浄瑠璃の里へ(能勢 浄瑠璃シアター)
有馬温泉を後にして、今回の旅は、大阪の最北に位置する能勢町の浄瑠璃を観るのが、目的でした。こちら、知人の紹介で、随分と前から行きたいと思っていましたが、コロナで延期続き。今回初めての訪問になります。
有馬から川西能勢口駅へ
日曜の6時台、有馬温泉駅はほとんどひと気なし。3時間弱かけて、能勢町に向かいます。まずは3分弱で、有馬温泉駅→有馬口駅へ。
有馬口からは神戸電鉄三田線にて三田へ。三田線はこの有馬口から三田までの12km、10駅を擁しています。有馬線と三田線はほぼ一体で、新開地-三田はほとんど直通での運行しています。
日曜の朝からロングシートはほぼ満席。揺れも、駅舎もローカル線ですが、サラリーマン、部活動姿の学生、ハイカー、ゴルフ姿のおじさんと休日いろいろ、人生いろいろ。
有馬口から次の五社駅までは山の中ですが、一気に開けてきて、住宅街を駆け抜けます。しかし、カーブも結構きつく、UPDOWNも大きく、急勾配では50‰もあります。揺れも、縦にも、横にも揺れて、心地よいですね~。
お隣の野球少年は揺れに任せて、腰がずり落ちそうなくらい爆睡。
もう、久しく見ていない光景で、ほほえましい~
軌間は国鉄と同じのようですが、車内は、銀座線・丸の内線くらいの狭さでした。道場南口の車両基地を眺めて、あっという間に、横山。ここからは公園都市線が合流するので、形上は複線、三田本町を過ぎて、終点三田駅。
JR三田からは、福知山線(宝塚線)の「丹波路快速」で、川西池田まで。ここは武庫川の渓谷をちらちらと眺めながら、宝塚にたどり着くのですが、昔は、「北摂耶馬渓」と呼ばれるぐらいの渓谷美だったとか。いや、昔はではなく、今も素晴らしいです!
道場から南には、百丈岩、鎌倉峡という景勝地があり、ここからは武庫川を右に、左にと渡りながら、北摂耶馬渓に突入。
トンネルの出口と川にかかる「武田尾」駅。なかなかない組み合わせで、武庫川の渓谷のど真ん中に位置しています。こちらの上流には、武田尾温泉の一軒宿があります。
大規模住宅地の玄関、平日は相当な混雑なのでしょう「西宮名塩」。何とも印象的な響きの駅名で、一度聞いたら忘れない。福知山線は複線のためトンネルで貫き通しましたが、元々は武庫川沿いに線路は敷いていたので、廃線ウォーキングが可能。
しばらく、高架橋を走り、川西池田に到着。こちら駅のロータリーのはずれには、「清和源氏発祥の地」として勇猛果敢な像が建てられており、川西市は武士団発祥の地とのこと。
能勢電鉄 ㊗開業110周年!
阪急電車と同列のホーム、4,5番線が能勢電鉄。地元では「のせでん」の愛称で親しまれているようです。ローカル線でよく見られる寺社仏閣への参拝電車、妙見山への参拝がメイン、関東圏なら小田原から出ている大雄山線をイメージしてましたが、全然違う…。
日曜朝、川西能勢口に着いた電車からはどっと乗客が降り、乗る人もそれなり。車両も阪急譲りで立派、軌道も単線ではなく終始複線、想像していたローカル線のイメージは吹っ飛びました。
駅はどれもローカルなんですが、乗客は若い人も多いです。そして、いくつか、古風な駅名が続くのが素敵なのでした。「絹延橋」「鶯の森」「鼓滝」…、絹延橋の由来は、昔、遠い国?から渡来人、いや織姫が二人やって来て、池田のあたりで、機織りを伝えたという織姫伝説があるとか。河原で染めた絹を延べて干したということで、絹織橋。
そうこうしているうちに、山下駅着。ここで下車。のせでんは、ここで日生線と妙見線に分かれます。日生線はベットタウンへ直行、妙見口は、登山口ということでしょうか、ハイカーがたくさん乗り換えました。能勢町に行くには、ここで、バスに乗るか、タクシーしか選択肢がありません。
能勢 浄瑠璃の里へ
山下駅からタクシーで、能勢に向かいます。運選手さんによれば、能勢町の人口も1万人切ってしまって、学校は小中一貫校へ、交通の便も悪くなってしまったとのこと。これは能勢に限ったことではないですね。
能勢町に入ると、山間部の盆地のような地形、驚いたのはかなり大きな古民家が多い事。林業や農業だけでこんな家が建つのだろうかと。
少し早く着きすぎたので、浄瑠璃シアターの周辺を散策、役場や農協の販売店も近くこのあたりが、能勢町の中心地なのでしょう。
ということで、散策するも、まだ開演まで時間があり、浄瑠璃シアターの館内の展示物を拝見します。ただの劇場だけでなく、浄瑠璃の展示物もあるのが、魅力です。
ところで、そもそも「能勢の浄瑠璃」とは?
