「色気」について考える 其ノ三 ハレの日の色気
みなさん、こんにちは。 銀座 蔦屋書店で日本文化の担当をしている佐藤昇一です。
このnoteは、20年近く歌舞伎の舞台に立っていた、変わった経歴の本屋さんが書いています。めずらしいものをみつけたと思って、お付き合いいただけるとうれしいです。
前回までのまとめ
今回のお話は、「色気」について考える 其ノニ 忍ぶれど......の続きにあたります。 歌舞伎の世界から足を洗って少し経った頃(本屋さんになるもっと前)、美容師さん向けの媒体「cocoa paper」で「色気について」というお題で連載をはじめることに。
それから「cocoa paper」が休刊するまで1年間数か月、5回にわたって「色気」について考え続けました。その第3回目の記事を掲載します。お題は「ハレの日の色気」です。さて、どのような「色気」について語っているのでしょうか?
ようやくお店が再開しまして、そのドタバタでなかなか新しい投稿ができませんでした。ごめんなさい。まだ出勤時間は限られていますが(事前にメッセージをいただけると確実です)、ぜひ、お店にもいらしてくださいね。感想をお聞かせ下さるとうれしいです!
其ノ三 ハレの日の色気
役者時代は決まった休日がなく、前もって予定を立てられなかったので、友人の結婚式や披露宴には、ほぼ出席できませんでした。芝居で自分によい役がついたおりには、みんな都合をつけて観に来てくれるのに、彼らの「晴れ舞台」をお祝いできない。いつも歯がゆい思いをしていました。ですので、芝居の世界から足を洗った今、友人たちのお祝いの席には、できる限り参加するようにしています。
「晴の席」
さて、こうした祝い事を「晴(ハレ)の席」と呼びますが、この「ハレ」は「表立って、はなやかなこと。正式・公式なこと。はれがましいこと。」(大辞林第三版より)という意味です。反対語は「褻(ケ)」。その意は「改まった場合ではない、日常的なこと。普段。平生。」(同著より)です。つまり「晴の席」は、日々の営みに対して、晴れがましい正式な行事ということになります。
前回、「色気」には「隠す」ことが大事だと書きました。たとえば、普段下ろしている髪を上げた時にのぞく「うなじ」のように。そこから考えると、「晴の席」と「色気」は結びつかないと思われるかもしれません。実は自分もそう思っていました。陽のあたる晴れがましい場所に色気は無縁だと。
発露する感情の豊かさ
しかし、結婚式や披露宴に出席するうちに、その考えが思い違いであったことに気づきました。自分が目を見張ったのは、式場の飾リつけや列席者の装いの華やかさではなく、会場に発露する感情の豊穣さでした。娘は日ごろ言えなかった想いを伝え、普段寡黙な父親は涙ながらに語る。あまりにもそれぞれが特別であるがために気づかない、日常隠されている想いがあらわになる「色気」ある瞬間が「晴の席」には、確かにある。そう惑じました。
すべての色を消した美しさ
これを『色気』と呼ぶのは難しいと思われるかもしれません。でもそういったさまざまな想いが色づき会場に満ちる中、静々と進む綿帽子と白無垢の花嫁の息を呑むほどの「色気」は、ご納得いただけるのではないでしょうか。他家に嫁ぐ寸前、「白」を纏うことで新婦はこの世のものではない存在となる。すべての色を消したその姿が、色彩のあふれるその場所で最も美しい。これが「秘する色気」のひとつの極みと言えるでしょう。