施餓鬼法要
両親の眠る菩提寺より毎年この時期に「大施餓鬼法要」があり、今までは行かなかったのだが、今年初めて参列してきた。
通常なら、他の寺からも何人もの住職が参列し大々的に執り行うそうだが、やはりコロナの影響で他からは呼べず、檀家の参加者も少ないということだった。
案内の封書には「大施食法要ご案内」とあったのだが、大僧正の挨拶で曰く〝施食〟などという言い方は本当は正しくないということ。
正しくは〝施餓鬼〟だと力説していた。
そもそもその意味も解らないまま、少しばかりのお布施を持っていけばもし
かしたらご利益があるかもしれないと、淡い期待でお祓いを受けてきた。
住職にの〝施餓鬼〟の説明によると、「皆さんのご家庭の亡くなられた方々
の様にきちんと弔われて成仏出来た仏様には必要ありません。戦争や災害な
どで亡くなり、弔ってもらえず成仏出来ないでいる人たちを餓鬼道から救う
ための法要なのです」。
シンプルに解りやすく言ってくれたのだろう。ネットなどで調べてみるとい
ろいろな意味があることが解った。
今年初めて参列してきたことには、目に見えないものに対しての畏敬の気持
ちが自分の中に少しずつ大きくなってきたようにも思う。
「コロナ禍」がすでに半年以上も続いているのに、人間はてをこまねいているばかりだ。
拝んだり、祈ったりですぐに何ともなるものではないだろうが、すがりたい気持ちにもなる。
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今日8月12日は日航機墜落の日にあたる。
520人の尊い命が失われた、日本の航空機事故史上最悪の事故となった。
あれから35年になる。
忘れてはいけない。
亡くなられた方々にあらためてご冥福を、ご遺族にお見舞いを申し上げる。
合掌