そういえばnote100記事
連続100日ではなかったものの、いつの間にか100記事書いていた。
Blogは100記事から
なんて言われるけど、僕のようなスタイルで900文字前後の文章を毎日投稿したところで、人生を変えるほどのイベントは起こらない。それを目的に文章を書いてると挫けただろうなー。
僕のnoteは主に「自分の思考をまとめること」を目的に書いてきて、その目的は大いに達成された感がある。やはりアウトプットは偉大だ。もしかして誰かの役に立てたかもしれないし。
一貫して”心の持ち方”に関しての内容を発信してきたつもりだけど、自分で「習慣化が大事」「ブレないことが大事」といいながら、自分のnoteは20記事止まり・・・では信用もへったくれもないなと思い、続けている姿勢は見せたかった。誰にともなく。
”言っていることと、やっていること”は、強く意識して行動しないと簡単にブレる。きっと僕の発信していることの中にもブレはたくさんあるだろう。だからこそ自分の思考の確認のためにも文字にすることを大切にしてきた。そして、自分で言ったことを貫くことも意識してる。誰かに届く・届かないは別にしても、自分への約束のようなものだ。自分との約束って一番破りやすいから。
数字の魔力
「100」といった数字を目標にすると、クリアすることが目的になり、何のために書き始めたのか、という根本の部分が霞む。
10、100と桁が上がると確かに高揚感・達成感はある。これが非常にやっかいだ。満足感は危機感ややる気を凌駕するのかもしれない。どうせならゴールが無いというゴール設定の方が燃えるのかも・・・と思いながら100記事という達成感を噛みしめてしまう。
数字はあくまでも現在地だ。ゴール設定は確かに大事だけど、目的【何のために】を忘れてしまうと、そこに使ってきた時間は浪費ということになってしまう。「人生に無駄なことは無い」という意見に共感する部分もあるけど、やっぱり浪費って空しくなるよね。
僕はnoteを書くことで、自分の中の矛盾、心理、偏り、情熱、誇り、自信、そういったものをまとめたかったわけだけど、それは現時点である程度達成され、次にやりたいことも見えてきた。
noteを書きだした当初は、音楽活動にフォーカスした記事を書く予定だったけど、そもそも音楽とは人生だ。人生の一部に音楽がある。そう思いながら書くと、自然と自分の人生観を反映した投稿が多くなった。
ただこのまま行くと、読んでくれた人に対して人生を諭しそうな勢いなので、そろそろこの ”僕の人生観note” も幕引きかなー。他人に人生諭されるのってたぶん気持ちいいもんじゃないし。
もうちょっと音楽寄りの発信に戻ろう。気の向くままに。