アガサ・クリスティにハマった。
「ねじれた家」は、驚きの毒親ブーメラン。それに加えて、「彼女は、薬剤師として働いていたから、毒殺に関する知識も元々あった」という彼女の情報も目にした。人間関係の病理にも富んだ知識があったんだろう。近くにそういう人がいたんじゃないか?とも、勘ぐってしまう。ドロドロな人間関係、人間の弱さがダークに染まってしまう時、、、。この本を読むと、皮肉的に人生経験になる。。。世の中いい人達ばかりじゃないって気づくことも大事だから。
「春にして君を離れ」のジョーンのような人もいる。見かけたこともある。今では、こういう人と関わると生じてしまう「カサンドラ症候群」という言葉も目にする。これは、疾病名ではないから、通常は「適応障害」という病名になる。現在、2022年。この本が書かれたのは、1944年。もし、わたしがこの本を読んでいたら、、、。ああいう人に気づいたかもしれない。あっ、「アガサのジョーン」のような人、、って気づいたかもしれない。
Empathy (der Empathie)にかけているからと言って、悪い人ではない。だから、どうしようもないのだ。
ただ、ジョーンは、自分で、自分に、それに、気付いたのだ!!!
えっ!?
魔法かなんかに罹った?
わたしは、ただそのことに、びっくりした。
ありえない。現実には!!!!
いや、まだ本を読んでないから、決めつけるのは良くない。
どんな過程で気付いたのだろう。。気になってしょうがない。
この小説が書かれたのは、1944年。第二次世界大戦中である。
「相手と心から分かり合う」ことをあきらめた敗者が、自己の利益を確保するために採用する撤退戦略なのだ。という文章が持つ意味を深く考えてしまった。
アガサ・クリスティという作家の予知能力、「世の中がこれからどう変わるか」をすでに予兆していたかのような、この本の内容に驚きを隠せない。ジョーンの生き方が、戦時下における人々の生き方をも示唆しているのではないか。これは決してわたしの思い込みの解釈ではない。。。。かもしれない。
俯瞰的な視点、とは、、、。