毒消し売りの旅⑤(毒消し売りの背景)
今回は、現在手に入りやすい毒消し売りについての書籍を紹介しながら、毒消し売りにつながる背景や毒消し売りの当時の様子のいくつかを見てみます。
「越後毒消し売りの女たち」彩流社 桑野淳一
こちらの本は現在一番手に取りやすい「越後毒消し売り」に関わる書籍です。桑野さんが毒消し売りを生んだ村々を実際に歩かれ、実際に毒消し売りをしていた方々からも聞き取ったエピソードもあります。
また、越前や能登との繋がり、新潟の平野の特徴、さらには長岡藩の歴史など時空間的な広がりと関係性も丁寧に記されており、興味深かったです。
このなかで、毒消し売りに関連する「背景」のなかで、二つ綴ってみます。
日本一の人口、新潟県
桑野さんがこの本の冒頭で、全国にある新潟県人会の話に触れ、新潟は人口が一番多かったと言及されています。これも知らなかった事実で少し調べてみると、
明治の初期、日本の人口は江戸時代からの流れで、東京・江戸(100万人超)は世界的にみても、巨大都市。東京のあとに都市人口としては、大阪、京都、名古屋、金沢と続きます。
しかし、都道府県別で見てみると、廃藩置県後で、自治体の再編も幾度とあり、その影響もあるのですが、1874年(明治7年)は136万人で新潟県が1位。76年まで続きます。1877年から81年までは、石川県が180万人台で1位になります。これは富山県や福井県の一部を再編したりした影響のようですが、その時にも新潟は、150万人台で2位。
さらに1887~1896年の間、新潟県は165万人台で、なんと10年近くも、ずっと1位!なのです。
北陸3県は経済規模、人口とも今現在では、合わせたら静岡に匹敵すると言われていますが、それでも明治期にここまで北陸、新潟の人口が増えたのは、やはり米どころというのが大きいでしょうし、また江戸時代からの北前船の交易の影響もあったと思われます。あとは、浄土真宗の影響もあるという話もあるのですが、こちらももう少し調べてみたいところ。
ともあれ、新潟に関しては、治水工事を進め、平野を安定化させ、新田開発を絶え間なくやってきた賜物であり、越後の人たちの勤勉さを物語るものでもあります。
間瀬の大工
1900年の前後あたりから、日本の工業化が加速し、大都市圏が広がっていき、社会構造が大きく変化すると、新潟では、お米・農業だけでは家計を支えられなくなり、女性の間にもまた様々な生業が生じたようです。
この部分は後ほど述べるとして、その流れとは関係なく、また海岸沿いのもう一つの村の話が出てきます。それが、「間瀬」という地域。角海浜から3kmほど南にあります。
そして、俗に、
「角海女に間瀬男」
と言われ、この地域の美女、美男を表す言葉として残っているらしい。
ここは、角海浜の人たちも、海伝いに住み着いたようだが、この間瀬の人たちも先祖は能登の大工の盛んな村から来たということで、この間瀬の大工は、この地域だけでなく、信州、関東、福島の方まで行っていた模様。働き盛りの男も女もこの海岸沿いの村々は、これまで語った通り、農作では食べていくことが出来なかったのです。
角海浜から毒消し売りが歩き始めた草創期には、この地域の大工と毒消し売りが一団になって、会津地方に赴いたという記録もありました。
蒲原平野、越後平野とは山で隔絶されたようなこの海沿いの集落は、その成り立ちも生計を立てることも、越後の中ではやはり特異なルーツを持つというしかないようです。
毒消し売りの社会史-女性・家・村 日本経済評論社
2冊目、こちらは、佐藤康行氏による社会学的な視点から、毒消し売りにアプローチしている学術書です。毒消し売り3名のライフヒストリーから始まるため読みやすく、中盤では毒消し売りの行商の全般が書かれています。大事なのは次の二点に紙面が割かれていること。
「家の社会史」として、家の中の暮らしやお嫁さんの仕事、子供の仕事などの実態の詳細と「村の構造史」として、村がどのように運営されていたのか、村の生活の実際はどうだったのかということ。この点は本書がかなりしっかりと調査もしており、貴重な資料とも言えます。
ライフヒストリー(聞き取り)からの実態
何名かのライフヒストリーからは、毒消し売りの辛かったこと、逆に毒消し売りをやっていたから得たもの、学んだことについて、赤裸々に語られています。いくつかのエピソード、ご紹介したいです。
写真記録「にいがたの女性史」郷土出版社
こちらは、1994年に発売された郷土の写真で綴られたにいがたの女性史。毒消し売りのエピソードがあるだろうということで、購入してみましたが、また違う新潟の女性たちの明治から今に至るまでの経緯(いきさつ)、女性の立場、生活・仕事、戦争・移民、女性の地位など、揺れ動く時代の中で、どのように生きてきたか、考えさせられる一冊になりました。
特筆すべきは、戦後の女性の生業について、こんな仕事までしていたのか!と驚かされる場面もありました。
明治から大正にかけての写真も多く、また下記のような戦前や大戦中の大陸との行き来に関わる史実も記されています。
戦後は、新潟に限らず、どこでも大変な生活が続いたでしょうけど、このような写真も残して、伝えなければ、伝わっていかないですね。
この女性史の中で、唯一の毒消し売りの写真。
次回は、毒消し売りの旅、絶版になった新潟の女性についての一冊をもって一旦、締めくってみたいと思います。
ご覧いただき、ありがとうございます!