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まだ距離が測れない

 私は階段が苦手だ。

 物心ついたときから階段を上るのも下るのも苦手だった。上る際には爪先が段に引っかかってつんのめってしまうし、下る際には次の段との距離が測れず、ガクンッと転びそうになる。かかとの高い靴を履いている日は、いつも以上に緊張する。階段を見かける度に背筋をヒヤヒヤさせているのだから、私の寿命は少なくとも2年分くらい縮んでいるのではないか、マジで。

 遡ること幼稚園、担任の先生に「階段を手すりナシで下れないと、幼稚園を卒業できないよ」と言われた。先生の「苦手を克服させたい」という意図は察したが、「階段が苦手なのって、ちゃんとヤバいんだな~。」とショックだった。

 いいじゃないか、別に。手すりがなかったら壁を頼りに下るし、何も掴まるものがなかったら慎重にゆっくり下るよ。それじゃダメなのか。都会の喧騒を生きる人々は階段を爆速で駆け下りているけど、危なくないか。もはやエスカレーターでも走ってる人いないか。…というか、それが普通みたいな雰囲気あるよね。それに比べたら、私ってば身の安全に注意できてる優等生じゃない?

 どうなの???????





 まぁ、わかるけど。何もしなくても無事に階段を下れる人と、手すりに掴まりながらフラフラ下ってるヤツなら、前者のほうが絶対いいに決まってる。

 今までに一番多く経験したヒヤリは、椅子の持ち運びだ。学校で総会や式典がある際には、教室の椅子を体育館まで持っていくわけだが、何度も転びそうになった。
 椅子を両手で持っているから手すりには掴まれないし、足元も見えずらい。そこで私は、体の側面を壁にズリズリ擦りつけながら下る、という画期的な方法をとっていた。現在も両手がふさがっているときに実践している。体に寄生虫が付着していて痒いときにも便利だぞ!
 椅子を持っているのだから、生身で階段から落ちるよりもダメージがでかそうだ。受け身は取りづらいし、前に人がいた場合、事故に巻き込んでしまう。「あばら骨が内側にクシャクシャッと折れるかも」「椅子の足が尻穴から刺さって体がまっすぐな状態で固定されるかも」「背もたれが顎にぶつかって歯の神経が全部死ぬかも」みたいな最悪の事態を想定しながら階段を下っていたため、下り終わった瞬間には汗がどっと噴き出ていた。他人からしたら「大した運動もしてないのに、何でコイツは顔真っ赤にして汗かいてるんだ?」と思われたかもしれない。いや、そんなこと思わないかも、どんくさいな~って思われたくらいか。人間って案外他人に興味ないからな。最近は自意識が体の外側まで拡大してる気がするんだけど。誰か助けてくれ。

 そもそも、私は人や電柱などの対象物と距離を測るのが苦手だ。人との距離を測れないとは、誰彼構わずダル絡みをするという意味ではない。いや、そうかも。私かなりめんどくさい人間だしな。
 とにかく物理的な距離を測るのが苦手なのだ。人と会話をしながら歩いていると、どんどん幅寄せして相手の進路を塞いでしまうし、肩パンしたり足を踏んでしまう。私なりに分析すると、その人に意識が向いているため、自然に体も相手の方へ近寄ろうとするのではないか。…うーん違うかも。以前、目隠しをしてまっすぐ歩くチャレンジをしたら、めちゃめちゃ左斜めに進んでたからなぁ。
 前から歩いてきた人を避けるのも苦手だ。狭い道や人混みでもないのに、人と正面衝突することがしばしばある。スマホを見ながら歩いているわけでもない。完全に相手と目が合っているし、お互いに「避けます避けます、すみません~」みたいな雰囲気も出していた。それなのにぶつかる。相手は「なんで?」とでも言いたげな顔をしていた。私もしていたと思う。

 私の場合、視力の弱さが距離を測れない原因になっていると思う。本当に目が悪い。両目とも0.05しかない上に激乱視だ。暗闇で『かいけつゾロリ』シリーズを読み漁っていた小学生時代の自分を呪う。7歳の私、ゾロリは明るい場所で読んでも面白いから、今すぐやめよう。というか、やめろ!いや、やめてください!!!21歳の私は今すっごい後悔してるよ!!!!!
 裸眼だと視力検査表の一番上のCすら見えない。私の場合は、看護師さんが大きなC形のパネルを持ったまま少しずつ遠ざかっていき、どこが欠けているのか判別できなくなった距離で視力を測定してもらっている(のだと思う。専門知識がないから正確なことはわからないけど…)。

 私は風呂の中でも眼鏡をかける。風呂で眼鏡が必要な状況なんて、毛を剃るとき以外は基本的にないと思うが、視界がボヤけるのが不安なのだ。「レンズが傷むからやめろ」とかいうツッコミは勘弁してほしい。10年以上は世話になっているわけだから、眼鏡の取り扱い方法ぐらい心得ている。「そもそも曇って見えないだろ」とかもね。野暮だから、本当。
 とにかく、寝るとき以外はコンタクトや眼鏡なしじゃ生きていけないんだ。生きていけない、というのは誇張ではない。真剣に命に関わる。

 星野源のエッセイ『そして生活はつづく』には、「コンタクトや眼鏡を外して街に出ると、新しい発見がある」「手触りや匂いを意識しながら野菜を買う」「コンサートでは、あえて度が合っていないコンタクトを着用する」というエピソードがあった。
 いや、すごいな。見えづらい状況を楽しむ余裕があることがすごい。思い切って大胆に行動したら上手くいくもんなのか。「おっ、案外悪くないな」って思えるのだろうか?どうしても私は「ちょっとの段差で転んだり、フラフラ歩いて街路樹にぶつかったり、ピントを合わせるために目を細めたせいで極悪人みたいな顔になったらどうしよう〜!」と不安になってしまう。
 大成する人間は、こういう小さな心配をする前に行動するのだろうか。気になるから誰か試してみてほしい。私は怪我したくないから多分しない。



 とまあ、ここまで日記とは名ばかりに普段の思考を垂れ流しで書いてみたが、「しょうもないことばっかり考えてるなー」とつくづく感じる。いや、しょうもないことを書くのが日記なのかも。合ってるよね?????ありがとう!!!!!!
 この日記を書いてる間に、卒論のテーマ決めとか企業研究とか資格勉強とか、もっと有意義に時間を使えた気がする。大学3年生って本来忙しいものじゃないんですか?私が計画を立てるのが苦手なだけかも。その日暮らしで生きてるし。昨日の夕食に何を食べたのか覚えてないし。明日の予定は明日決めるし。なんなら明日地球が終わっても後悔しない生き方してるし。

 うそ、後悔するかも。まだアフタヌーンティーもナイトプールも行けてない。もし本当に終わるのなら、テレビを消す感じで一瞬で終わってほしい、プチンって感じで。熱いのとか苦しいのは結構イヤかも。

 「追い詰められるまでやる気が出ない」って、一体いつまで通用するんですか?誰か教えてほしい。未来の自分に期待しながら生きてるけど、ゆっくり自分で自分の首を絞めてるだけなんだよな。

 まぁいっか。自分を「無計画な人生における最終的な幸福度を自分の人生で実験している、努力の方向性がヤバい研究者」だと思い込んでこのまま元気に生活します。いずれ論文も出します、多分!

 またね!!!!!

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