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「塩の道」序曲&初!野湯の変てこな旅③

今日は、明科あかしなの昭和な宿から、信濃大町へ移動。天気は崩れそうで、宿泊地もなかなか取れず、結局、登山口に近い山荘にしたので、予定が立たず…。行く先未定のフーテン状態に…。

明科から信濃大町へ

気持ちの良い朝! 安曇野を一望
空気がきれいで、お湯もイイ
ロッジの軒先に、久しぶりに見た「カマキリ男」

朝食は甘みのある豚汁が美味しい、地元の長峰味噌を使用。地の野菜に白馬ウインナー、安曇野TKG!?とは、=安曇野卵かけごはん。全て近隣の産物。

刻みわさびが、野沢菜と一緒に並ぶ

本日は日曜なので、知人のクリスチャンが車を出してくれて、松本市内へ移動。午前の礼拝を守りまして、昼食を取ってから、大町へ向かいます。
最近の悟りや恵みの話をシェアしながら、小雨のドライブ。一か所、立ち寄って欲しい場所に立ち寄ります。一日市場ひといちばという難読駅の側にある古道の道しるべ。

ようやく見つけました ココは、千国街道と野麦街道の分岐点ですが、風化して読めず…
手前が塩の道、左手に延びるのが野麦街道 すなわち至野麦峠

一日市場 糸魚川、飛騨、松本への道が交差することから、物流の豊富さから市が開かれた。江戸時代の初期においては、塩の売買は、大町村、一日市場、松本町の3ヶ所のみ許可されており、塩の道にて運ばれた塩も取引されていた。

古道 塩の道(https://fumoto.info/matsumoto.html) より

いつか、あの野麦峠を越えて、飛騨高山に行ってみたい!

塩問屋「ちょうじや」

学生の時以来の「信濃大町」

駅前こそ、昔の記憶と変わりませんが、少し離れると、ドーンとリゾートマンションが建設され、ショッピングモールみたいな場所があったりと開発が進んでます。移住者で、人口も増えていると行くことで、「白馬だと不便だが、大町なら生活が出来る」ということです。

 閑散としたメイン通りは、シャッター商店街か…

目指すは「塩の道」の資料を展示している「ちょうじや」という旧塩問屋の資料館です。駅から、徒歩数分。

こちらの立派な蔵構えの資料館 建物自体が文化財 
帳場のようす 飾られている品々に往年の繁栄をみることが出来る

 手もとに、宮本常一(民俗学者)の「塩の道」の本と、山本茂実(あぁ、野麦峠作者)の「塩の道・米の道」の二冊があるのですが、これがまた、塩の道についての記述が全く異なり、両者ともに面白い話が展開します。
 まず、宮本常一は日本は塩の研究が遅れているという序論から始まり、「塩には霊がない」という。人のエネルギーとなる穀物は穀霊があるから祀られるが、塩を祀った例は一つに日本に見つけられないと。
 一方、山本茂実は、神格化された塩という話から始まり、飴市(塩市)の話に展開。どちらも塩は貴重というのは変わりません。

飴市のエピソード

 さらに、宮本常一は、「敵に塩を送るの」この上杉謙信の義塩の話を全く取り上げていません。あまりにも知られているからか、史実として認められなかったか…。
 一方、山本は、この話は、「北条・今川は不勇不義の極み、われら争うは弓にて、米・塩にあらず」と謙信が言ったのではなく、謙信が北からの塩のルートを黙認したことが、美談の様に発展したのではないかと、ドキュメンタリー作家らしい推論。

謙信の義塩は史実としてないらしい 
しかし、塩を送ってくれた謙信に対して、信玄が送った名刀は重要文化財という謎

 実際、「丁子屋ちょうじや」の平林甚左衛門は越後の商人が塩の値段を上げて来たのに耐えかねて、加賀の前田藩に直談判。その時に、この謙信の塩を話を取り上げて懇願して、聞き入れられたというエピソードも紹介しており、義塩の話の影響力を伝えています。

