とはいえ、基礎学力は必要じゃね?
僕はあちこちで「学校は行きたければ行ったらいいけど、行きたくなければ行かなくていい」ということを言い続けているけど、そういう話をするとだいたいこういう反応が返ってくる。
「でも、基礎学力は必要じゃない?」
それに対する僕の答えはこうだ。
「その子が必要と思うなら、そのときにちゃんと吸収するから大丈夫」
生きとし生けるものはみな、生きる方向にプログラムされている。食べ物が必要だと感じれば、ちゃんとお腹が空いて、そのサインを出す。また、好き嫌いのセンサーによって、自分にとって今何が必要かということもちゃんとわかるようになっている。「パパ!うどん食べたい!」ーうちの4歳の娘はわけのからないタイミングでこういうことを言い出すことがよくある。朝ごはん・昼ごはん・夜ごはん…そんなことは関係なしに、ちゃんと必要なときにサインを出すのだ。
これは、精神面でもおんなじだ。生きていくために必要だと感じれば、ちゃんとその知識を欲するようになる。そして自分でその知識を吸収しようとする。これが人間を含むすべての生物に埋め込まれたプログラムだ。
この感覚さえ信じていれば、あとは何も心配する必要はない。自分たちで勝手に吸収していくのだから。ここで大人ができるのは、素材の提供くらいだ。
そうであるにも関わらず、今の学校教育ったら、何でもかんでも詰め込もうとして、もう見てらんない。子どもたちが「欲しい!」とも言っていないのに、無理やり口を開けさせて、好き嫌いも無視して食べ物を押し込んでいるようなものだ。そりゃあ子どもはゲボ吐くわ。そして結局何も吸収されない。
こんなことをいつまでも続けていてはいけない。僕たちは放っておいても生きるようにプログラムされている生物なんだから、その感覚をもっと信じよう。そして忍耐強く待とう。子どもたちは必ず、それが必要だと思ったときにサインを出す。そして自らそれに手を伸ばしはじめる。
そうやって吸収した知識は、ちゃんと血肉となって、本当に役に立つ知恵となる。逆に言えば、そうやって身に付けたものしか役に立たないと僕は思う。学習指導要領で、1年生はこれだけの漢字を覚えなければならないとか、5年生になったらこれぐらいの計算はできないと…なんて決められてしまっているけど、そんな‟外的”な基準なんて、もうまじで見て見ぬふりしておけばいい。あなたにとって、今何が必要かということは、あなたにしかわからないのだから。