどこまでも実体化するのを避けた「方法」の意味を全く理解していないと、学術界の重鎮が批判するほどとなってしまった。

しかし、この批判はやや勇み足というべきだろう。溝口は普遍の原理をいったん相対化させるといっただけであり、中国を絶対化させたことが一度もない。むしろ読み手側が溝口の言葉を論拠に西洋のすべての相対化させ、中国自身の原理を絶対化させてしまっているのだ。「相対化された多元的な原理の上」に建つべき高次の世界像は、このような読み手の頭の中で「中国中心の世界像」にすり替えられてしまった。溝口自身は、1980年代に「NIES」の台頭を説明しようと欧米から始まった儒教再評価の時流に敏感であり、その時流が中国本土にも当然のごとく波及したことに言及し、流れの背後には欧米と中国それぞれの自前の要因と自前の有用性があることを見透かしていたが、まさか彼自身の研究が、「自前の有用性」のために中国でかように利用されるとは、溝口自身も想像していなかっただろう。

このことは、日本において中国を研究することがいかにリスクを伴うのかを物語る。もはや日本が中国を参考に国造りする時代でない以上、溝口が鋭く指摘しているように、中国を研究することが単に中国発の哲学書や文化芸術を繰り返し読むことに終止していては無意味であり、「それを通して中国を知ること」につながらなければならない。しかし、知ることは一方的に理解できた気分に浸ればよいものではなく、知ろうとする対象との交渉を経て初めて検証できるものである。その交渉の際に、相手が自分の研究成果をどのように読み、利用するかは、はっきり言って全くコントロールできないのである。

ただ、溝口雄三の研究に、「中国の独自性」の肥大化を抑止することのできる思慮がほぼ完全に欠落していたことも、事実である。溝口は史実や思想的基盤の研究において竹内好より数段も前進しており、そのため西洋と異なる中国の近代の歩みを、説得力に富む形で描き直すことが可能となった。この点から言えば、溝口と彼が影響を受けた竹内好は、ともに西洋が持ち込んだ近代に対決できる別の近代の東洋に見出そうとした点では同じだ。しかし、決定的に異なるのは、竹内好の「方法としてのアジア」は、アジア自身、東洋自身をも絶えず自己否定し続ける永遠に未完成なものであるのに対し、溝口雄三の「方法としての中国」は自己否定の契機に乏しかったのである。

自己批判を探して

個人的には、溝口雄三の中国研究は戦後日本の一つの到達点であると考えており、現時点まで彼以上の近現代中国を理解するための理論を編み出した日本人はいない。したがって、自己否定に乏しい彼の欠点を補えるだけの日本人もいない。西洋に期待するのも的はずれだ。中国と日本は大きな違いを孕みつつも、なんとか同じ「東洋」と観念することができるが、西洋が入ってくれば「外からの否定」が可能でも、「自己否定」は原理的に不可能である。ここはやはり中国の思想家に頼らなくてはならない。とはいっても、自己意識が肥大化した現代中国にそのような人物はいない、どう考えてもいない。仕方がないので、次回から、ぼくは自己否定の雄・魯迅先生を頼りにしていきたいと思う。それによりこの連載は、しばらくの間「中国を読む」というより、「魯迅を読む」ものになるだろう。


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