アンストイックダイアリー 3
「オレ、彼女がいるんだけど…」
「そんなこと関係ないよ。だって、ミキとエースケはここで別れたら二度と会えないでしょ」
なんて少々こちらが怯んでしまう位に悩ましげな表情で目などつぶってみせたりするのである。
うおっ、これは動物学的に言うお頂戴行動じゃないか。
オレは彼女の唇にそっと指先で触れながらこう言った。
「じゃあ、来月もう一度来るから二人で温泉にでも行こうよ。ミキも明日は乗務でしょ?楽しみは来月まで取っておこうよ。な!それにもう夜が明け始めてる。」
彼女の名前はミキ。
20歳のバスガイドだ。
なにかこう、色気の漂う感じの、つまり、すごく可愛いのだ。
出会った経緯は、オレが当たりに行った結果なのだが―
なんで札幌にいんの?
早朝七時前、日本最北の政令指定都市は、まだ朝靄に煙っていた。
寝起き眼をこすった時のような、ぼんやりとした風景の中で、行きかう人々はまだまばらだった。
バスターミナルの二階に位置する広場で腰を下ろすと、9月の上旬としては肌寒い空気が、列車で二連泊した体へ重くのしかかってくる。
二日前の夜、新宿発の夜行列車に乗り、翌朝より新潟、秋田、青森を経由し、青函トンネルを抜けて函館に到着した後、さらにもう一晩かけ、先程到着したのだった。
「寒いし腰痛ぇ…。」
生まれて初めての夜行列車、ムーンライト越後号は、グリーン車の座席を標準装備としているとかで、きわめて快適な時を過ごすことが出来た。反面、函館からの夜行列車、ミッドナイト号は、特急型車両ではあるものの、はっきり言って狭く、この種の夜行列車特有である時間調整のための長時間停車の際に、ミッドナイトの動力源であるディーゼルエンジンから排出される排気ガス臭が車内に入り込んでくる為、深夜バスなどの比にならないほどの悶絶空間と化していたのだ。
「ダメだ…今日は宿を取ろう。」
オレはいま札幌にいる。
有給休暇を使って、いわゆる夏休みを満喫しているわけだ。
どんな満喫かというと、旅と、異(性)文化交流を人生の肥やしとし、将来に悔いの残らない独身満喫まっサカリ…というのが正直なところ。
おいおい、お前は今年で何歳なんだ?と、突っ込まれても、あーオレは24歳さ。
見た目も、もう二、三歳若いんだから気分はそれぐらい。いや、気分は完全に中2から変わらず。
恥ずかしくなんか無いぞ!それに見知らぬ土地で頼りになるのは当然地元の人だし、情報提供を呼びかける相手としてナゼ男を選ばなくちゃいけないんだ?オレはオンナの子と話がしたいんだ!開き直る訳じゃないけどそーなんだ!
しかし、表向きはストイック旅行ということになっている。
ストイック旅行とは、言わば単なる青春18きっぷ旅である。これは楽しい。
きっかけは、二年前に同じようなことをしたことだ。
もともと、青春18きっぷというものの存在は知っていた。
けど、多くの人が誤解しているのと同じく、オレも、購入資格が18歳でなければイケナイものだと、疑うことをしなかったのだ。
そんなオレは18歳当時のオレの無知さを何度呪ったことか。しかし、実際は違った。当時付き合っていた彼女が大学時代によく青春18きっぷで実家に帰った。ということを言っていたからである。
「じゃあ、オレも旅に出られるの?」
「旅でも通勤でも使えるよ。夏の決められた期間で、普通乗車券の一日乗り放題が五枚綴りになってるのが青春18きっぷなんだから」
最高の気分だ!はじめて飛行機に乗って福岡へ旅したときの興奮がよみがえって来る。
「じゃーさ、夏休みはどーせ日程が合わないし、オレ、青春18きっぷでボーケンの旅に出てもいいかな?」
「いーよ。そのかわり、ちゃんと帰ってきてね!」
「それ、どー言う意味よ?」
「だって、二年前にアンタが同じように博多とか釜山に行って、それっきり前のカノジョと連絡取らないようになって、アタシに近寄ってきたワケじゃない」
「そーだったっけな?」