今から200年前に大阪で浄瑠璃を修行して学んだ者が能勢に持ち帰ったことが始まり。その時から語りと三味線の「素浄瑠璃」が定着。今も語り手が200人もいるのだそうです。語りと三味線の「浄瑠璃」に人形や「はやし」を加えたものが「人形浄瑠璃」すなわち「文楽」です。関東では文楽、関西では人形浄瑠璃=浄瑠璃のように使われているでしょうか。
江戸の人形浄瑠璃も栄えた時期があったようですが、大火で、すたれてしまい上方の方でもっと発展しました。
そうこうしているうちに、一番太鼓が鳴り始めました。
能勢の浄瑠璃劇団 鹿角座
ここ能勢町は「浄瑠璃の里」と呼ぶにふさわしく、なんと地域の浄瑠璃劇団を立ち上げたのでした。それが「鹿角座」。座員の名簿には、小学生から高校、大学生もおり、計60名を超えています。この日はこの鹿角座による3つの演目が披露されました。
まずは、「能勢三番叟」、こちらは能勢浄瑠璃のオリジナルの演目。地元の発展を祈願する男女の舞の芸能です。
続いては、周年記念口上、浄瑠璃シアター開館30周年、能勢の人形浄瑠璃デビュー25周年ということで、能勢の人形浄瑠璃を指導し続けた人間国宝の桐竹勘十郎氏と町長自ら紋付袴で舞台でご挨拶。熱の入れ方が半端ではありませんW
二つ目の演目は、「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」。ムムっという演目名で、底本からの流れを書いたら、note終わってしまうのですが、ザクっと言えば、恋人を助けるために、火刑を覚悟で、火の見櫓に登り、鐘を打ち鳴らすというクライマックスの部分を演じたもの。事前に座員の方が丁寧に複雑な人間模様や時代背景も解説してくださいました。この演目は短かったですが、なんと子どもたち中心に演じてくれました!
最後は、「傾城恋飛脚 新口村の段」、鹿角座初公演ということで、総力を尽くした「情」の演目でした。
演目は残念ながら撮影禁止ですし、言葉では表現しがたい人形浄瑠璃の感動は普通ではありません。人形ならではのダイナミックな動きの一方で、手の先まで動く細やかな動き、衣装、人形、舞台の美しさ、人間が演じる以上に人間らしく、人形に魂が入っているかのよう。夢かうつつか、分からなくなるような感覚に引き込まれていくのでした。
この人間浄瑠璃(文楽)は、歌舞伎どころか、日本のアニメや映画にも影響を与えているであろう素晴らしい日本の誇るべき総合芸術なのでした!!
館長さんとも少しお話させていただきましたが、シアターの運営、ご苦労も多いようです。それにしてもこのような文化の継承に地域で取り組んでいる姿にも感銘。昔を振り返れば、私は静岡は三島で育ちましたが、三嶋大社では幼少の頃はやはり舞台があり、能が舞われたり、地元の伝統芸能も多かった。大社以外でも、小さな神社にでも舞台がありそこで舞踊ほか、大勢がいすを並べて、鑑賞するような機会も私が小学生の頃までありましたが、もう残っていないのではないかと…。
能勢を後にして不死王温泉へ
公演を見終えて、宿へ向かいますが、能勢にも「能勢温泉」があるのですが、一人泊が難しく断念。大阪方面で、アクセスの良い所を探したところ、池田から、バスで20分ほどで着くことが出来る静かな山あいの温泉がありました。宿の名前は、その名も伏尾温泉の「不死王閣」。
ホテルはかなり昭和な雰囲気が漂いつつも、部屋はシックで、ゆったりとした雰囲気。早朝の有馬温泉とはまた違う部屋で一服。
さて、温泉の方は、天然ラジウム泉ということで、微量ながらラドンが検出されているという温泉なのでした。久しぶりに大きな露天風呂、内湯も露天風呂とつながっており、山あいながら開放感のある大浴場も珍しいです。
さて、気になるこの「不死王」という名前ですが、近くにある「久安寺」の上人が、皇子さま(後の近衛天皇)の安産を祈願して、元気に誕生したところから、「不死王村」とこの地域が呼ばれたそうです。なので、「伏尾」が後付け。この縁起の良い名前をもらって屋号にしたとのこと。
東に箕面温泉、西に有馬があるから、必ず温泉が湧くだろうと掘ったものの、1年半すぎても温泉は出ず。しかし、昭和42年に掘り当てて、大阪万博の時に大浴場が完成しました。
どうも民放の開局と同じ時期にTVコマーシャルを打っていたようで、さすがに知りませんが、昭和の雰囲気を残しているのが理解できました。
ということで、久しぶりの有馬から浄瑠璃の里、能勢へ。
今日はこのあたりでお開きです。 (2023.6.25)
(おまけ①)
能勢電鉄のケーブルカーとリフトが遅くとも2024年6月に廃止されることが決まったようです。残念極まりない、是非乗りに行きたい。
(おまけ②)
人形浄瑠璃:文楽は、大阪は「国立文楽劇場」、東京は、「国立劇場 小劇場」にて、観ることができます。ただ、開催時期があるので、お調べになって行かれてください。東京は8月末から9月下旬まで鑑賞可。日本の伝統芸能いずれも素晴らしいですが、推したい伝統芸能の一つです!