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続きのない話#585:2000日前と40年前とこれからの話(2000/1000)

あけましておめでとうございます。
このnoteを始めた2019年7月13日は、今日から2000日前。

つまり本日をもって、毎日noteを書き続けて足掛け7年になるというわけですね~。(たった1日でも年が変われば足掛け年数に加算できますからね)感慨深いなぁ。
きっかけは友人の伴走だったのだけれど、始めるにあたってもう一つ目的がありました。
それは、入社早々のワタクシが持っていた疑問「定年間近のおじさんって楽しいことあるんだろか?」に、定年間近になった自分自身が答えるというもの。

昼食時、カツ丼にもり蕎麦生卵付きなんてものをわしわし食べていたわたしは、「おれ、もり蕎麦1枚ね」なんて気合の入らない注文をする年配の人を見て、なんだか覇気がないなぁ、大丈夫かなぁ、なんて余計な心配をしていたわけですよ。
おじさんたちは、寄ると触ると病気の話ばっかりしているし、どうも全体に後ろ向きな話題ばっかりだぞ、とムダにエネルギーに満ちていた青年は思っていたことでした。

そんな自分だって馬齢を重ねりゃ定年間近になるわけで。マジか! なんて思ってもしようがない。なにしろ1年につき、着実に1歳ずつ年を取っているわけですからね(当たり前)。

2019年7月というのは、定年まで残り2年と9ヵ月、ほぼ1000日。
そんな絶妙なときだったので、皆と始めた1000日チャレンジは、若いころの自分への定年間際のおじさんレポートという一面もあったのでした。
君が思っていた年代になった君は、日々こんなことをして、こんなことを考えて、こんな気分で暮らしているんだよ、と。

過去に手紙を送る事は(現時点では、まだ)できないけれど、過去の自分にアクセスすることはできる。
どういうことかというと、人って脱皮し続けながら脱いだ皮を捨てて成長するのではなく、マトリョーシカのように、あるいは木の年輪のように、ある時期の塊を自分の中に残しながら年を取ると思うわけですよ。自分を形作っている土台というか養分というか、そんなものが堆積し続けて、今の自分になっている。
と考えると、自分の中のどこかに今でもいるであろう青年に、1000日間の出来事を届けることができる。それを知った青年は、「年を取っても楽しい事はたくさんあるぞ」と未来への希望を抱き、すると自分の中に堆積しているものが影響を受け、今の自分も変化するに違いない、はず。

そうして1000日が過ぎ、めでたく定年を迎えたワタクシ。うん、この1000日は意味も意義もある日々だったな。レポートを届けた青年も、必ずやご満足いただけたことであろう。
よかったよかった。

で終わらずに、考えてみた。現役から定年までの1000日と、定年からその先の1000日とでは、どのように違うのかな? 未知の領域に入る自分がどうなるのか、興味津々。
だったので、さらに1000日続けてみようと思い、なんとかここまでやってきたよ2000/1000=2。

定年後の1000日もまた、人にも出来事にも恵まれたなぁ。関わっていただいたすべての皆さんに感謝感謝感謝! だから自分の中にいる青年にも、さらにまた良き波動を送れたと思っています。そして、今の自分はきっとなにもせずに2000日過ごした自分よりも、はるかに良いナニモノカになっているはず。ありがとうnote。

という次第なんだけど、私の連続noteは明日から先は続けず、本日でおしまいにします。
これ以上すばらしい人になったら困るからさ、というのは冗談だけど、note書くのは結構時間がかかるもので、その時間をこれからやりたい事に充てようと思っているのですよ。ふふふ。
今後、絶対書かないわけではないけれど、毎日連続は終了~。
今まで読んでいただいたすべての方に感謝します。どうもありがとう~。
では、また逢う日まで。ダッダ、ダラ~ダダ、ドン♫


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