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【機動戦士ガンダム 水星の魔女】スレッタのお弁当

水星の魔女。
ガンダムシリーズはアムロとシャアが出てくるやつを少し観た程度で知識はなかったけれど、シリーズ知らなくても楽しめるよとのことで観始めた。

話題を呼んだあのラストもさることながら、随所にしんどいポイントが散らされていて12話見終えた後に徐々にダメージを食らっている。

グエスレとかスレミオとか言っている場合じゃないよ。
エラン…。

特に印象に残ったのが11話のお弁当のシーン。

なぜスレッタはお弁当がないのを主張しないの?と感想を述べている人もいたけれど、あれは「食」でコントロールされていたからではないかと考えた。

あくまで「考えただけ」で想像の範囲を出ませんが。

「食」を用いた虐待

ネグレクトを判断するひとつに「食事を与えない」という項目がある。

単に食事自体を与えないことだけでなく、年齢・個人に応じた充分な栄養をまかなえる食事を適切に与えていないことも含まれます。

例えば三食与えていても、極端に量が少なかったり菓子パンひとつなどの生活が続いているならば適切な食事であるとは言えない。

これは「好きなら良い」という問題ではない。
成人が自身の意思で何を食べるかを決定するのとは大きな断絶がある。

大人の管理下にある子どもに与えられる食事が適切でないのが問題。

必要な栄養が賄えないことは、身体だけでなく精神にも大きな影響を与えてしまうから。

ただ、スレッタは体格に恵まれているため(遺伝的な要素もあるかもしれないけれど)、食事を不定期に与えられないなどの「食」が罰則と結びついていたケースではないかと考えられる。

「食」と「罰」

通常、自身に配布されるはずのものがなければどうするか。
おそらく多くの人は主張をする。

中にはキレたりする人もいるだろうけど、基本的には「ない」を「ただない」こととして受け取り、得るために行動する(空腹でないから食べなくていいかといったものは例外)。

ただ、スレッタは違った。
「食べたい」を半ば乱暴に譲ったのもそうだけれど、お弁当が「ない」ことを主張できずある種の自己否定につながった。

コミュニケーションが苦手ゆえのことではないと思う。
なぜなら授業でサポートが必要な時は積極的に他者に関わっていっていたから。

試験をパスできないとスレッタの大きな目標である「水星を救う」がクリアできないから比較対象ではないとの考えもあるかもしれない。

「水星を救う」と「一食食べ損なう」こと。

二つの重さを考えるなら、一食食べ損なう方が軽い(問題ではない)とも捉えられるけれど、それならトイレに引きこもる必要はないわけで。

その前のミオリネの言動と相まって、地球寮にも自分の居場所がないとスレッタが感じたような描写があったのは、「食」がないこと=居場所がない=食が何らか形で罰に結び付けられていたからではないかと考えた。

指摘されていたスプーンの持ち方もこう考えた理由のひとつ(水星人のスプーンの持ち方のスタンダードかもとも考えたけれど、ならあんなにクローズアップする理由も不明だし)。

つまり、指導する大人が不在であり、その中で何らかの違反を犯すと食事が抜かれていたのでは。

プロスペラママによるスレッタへの「食」を用いた虐待が常態化していたというの、大いにあるよな…。

「管理される」から「管理する」。大人への過渡期


「生」に直結する食。

「食」は幼少期こそ大人が適切に管理するべきだけれど、年齢を重ねていって自分で選択するようになる。

「管理される」から、「管理する」へ。
大人になる上で欠かせない要素のひとつ。

まだ高校生に当たるスレッタの年頃は、ちょうどこの過渡期。
地球寮の生徒たちは問題なくその過渡期にあるように思えるけれど、だからこそスレッタが際立つ。

「管理」と虐待(現時点で明言はできないけれど)のコントロールは異なるため、うまく過渡期に入れないまま歳だけ重ねてしまう。

スレッタの幼さに思い当たる理由は他にもあるけれど、ともあれ2クール目が楽しみとだけ述べておきます。

4月までに他にも何か書くかも。
書きたい。

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松岡ふぶき
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