さくらがないた
『もっとじかんがあればいいのに』と、いつから思いはじめたのだろう。
「早く寝なさい」母の命令に従わず、懐中電灯の燈りで布団の下で本を読んでいた時からだろうか。いや、違う。
成人になってから、海を渡る為に貯金してた3年間は、早く時間が過ぎれば!と、思っていた。
夕方、薄暗い夜が目に入ってくる。いま、わたしはひとりリビングにいる。リビングを覆う壁の一面はガラス張りだから、そこからは重々しい黒い夜しか見えない。カーテンは、ない。
カーテンはあったが、使っていなかった。「せっかく天気がいいのに!」と夫が直ぐ開けてしまうからだ。カーテンは開けられて、留められずにいる。子どもが寄りかかってそれを引っ張っぱる。かくれんぼに使って、友達と一緒に引っ張り合う。何度目かの修理の時、カーテンレールを外した。
おばあちゃんの家に行った時、子どもがカーテンを引っ張った。慌てて注意をしたのだけど、カーテンレールはビクともしなかった。「そんなことぐらいじゃ、壊れないわよ。」おばあちゃんが言う。「何十年も、修理したことはないわ。何人もの子ども達が、そこでかくれんぼしてたけど。」
だけど、ホコリが凄かった!もう、何十年もカーテンを洗っていないらしい。頑丈に出来てる分、取り外しが大変だと言っていた。「縫い目を切って外し、また縫って取り付けるのよ。もう、糸が見えなくて。」
うちはカーテンをつけない。景色が綺麗に見えるからイイよ!洗濯の手間も省けるし。夏の暑いときは、ブラインドを降ろすから大丈夫。
わたしはいま、ひとり。 リビングにいる。夕食の片付けを終えた。後片付けのお願いをされる前に、思春期の息子は部屋に消える。彼を追う様に、今日は娘も消えた。「earplug、見なかった?無くしちゃった。」と言っていた夫の姿も見えない。
「ママ、ヴァイオリン弾くからね!」と夕食の時、話したっけ。
もう〜ヘトヘト〜。。。でも、一曲弾きたい!
音が漏れないように、ドアをしっかり閉める。照明を落とし、楽譜スタンドだけを照らす。
薄暗くなったリビングに、家の前の街路灯の光が刺すように入ってきた。わたしは瞬きをする。眩しすぎる。眼に、針に刺された様な痛みを感じた。「電灯、そんなに明るくなくても、いいのに。」「もう、そんなに明るく、フル起動しなくていも、道は見えるしょ!」
っていうか、「やっぱ、カーテン欲しい。。。」言葉を飲み込んで、一曲弾く。
あるフレ-ズに入った時、わたしの傍にいた、さくら、まだ10ヶ月の仔犬が、遠吠えした。
窓の外に向かって。空に向かって。
初めての遠吠。誰もまだ聞いたことない。そして、その後も、誰も聞いていない。
さくらがないた。
そのさくらの刹那い旋律と、わたしの心音が連弾する。
Chopin Etude OP. 10-3