ここまで一緒にいることになるとは…手織りとの出会い
引き続き”自己紹介シリーズ”書いていこうと思います。
https://note.com/chomo_hirary/n/n53a54e2209c3
(ちなみに前回はこちら)
ファブリッククリエイターとして、機織りに勤しむ毎日。
私もここまで手織りまみれの毎日を送ることになるとは正直思っていなかったのですが、毎日をここまで素敵に彩ってくれる手織りと出会えて本当によかったと思っています。
そんな手織りとはどこで出会ったのか。
どんな環境で生きていくことになってもこれは続けたいなぁ、と思える存在とはどこで出会ったのか。
今回はそんなお話。
痒いところに手が届く学校を発見
卒業した後は、東京でものづくりを学ぼうと決めていた高校3年生の私。
関東ではあるものの田舎のここでは、得られるものが少ない。本当にものづくりがしたければ、色んな作品に直接触れる機会や、刺激に溢れている東京で学ぶべきだ、と言ってくれた当時の先生には感謝しています。
ただ困ったことに、どの分野を勉強して何を作りたいのかはちょっと曖昧で、その頃はパソコンで絵を描くことに熱中していた為とりあえず延長にありそうなグラフィックデザインを勉強してみようかな…、といった感じでした。
そういった分野の専門学校なども悩みつつ…、専門的にそれだけを勉強していくほどグラフィックデザインがしたいのかと言われると、ううう~ん…。
もちろん勉強したいけれど、興味はほかにも色々あったのです。クラフト系のものづくりだって気になる!
今の時点でグラフィック系と絞ってしまうのは、自分にとって嫌な予感…。
入学して勉強してみて、自分が違うと思えばそれはそれでいいと思うのですが、その判断の為に時間とお金を使えるほどの余裕はありませんでした。
悩みながらカリキュラムと睨めっこしていると、あるじゃないですか別の分野のものづくりを並行して学べるシステムの学校が!
こ、これだーーーー!!!!!!と思いましたね。
無事にグラフィック系のデザインコースと、他コースとを同時に勉強できる環境をゲットできました。
グラフィック系が『画面の中でものづくりをする作業』なら、同時に勉強するのは真逆の『素材を実際に触ってものづくりをする作業』をしてみたいと思い、
そして選んだのがこちら。
テキスタイルデザインコース
ここでは、糸・布に関する色々な基礎知識&技法技術が学べました。
藍染などの染色、マクラメなどのクラフト技法、シルクスクリーンなどのプリント技法…。
その中のひとつに”機織り”がありました。
今の制作に強く影響しているのが『自然の造形をテクスチャとして捉えて織りで表現する』という内容の授業なのですが、これが本当に面白くて。
私は、水面・いちごの果肉・砂利を織りで表現しました。
水が盛り上がったりぶつかったりを繰り返しながらさらさらと流れていく様子を表現するには、どんな織り方が適しているのか…ところどころ浮かせて織ってみようかな?など…。
太陽を受けてキラキラ光る様子を金糸を使って表現してみよう!など…。
経糸と緯糸をどう組み合わせるのか。どんな表情の糸を選べばより表現できるのか。
もちろんやり方も正解もどこにもないですし、自分の発想ととりあえずやってみようの積み重ねですよね。
経糸と緯糸で組織を組むという織りの基本や、織機自体の知識などを座学で学んで、いざ織ってみましょう!となって一発目がこれだった気がします。たぶん。
基本の中でどれだけ自由に表現できるか、というのを感覚と実践で学び取った瞬間です。
その後、組織図を自分で組んで、模様を織る授業もありました。
綾織りやワッフル織りなど色々ね。
これは模様を出すためには経糸をどう張って、緯糸をどの順番で通していくのかが決まっています。
逆にそこで自由に走ったり、間違えてしまうと模様になりません。
このね、両方の方向性から手織りをさせてくれる授業の構成が最高でした!
何織りとも名前が無いような、自由に糸を組んで形作っていくのも手織り。
〇〇織りと名前がついている、糸の組み方に決まりや規則性をもって形作っていくのも手織り。
恐らく後者だけに触れていたとしたら、今の私のスタイルにはならなかったし、手織りはこうだよって断言しちゃうような固定概念の塊になってたかも。
経糸って一本一本隙間なく通さなくちゃいけないんだよ、とか。
柄を作るならもちろんね。でも手織りをする上ではそうじゃなきゃいけないなんてどこにもないんだよね。
それを最初から感覚で掴ませてくれた授業に出会えて、この学校を選んでよかったと思います。
私にとても合っていました。
グラフィック系のコースを選択していたおかげで画面として捉えて構成する力もついて(た、たぶん)、より一層手織りという糸のキャンバスでの遊び方に深みが増したように思います。
平面を作品作る分野と、立体を作品作る分野とを専攻できて、結果めちゃくちゃ良かったです。
好きだったな~あの学校。無くなっちゃったんですが…。本当に勿体無い。
でも今でも授業も制作の日々もずっと胸に残ってますし、これからもそう。
授業のノートもポートフォリオも、先生や友達からの講評の言葉も、全部全部大事に仕舞ってあります。
ブランドのコンセプトにある『心も豊かに』という部分は在学中に生まれた制作コンセプトでもあります。
その辺りはまた次に語らせてもらおうかな。
コンセプトについてはついつい熱くなっちゃうから、長いのよ…笑
そう、コンセプトがある意味もテキスタイルデザインコースの授業で学びました。
もちろん、ただ単純に面白そうだからって理由で制作するのもアリで、むしろアートという面ではその勢いの方が大事な部分も多いと思うのですが。
それだったら極端な話、大学に通わなくても制作できちゃうよね。
大学で制作をするということは、技術や技法だけじゃなく、制作に対しての自分の考え方や、アプローチの仕方や、それらがどう評価されるのか。作品を制作した先をどう捉えていくのか。
まで意識していくことが求められるし、それを学ぶ場だとも思ってて。
とくに私が選んだテキスタイルデザインコースは、コース名に”デザイン”とあるからには作品を通して伝わるものの為にデザインをしなくちゃいけない部分が発生するのですが、それをちゃんと意味づけてくれるのがコンセプトという存在だな、と。
作品を作る上で糸と向き合ってる時も、コンセプトがあるのとないのじゃ全然違って、この辺りも私は合っていたように思います。
作品の説得力も違う。
でも、作品+コンセプト(言葉)の状態によって、なにより大事な制作の楽しさが損なわれたり、動きにくいようなら本末転倒すぎるとも思いつつ。
よく学生の頃は悩みましたね…。
先生に「その素材である必要はあるの?」とか「それってその技法でしか表現できないことなの?」って聞かれる度に、うおおお…うおおお…!!と頭を抱えたりね。懐かしい。
制作に対する文字の起こし方が学べたのも、結果めちゃくちゃ良かったです。
ということで、無事に卒業したあとも授業で学んだことを活かしつつ、テキスタイルに関わる仕事をしています。
これからも沢山織っていきます!
ぜひ見守っていただけると嬉しいです。
それでは、また。
chomo/ひらりー