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ありふれた日常に感謝する
ページを開いてくださりありがとうございます。
役所広司主演の「Pferfect Days」を観てきました。
映画を見て一緒に議論したい点を書きたいと思います。
ネタバレが含まれますので、映画をまだ見ていない人は読まないでください。
ストーリー
東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。昔から聴き続けている音楽と、休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり、人生は風に揺れる木のようでもあった。そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように木々の写真を撮っていた。そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。
妹とのシーンの涙の意味は?
平山は父親と確執をきっかけに家族とは疎遠になっていましたが、あるきっかけから平山とは別の世界に住む妹と再会します。その妹と別れる際に、日頃は感情を出さない平山が、泣きながらハグをします。
この涙の意味は何だったのでしょうか?
私が考えは、平山は自分の不器用な生き方で妹に迷惑をかけている考えていたと思います。平山と親との確執で何もできなかったことを悔やんでいる妹。それがわかっていても、自分を曲げてまで家族と仲直りができない、それが妹の負担になってている申し訳なさ
で涙となって表現されたのではないかと思います。
「影が重なると濃くなるんですかね?」
癌の告知を受けた恋的(三浦友和)からの質問、「影が重なると濃くなるんですかね?」という言葉を受けて、平山と恋的で影踏みをするシーンがあります。そして平山が「影が重なると濃くなるんですよ。ならないわけないじゃないですか」と力説します。
この「影が重なる」とは何だったのでしょうか?
この影は他人との交わりを表していると思います。これから癌で亡くなる自分が誰にも影響を与えられず忘れられていくと感じたのに対して、平山は人と交わることはお互いの人生に影響しあっている、だから恋的が死ぬことは無駄ではないという意味だと思っています。
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最後の喜怒哀楽は何を表しているのか?
先ほどの恋的と別れた翌日、平山はいつもと同じルーチンをこなして仕事に向かいます。いつもと同じようにスカイツリーを見上げますが、その表情はいつもの笑顔でなく、涙がこぼれています。この時の表情も、悲しそうに泣いたあとに、最後は何かを悟ったかのような泣き顔に代わっていきます。
この複雑な涙のシーンは何を言っているのでしょうか?
これは恋敵の悲しみに触れて色々と考えても、昨日と同じようにスカイツリーはそこにあり同じ毎日が繰り返されていることに対して、最初ははかなさを感じて涙したのではないかと思います。
しかし泣きながら考えた結果、他人にはなかさを感じている自分も最後には日常に取り込まれていき、だからこそいま自分が生きていることに感謝できて泣いていたのではないかと思います。
最後に
映画のタイトル「Perfect Days」の意味は、特別ドラマがあるわけでない自分の毎日だけど、ありふれた日常に感謝することを表していると思います。
セリフが少ないこの映画では、観る人により様々な解釈が出来ると思います。それゆえに、色々な人と話してみたい映画です。
今日の質問
あなたにとって大切な日常は何ですか?