天才と運
天才はできるんでしょ
11歳になる息子に勉強を教えていたとき、どうしてもできない問題がありました。くり返しやろうとすすめる私に「できないんだから、もうやったってむだ」という彼。普段、彼が野球に勉強に頑張っていることは、よくわかっています。甘えてるんだとわかっているからこそ、こう諭しました。「くり返しやらないとできないよ。いきなりできることなんてないよ」と。
「天才はできるんでしょ」
と、最近マンガで天才という存在に気づいた彼は言う。「いやいや、はじめて野球やって160キロ出るみたいな話はないから」
私は運がよかっただけ
歌舞伎をやめてから、色々な仕事を経験して、これまでお会いできなかった方々とお話する機会をいただきました。一代で大企業を作り上げた創業者、世界的に有名になったアーティストから、今を楽しんでいきいきとしている文筆家、写真家、会社員の方まで。
歌舞伎という限られた世界で生きてきた私には、自分の人生を作っていくという感覚が希薄でした。だから、道を切り開いてきた彼らの話を聞くのは、いつも新鮮で面白かったのです。そして「このひと、やばいな」(ほめています)と思うひとが、必ず口にするひと言があるのです。
たとえば、自分が社長室に所属して仕えていた不動産会社の会長は、バブル崩壊やリーマンショックなどをかわして、今の大企業を作りました。その話を語った後、決まってこういう言うのです。
「俺って運がいいんだよね」
正直、この手の自慢話は成功者ではよくあるので、それだけではどうということもありません。ただ、自分は知っています、彼があらゆる手を使い情報を集め、対策を練り、実行に移しているかを。
たとえば、好きなことを追い続けて、それを仕事にした女性がいます。男性しかいない社会に飛び込んで、地位を築き、独立する。彼女と飲んでいるとぽろっとこういうのです。
「たまたま運がよかったんだよねー」
でも自分は知っています。
いっぱい泣いてたけど「くやしいから、やめてやらない」と言っていた彼女を。
いやいや、無茶苦茶努力してるから!
努力が必ずしも報われるわけではないという残酷さ
成功した時点からふり返ると、どうしてもそれまでの努力や苦難があって、必然そうなったと思いがちです。私が彼らと話していて感服するのは、「努力をしたからといって、必ずしも報われるわけではない」という当たり前の残酷さを知っている。だからこそ、今の自分を「運が良かった」と言い切ってしまえるところです。
鐘が落ちてくるまで上で止まって待ってるんだ
私が落ち込んだときに見返す映画に「能楽師」があります。観世流能楽師の関根祥六さん、祥人さん、祥丸さんを追ったドキュメンタリー。特に自分が大好きなのは、関根祥六さんと祥人さんが「道成寺」の鐘入りについて話す部分です。
この演目には、主役が落下する鐘に飛び込むシーンがあります。(うまくいくと、演者が中空に消えたようにみえる演出なのです)跳躍する主役と鐘を落とす後見。ふたりの息が合わないととても危険な場面です。(こまかい説明は省きますが、機会があったらぜひご覧になってください!)この会話の中に出てくる、主役の鐘入りの心得についての言葉がやばいのです。
「とにかく高く飛んで、鐘が落ちてくるまで上で止まって待ってて、落ちてきたら自分も落ちるんだ」
これだけ聞くとわかりにくいかもしれませんが、やばいのは「上で止まって待ってて」の部分です。え、鐘が落ちるまで上で止まって?空中浮遊でもできるんですか?
正直、この言葉にうなずき、笑いあうおふたりが怖いです。(くり返すようですがほめています)
運をつかむには、続けるしかない
私がこの部分をくり返し観ていつも心に刻むのは、「鐘が落ちてくるまで、飛び続けるしかない」という言葉です。鐘を落としてくれるのは、信頼する後見だとしても、ちゃんと鐘を落としてくれなかったら?必死でパフォーマンスを続けてきて、クライマックスを他人の手に自分をゆだねて待つ。尋常の境地ではありません。
必ずしも努力は報われない。でも報われたひとは必ず努力している
この残酷な事実に抗う希望の光を、この言葉に見るのです。私は空中にとどまることはできません。だから自分にできるのは、いつか鐘が落ちてくると信じて、飛んで飛んで何度でも飛び続けること。
天才とは、あたりまえに続けることができること
そしてこの言葉は、天才と自分の差もあきらかにしてくれます。きっと天才とは、鐘が落ちてくることをまったく疑うことなく、飛び続けることができるひとのことなのです。やばいひと(くどいようですが、ほめています)は、自分では努力と思わずに、ひたすらに何かに打ち込みます。止めたら死んじゃうかもってくらい、ずーっと続けます。(苦労しないという意味ではないです。ご本人もふくめ、周囲のひとも、とても大変な思いをします、でも止められない)
「とにかく高く飛んで、鐘が落ちてくるまで上で止まって待ってて」
自分に凡庸さを思い知らせてくれる、と同時に凡人の生きる道を教えてくれる、大好きな言葉です。
才気(あるいは狂気)を感じる言葉
自分は現在、トークイベントなどで対談相手として、さまざまなやばいひとたちとお話をさせていただいています。そのとき、どうしようもなくうれしくなるのは、思いがけない才気(むしろ狂気かも)を感じる言葉に出会ったときです。そのとき心がけるのは、その意味がお客様に伝わるようにすること。というか、その異常さを誰よりも楽しんで、自分の視点をお客様に共有することです。
そんな想いで、私は彼らの言葉をお客様にお届けしています。
と、ここまでまとめておいて何ですが、たまーにほんとうに空中で止まることができる天才っていますよね。その種の天才は、残酷にしかもあっけなくひとの努力や想いを打ち砕くので、できれば出会いたくない。でも、彼らの言葉は、さらにぶっ飛んでいるのでたまらない(笑)。
冒頭のお話に戻れば、息子には天才に出会うことなく、ほどほどでいいので、楽しく飛び続けてほしい、親としてはそう願うのでした。