「そーなの!アンタはとにかく前科持ちなんだから、お土産買ってワタシのところに元気に帰ってきてね。で、どこに行こうと思ってるの?」
「やっぱ、遠くがいいな。電車で北海道に行って最北端の地を目指したい。あわよくば、船に乗ってサハリンなんかに行っちゃったりして。」
「なんでそう、ビミョーな海外に行きたがるの?」
「あんま人が行かないところに魅力がある。土地に魅力がなくても,ソコに行こうとするオレに魅力があるのさ」
「バカじゃないの」
「ホントはカッケーと思ってるクセに」
ホントは二年前と同じ結果になっちゃうクセに…。
その後間もなくオレには2つ目の前科がついた。
オレは札幌に到着した後、一泊をこの地で過ごし、その翌日早朝の都市間バスで稚内へ向かうことに決めていた。
稚内からは更に船に乗り、日本最北限の島である礼文島を目指していたのだ。
礼文島には夕方5時頃に到着したが、ひどいことにその後の行動が全く出来ないことに気付かされたのだ。
オレはレンタバイクかレンタカーで島の北端であるスコトン岬へ行くことを目標としていたのだが、夕方5時を過ぎると、それらの店は全て閉店してしまうのだ。
「信じられん。」
ギリギリで飛び込んだ店の店員が言うには、この地で宿泊場所の決まっていない旅行者には貸し出しを行わないというのだ。
車を宿代わりにされない為のようだ。
観光協会とグルなのかヒドイ仕打ちである。
こんなところに1円の金も落としてやるか!
と思いつつも、食事は船内で食べたピロシキ2個のみだったので空腹感はピークに達していた。
全く不愉快であるが、レンタカー屋の店員に地図を出してもらい、ここに行くにはどうしたら良いかと地図上のスコトン岬をオレは指差した。
「まさか、今の時間からスコトンまで歩いていかれるんですか」
「当たり前じゃないですか。こんな観光者に優しくないところは歩いてヤッツケるしかないでしょう。この8時間コースって書いてあるところは山の中みたいだけど、どうかな」
「止めた方がいいですよ。いくらなんでも暗くなってからでは街灯も無い林道ですし、ガレ場などもあって危険ですよ。それに西側の海岸沿いにある宇遠内というところは人も住んでないし、岩場で波が高くなると通行できないと聞いています」
「その場合は引き返せばいい。この島に獣は出る?」
「小動物しかいませんね。人を襲うような肉食獣や蛇などは生息していないんですよ」
「安全てことだね」
「お兄さんがやろうとしてることは全然安全じゃないですけどね。止めはしませんが気をつけてくださいよ」
今思えばレンタカー屋のこの店員はお人よしな兄ちゃんであった。
どうせ仕事はコレで終わりなのだから、この兄ちゃんにスコトンまで連れてってもらえば良かったのではないかと後で気づく。
レンタカー屋を出た後、港の駐車場に腰を下ろし地図を広げて進むべき道程を確認していると、今いる場所が島のほぼ南端の東岸に位置していることがわかった。島は柿の種のような形をしていて、その最北端が目指すスコトン岬である。島にはいくつかのハイキングコースが設定されていて、その8時間コースという一番長いコースが港からそのまま西へ向かう道路の途中を入り口とする林道をスタート地点としており、この道を選ぶのが一番妥当な線だろうとオレは踏んだ。林道の入り口までがおよそ2キロ。
ウニ丼という食べ物はこの礼文島が発祥の地だそうだ。
この日は朝からピロシキ2個である。このストイック極まりない食生活は我が旅に相応しいのだが、せっかくだからウニ丼でも食おうじゃないか。
さすがに時価と書いてあるウニ丼はどんぶり一杯にたっぷりと乗ったウニで埋め尽くされており、この上ない満足感を旅人に与えるのだった。
食事を終えて外に出ると、実はそこら辺の空き地で明日の朝まで寝てしまおうかとも思った。たが、ここまで来ての土産話がウニ丼だけだと、あまり格好がよろしくない。なんせ表向きはストイック旅行なのだから。意を決し、オレは歩き出した。
つづく