いくつかの蔵が連なる
塩蔵の中には展示品
塩はにがり、水分も変動するので、重量が変わりやすい
大町はちょうど芸術祭の最中 塩のモニュメントが蔵の中に…

宮本常一は塩の産地に、作り方、運ばれたルートや運び方まで詳細を記述、このあたりは民俗学者の矜持を感じます。
牛が運んだのは有名ですが、人も運んだ。その時には塩だけでなくて、塩漬けされた魚も商品価値があり、それも塩を運ぶという意味でも価値があったとか、山奥に住んでいる人たちはわざと質の悪い塩を買い豆腐を作るための「にがり」を得ていたとか。

背負子を背負ったボッカ
どのくらいのスピードで運んだのか 「塩魚」の記述がある
漬物や味噌の樽もある これらは保存食であると同時に、塩を得るための知恵ともいえる

また、イザベラバードが日本を歩いたとき(日本奥地紀行)には、吹出物が出たり、目の悪い人が多く居たのは、お風呂がないという衛生面のほかに、塩分が足りなくて、新陳代謝が悪かったかったからとも話しています。

さらに、全ての道は、海に通じており、どれだけ大事な道だったか、今は忘れられているが、各地で確かめ合おうと結ばれています。

塩の道 宮本常一(講談社学術文庫)より

ということで、塩の話が煮詰まり過ぎました笑
ちなみに聖書出てくる「塩」で有名なのは以下の一節。

あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

マタイによる福音書5章13節

イエス様が弟子たちに塩のような存在になりなさいと話し、世の中で味のある人、必要とされる人、不可欠な人になりなさい、という意味が込められています。
 ということで、今や、ありふれた「塩」。塩が足りないという世界を知らず、ややもすると、「塩分」摂りすぎで、厄介者のご時世ですが、昔は全く異なる時代でした。塩について、考える機会となりました。

大町から「七倉山荘」へ

「ちょうじや」から裏道を歩いて駅に向かいます。もう、駅前は人がまばらですが、ここから乗合タクシーで、北アルプスの裏銀座の登山口のある「七倉山荘」に向かいます。

裏銀座? 日曜の夕方、とにかく人がいない…

事前に予約のタクシーですが、悪天候のせいか、キャンセルのお客さんが出て、自分一人でタクシーに。1900円で、山荘まで連れて行ってくれます。

山荘の方は、雲の中か…
白いのは「そばの花」10月中旬には初そばが出る

タクシーは山間部とは思えない二車線の立派な道路を走ります。上流に立派なダムがなければ、こんな道は作らないのでした。左右には時折深い渓谷。

大町ダムは堆砂問題で、砂をすくい出しているけど、追いつかず、何年かかるか分からないと

土砂降りの「七倉山荘」、明日の予定は…

立派な山荘で、室内もかなり快適!女性や家族の登山客も多い

この雨で、明日の予定は未定。ただ、何もせずという選択肢はないので、とりあえず朝食は朝一の5時15分で予約。
部屋は、相部屋で、山登りセミプロ風のおじさん二名。明日どこに行くか聞いたところ、
「野口五郎岳!」と即答。
(こちらは、『の、の、のぐちごうろだけ…』、どんだけ凄いのかとか、そこはどこなの?とも聞けず…)
「山小屋が、混んでて取れなかったんだよ、それからこちっから、行って、〇✖#??▼…、ハハハッ」とルートを説明されたけど、全く分かりません~
さらに、3,4日歩くらしく、この雨も関係なし、のご様子。
「こちらは、この雨なんで、ノープランで、これから考えます…」と。

片手に地図やパンフを見ながら、今宵もひとりバーベキュー

結局、山荘の主人にも相談しながら、明日の天気は午前中は持ちそうということで、目指すは、湯俣温泉!高瀬渓谷を往復20kmで約5,6時間のトレッキングに決定!
部屋に戻って、おじさんに伝えたところ、
「湯俣!いいね~、温泉浸かって帰ってくる!贅沢だね~」
「そんなのもありだ!ハハハッ~」と一笑され、休まれました…。
(まだ、18時半過ぎ、もう就寝なんですか?)
山荘ってこんな早いの!?という感じで、こちらは、そそくさと温泉へ。

源泉温度65.6度 PH6.9 ほのかに硫黄臭

お湯はほどよく熱く、肌によさげな、湯ざわりです!こちら、二度浸かって、21時過ぎに床に就きました。
明日はいよいよ、トレッキング初心者には結構きつそうな往復20km。行って帰って来れるのか!? (つづく)

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