ハワイの砂浜での談笑とダブルバトルの関係について
これは……話すと少し長い。きっかけはWCSがあったハワイでの出来事だ。
長年ゲーム部門の解説でもあり、ユナイト部門でも実況解説をやったりする男として、Refuがいる。この男のフィジカルは完全に意味不明で、実況も解説もどちらもサラっとやってしまうし、長年ゲーム部門の解説を続けている人間のポケモンへの造詣が深いことは言うまでもなく、家に帰れば子供を育て、そしてそれらを普通に働きながらこなしているのが恐ろしい。WCSロンドンでは「時差の関係がちょうどいいので、空き時間にホテルでリモートワークできる」等と気が狂ったことを言い出し、それで実際にリモートワークで会議していたらしいのだから、これはもう僕とはまったく別の生物だと思っている。
そのRefuと、WCSの終わった次の日、ハワイの砂浜で談笑していた時のことである。彼が言うに、ゲーム部門は大会の頻度も限られているので、特にこのWCSの直後というのは、モチベーションを維持するのが中々難しいと。確かにユナイト部門はありがたいことに一年中何かとイベントがあるわけだが、ゲーム部門の大きな大会は一年に一回しかない。他にもまあ色々な理由があって大変なことが何かとあるのだけれど、そういう時にモチベーションをどうもっていけばいいのか、と、妙に真面目な相談をされてしまった。このとき、ハワイの海が妙に綺麗だったのを覚えている。ゲームを跨げばキャスター的年数の長めな僕であれば、何かしら知見があると思ったのだろう。
長年やっていると仕事のモチベーションが常に高いわけでないことは、僕は仕方がないことだと思っている。僕たちは人間だ。それはもちろん理想を言えば、イベントがあろうとなかろうと、面白い別の新作ゲームが出てきた時であろうと、年中そのゲームを愛し続けて時間を注ぎ込み続けることこそが、そのゲームにおける理想のキャスター像ではある。ファンとしてはそれを望むのは仕方のないことだし、当然だ。そんなことは勿論理解している。
実は僕も、自分の考える理想のゲームキャスター像に自分が程遠いことに葛藤していた時期があった。というか、一般人がゲーマーのある種の代表として人前に立つのだから、人生をそこにオールインするくらいには、熱意を持ち続けてほしいという、視聴者側としての、前近代的な考え方をする僕が、表舞台に出る僕を自縄自縛していた。
しかしまあ、結論から言えば僕には無理だった。具体的には、自分にとっては全然面白みのないアップデートが適用されたときに、どうやってもテンションが上がらなかった。正直に白状すれば、『DQライバルズ』の解説をしていた時、一度だけ、最高ランクに到達すらしなかったことがあった。その時はアップデートが僕にとっては面白みに欠けるものだったし、何より他に面白いゲームのリリースが重なっていた。
勿論、それでも仕事として最低限の準備は行って臨んでいる。普段の準備がプレイ時間を含めて100時間~150時間くらいあるとして、その時は20~30時間で済ませてしまった、という話なので、もらっている金額から考えれば非難されるほどでもないと思う。しかし僕はものすごい罪悪感と共に出演したことを覚えている。偉そうなことをSNSでさんざいう割には、自分はこんなにも怠惰で、非情熱的で、信念にかける人間ではないかと。
しかし、ふたを開けてみれば、普段の自分からすれば圧倒的に準備不足であるにも関わらず、評判は決して悪くなかった。これが僕にとっては衝撃だった。わかっている人にはあるいはやりこみ不足が伝わっていたのかもしれないが、多くの人はそんなところをさほど気にしていないということに、そこで気づいたのである。どちらかと言えば僕が楽しそうにしていたり、驚いたりしているところに、人々は共感し、僕の仕事ぶりを評価していたのだ。
自分がすごく大事にしていた部分は、多くの人にとってどうでもいいことだったのだ。このことを理解したときに、僕の考え方は少しだけ変わった。キャスター的な業務を仕事として効率よく最低限の労力で最大限の結果を得ようとするのはどうしても僕の信条には合わないから、今でも出来る限り熱意をもって取り組み続けてはいるし、その熱意が伝わっている人も勿論いると思っている。とはいえ、長いことやっていればどうしたってモチベーションが維持できない時はある。そんなときはいさぎよく、そういう時もあると、自分を責めずにやることをやるだけの時があってもいいと、そう考えるようになった。
何より、続けていること自体が重要な時がある。どんなに低空飛行でも飛び続けてさえいれば、飛び続けていることそれ自体が評価され、大きな価値を生む時があることを僕は知っている。「歴史が感動を生む」とは僕がゲーム観戦の文脈でよくいう言葉であり、歴史が繋がっていることこそが、後から見るとすごく重要なのだ。
Refuさんにそんな話はしなかったけれど、一言、「まあそういう時はあるんで気負わずに続けるのがいいと思いますけどね」とだけ言った。付け加えて、「あとはやっぱ殺し合う(注:対戦ゲーマーが争うことの意)のがゲームのモチベ的にはいいんじゃないですか」的なことを言ったと思う。対戦ゲーマーは負けたくない性質を必ず持っているので、身近な人間と競争すると自動的にモチベーションを維持できる。
そこからのRefuは早かった。何度でも書くが、この男の行動力とフィジカルは意味不明なのだ。次の瞬間には「じゃあ9月のランクマは身内で戦いますか、一番順位低かった奴から血を抜きましょう(注:献血の意)」。僕としても、9月は暇な時期で、何かやれることが欲しかったので、すぐに乗り気になった。かくして、そこそこダブルバトルが出来そうな周囲の人間を巻き込んで、順位がもっとも低い奴が死ぬ(注:死なない)、ランクマッチチキンレースが開催されることとなったのである。
はっきりいって、この戦いに"対戦ゲーマーではない"田口尚平が巻き込まれた時点で僕の負けは万に一つもないから緊張感はないのだけれど、自分の性格的にこういうのはやれるところまでやりこみたい。なんというか、それが僕にとっての対戦ゲーマーとしての残されたプライドなのだ。
そして冒頭に戻る。この順位は出来すぎで、相手のポケモンのとくせいを調べながら戦っている僕にとっては望外の数字かつ、僕史上最高レートなのだが、せっかくの機会なのでやれるところまでやってみたいと思っている。
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