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母へのプレゼントをやめた

実家が裕福で、今も食うに困っていない母。
そんな母を「お金がない」状態がわからない人と思っていた。

たとえば、一人暮らしでかかる生活費とか、そのために必要な稼ぎ、諸々の手続きがわからない。

私たちが幼少期を過ごしたマンションも、祖父母から買ってもらったものだった。
母にとってお金はやりくりするものではない。
あったらあっただけ使ってしまうのだ。
というか、あったら使わないと勿体無いとすら思っている。

そんな母は、イベントにかこつけてプレゼントを要求する。
欲しいものならもう自分でいくらだって買えるはずなのに。

歳を経るにつれて、プレゼントにかかる金額も上がっていく。

お金をかければいいというわけでもないらしい。
母の理想じゃないものを渡すと平気で親戚にあげたり、タグも取らないままクローゼットに放り込む。

愛情を金額で測っているのかと考えたこともあるけれどきっと違う。

母にとって成人した私は、欲しいものを欲しいとき、与えてくれる大人なのだ。

愛情とか、感謝とか。
子が親に求めるそんなものを求められているわけではない。

だから私が贈り物に気持ちを載せようが、受け取られやしない。

金銭的、精神的に、続く搾取。
たぶん、渡すのをやめない限り、私の意識が変わらない限り、一生続く搾取。

そう考えたとき、母へプレゼントを贈るのをやめた。
何か言われることもなかった。
気持ちはまだ楽になった、とは言い難いけれど、少しだけほっとした。



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松岡ふぶき
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