西伊豆の旅 ようこそ深〜い「戸田」へ(2日目)
高校の時、いつもクラスを笑かしてくれていた同級生N君は、戸田村の出身でした。まかない付きの下宿生活。今思い返すと、本人も家族も大変だっただろうなぁと、N君のことを思い出しながら、戸田の旅を画策したのでした。ようやく二日目。
泳がずにはいられない海水浴場
静かな明け方の戸田港。伊豆の海とは思えない湖のようです。耳をすませば、鳥のさえずりと外海の潮騒が聞こえます。
不発となる朝の釣りも終えて、朝食後、御浜海水浴場に行くことに…。前日に、あの浜を見たら、泳がずにはいられないということで、準備。
旅館「みはま」、ロケーション、食事も最高でした、女将さん曰く「いつまで続けられるか分かりません…」とのことで、今は3名で回しているそうです。戸田出身で、東京の大学出てから、戻って来て、この場所が良いなぁと年を重ねるごとに感じると。その通りです!
戸田温泉「壱の湯」
宿を後にして、戸田の温泉施設に向かいます。元々はボーリングしたところにあった温泉施設でしたが、最近道の駅「くるら戸田」というのが出来て、そちらに移設しています。
泉質はNa・Ca-硫酸塩・塩化物泉ですが、無色、無臭、Ph9.6で柔らかい感じの温泉です。露天風呂もあり、温度もそこまで高くないので長湯できます。
温泉入って、再び海岸まで、歩きます。灼熱の日差しですが、海岸まで15分程度。温泉やぐらがありますが、これはモニュメント。この近くに源泉の場所があり、今は温泉スタンド。
広いグランドが見えてきましたが、戸田では令和3年に小中一貫校を開校。それでも、生徒が9学年で60名。まだ、工事中の部分もあります。
お昼は地魚料理で!
少し早い昼食は海岸沿いの食堂で頂きます。どこも地魚やタカアシガニが看板料理です。
ユメカサゴとは初めて聞きましたが、下記のような魚。
ゆうなぎのご主人から、今は深海魚の採れるシーズンではないそうで、今は冷凍保存からの深海魚丼。饒舌な主人でいろいろ地元の話聞かせて頂きました。
レンタサイクルで歴史探訪
さて、帰りのバスまで2時間ほど時間があり、妻と娘は冷たいもの食べ、ゆっくりモード、自分のみ、先に店を出て、レンタサイクルで戸田村を巡回することに。最近はどこに行っても、レンタサイクルがあり、便利です。
様式帆船建造地
調べ不十分状態ですが、まずは近代造船発祥の場所へ。市街地と御浜岬の中間地点にあります。ここで様式造船に携わった船大工が、全国に散じて、日本の近代造船に貢献したのですから、もう戸田村のアイデンティティであり、誇りですね。
続けて、古い港町の路地を電動自転車で爆走。
プチャーチン提督宿泊所
当時はもっとみすぼらしかったことでしょうけど、提督以下、大変ありがたかったようです。
山側には、墓地とは別に「露国水兵の墓」がひっそりとありました。
ところで、短期間でかつ日本人船大工で西洋帆船が出来たところは疑問でしたが、手元の書物に少し記載がありました。沈没したディアナ号にロシア海軍の機関誌があり、そこにスクーナー船の設計図があったそうです。これを参考にしたのでした。
さらに、全国にこの造船のことが噂になった部分の記載もありました。
大行寺(日露交渉跡の地)
ここが村の南側ですが、ここから村の北側まで、走ります。これは自転車じゃないとキツイ。
こちらも、またこんな辺鄙な?ところで、国運に関わる条約の交渉を行ったのですから、驚きです。伊豆自体、昔から地続きでありながら、島流しの地として歴史に綴られておりますが、時代を動かす揺籃の地とも言えます。
さて、ここからさらに海岸の方に進み、堤防を下っていきます。
この戸田の北側に、「松城家住宅」という重要文化財があるのでした。
松城家と伊豆の長八
こちら、何やら和洋折衷の大きなお屋敷なのですが、こちらが「松城家住宅」。江戸時代からの廻船業で財を成した地元の豪族?名士?の館。完成したのは明治の初期。
受付を済ませると、館内の方が丁寧に概要を案内してくれました。
こちらは凝灰岩からなる立派な伊豆石で、この大きさは見られないとのこと(高さ9尺<約2.7メートル>)。主屋を中心に、四方に蔵がいくつかありますが、格子状の部分は「なまこ壁」伊豆でよく見られる作りです。
さらにこの建築様式は、「擬洋風建築」(「擬」は「擬態」のギ)ということで、まだ西洋の建築法が伝わっていないときに、これまた見よう見真似で、洋風に仕立て上げた建築様式。2階のテラスもテラス風になっているだけ、下の三つある窓も手前の一つは開くのですが、残り二つは、見せかけのモニュメント。
玄関入ったところで、上をご覧ください、と言われ、何やら模様が…。
「ランプ掛けの飾りなのですが、『伊豆の長八』って、ご存じですか?」と。彼の作品です、とのこと。
なんと、こんなところで伊豆の長八(本名:入江長八)の作品があるではありませんか!
かく言う自分も、以前に、つげさん(つげ義春)の漫画で知ったのでした。戸田よりさらに南にある松崎町が長八の故郷であり、ここの宿を舞台にした「長八の宿」という有名な作品にそのエピソードが出てきます。長八は左官屋さんですが、鏝絵を芸術の域まで高めた、なんとも「伊豆」らしい人物なのです。
なぜここに、長八の作品があるかというと松城家の船を使って江戸と行き来したことが度々あったのだろうと、そのよしみで、このお屋敷造りの時に、一肌脱いだんじゃないかと。
「ご覧の通り、玄関の脇の鉄製の大きな瓶にも江戸の名残がありまして」と。もう10代の時から江戸に行って、絵の修行をしていたのです。
二階は、畳や襖はありますが、天井やバルコニー、廊下の仕切りは洋風。
正面右に、長八の明治6年の作品「雨中の虎」。漆喰で造られたこのような作品はお目にかかるのは初めて。構図も掛け軸のようで、凹凸もかなり繊細で、写真で伝わらないのが惜しいです。
ということで、とどめの龍は小さいながら迫力満点。鏝絵に魅せられ、しばし見上げたまま。他にも何点かあり、一つの家屋にここまで多く長八の作品があるのは実は、この松城家じゃないかと。
職員の方曰く「松城家、教科書にも載らないような話なんで、知られてないんですよ」と話してましたが、いやいや、そんなことはないですよ、貴重な文化財で、戸田の財産ですよ、図録とか資料集は是非作ってください、とかなんとか話して、松城家を後にしました。
長八ファンでなくても、戸田村に来たら、立ち寄って欲しい場所です。
ということで一日に数本しかないバスに乗り込み、戸田村をいつまでも眺めるのでした。なんだか、故郷でもないのに、別れが惜しい戸田村。さようなら、私の戸田村、また来るら! 完