♯2 2022、有終の美になるかな?と思ったら
年末・・・激動だった中国のコロナ政策と上海での生活
久しぶりにNoteを書いています。
たくさん時間はあったはずなのに、色々言い訳してPCを開かなかった笑
さあて、何を書いてよくて、何を書いてはよくないのかいまいちわかっていないのですが、、、
報道にもある通り、2022年12月の上海はいろいろと政策の変化があって激動でした。
ウルムチでの火災から抗議デモが発生、全土でデモ活動激化
11/24、この日頃からでしょうか、ウルムチで発生した火災が中国のネットで話題に上がり始めました。
同時に、海外メディアがこぞって報道。
10人が亡くなったと地元メディアから報道されているこの火災ですが、
コロナ政策で隔離されているエリアから火の手が出た、隔離のせいで救助が遅れ助かるはずの命がたくさん失われた、というメッセージが広がり、
中国各地で火事そのものではなく、コロナ政策への批判としてデモが拡大しました。
私の住んでいる上海でも、上海市内にある日本語読みで「ウルムチ通り」という道沿いのエリアでは市民が集まってデモが行われていたそう。
大使館からの安全情報メールで知りました。
(もちろん近づかなかった)
その後もデモやA4の白紙を掲げる抗議活動(通称、白紙革命)が広がって、
それを阻止しようとする動画や揉み合いになる動画もたくさん拡散されました。
ゼロコロナ政策の緩和〜急な開放
その後・・・
12/7には陽性者の自宅隔離がOK条件付きで認められるようになり、
今までどこへ行くにも必要だったPCR検査の陰性証明を表すQRコードの提示か一部施設で不要に、その後、検査自体が必要なくなりました。
QRコード(健康码と场所码)の提示、読み取りが必要なくなった=移動制限がなくなったので、上海の街中には人が一気に増えました。
私も、地下鉄に乗るときや建物に入るときのスマホでスキャンして〜ガードマンに見せて〜のやりとりがなくなったのは快適でした^^
行動制限がなくなったのと同時に、12/12頃から身近な人たちで陽性になった、体調が悪い、という声が聞かれ始めました。
買い物に行っても、散歩に行っても、咳き込む人やぜーぜーいってる人が多い。
旦那さんの会社は在宅勤務に切り替え、中国語教室もオンラインに切り替え、イベントは諸々中止に…
結果的に、今回の感染爆発(公式には感染爆発は起こっていない)に
私は巻き込まれたのか、巻き込まれなかったのか。
今でもわからぬままです〜
ずっと、PCR検査は陰性。でも、微妙に体調が悪い。
年末から今日まで、鼻風邪とお腹風邪を拗らせてほぼ引きこもっております。
でも、食欲もあるし咳やのどの痛みはなし。
上海に来る前に9月に一度陽性になっているので、もしかするとかかっても軽かったのかな?
まあ、仕事しているわけでもないので仕方ないものと割り切って贅沢にだらだらさせてもらっています。
この時期に上海にいて、感じること
政策の変化に適応するのがとっても早いこと、
細かいことは気にせず一気に開放的になること…
あと、やはり人口がとても多いので負の側面が少し軽視されがちなのかも、ということ。
日本にいても、報道されることが世の中の全てではないけれど、
こちらで生活していると情報のフィルタリングはとても身近にあって、
気付けるものも気付けないものもたくさんあるんだなあ、と感じる。
日本とは物事を判断するOSが全然違って、優先されることも、
管理の方法も全く違う。
これだけの人口と国土を持って4000年?5000年?の歴史の中で「中国」を残して来れるのには絶対に理由があるな、というのをひしひしと感じます。
もちろん、大きい括りで中国と言っても中身は色々な人種やコミュニティの集まりな訳ですが…
コロナ禍に渡航して、生活していて、正直ネイティブの友達が作りづらい環境にいます。
だから、もっと深く色々な中国の人と付き合っていけるようになりたいな。
どうしてもコロナ禍に目が向きがちだった2022年
仕方ないことなのですが、2022年はずっとコロナのことが頭から離れない年でした。
7月に仕事を辞めて上海への渡航準備を開始、9月上旬に渡航予定だったのがそのタイミングでまさかの感染発覚で療養&渡航延期、
9/28に上海へ…7+3日の隔離を経て10月から日常生活開始。
11月から中国語学校に通い始め、12月は感染爆発で家の食材を溜め込むのに必死…笑
ネパール以来で、50Lバックパックを背負ってスーパーに行きました笑
上海の大都会で笑笑
中国の帯同ビザは就労が禁止されているので、ビザの種類を変更しないと働くことはできません。
こんな情勢で、いつ旦那さんの仕事の都合で帰国…ってなってもおかしくないと二人で話しながら、結局今は、仕事をすることや留学生ビザに変えて大学に行く…という選択は取らずに3ヶ月過ごしました。
中国…というか上海に来て3ヶ月。
コロナ禍がなければ、余暇だらけなのでたくさん外に出て、旅行して、
いろんな文化体験をして…と行きたいところですが、まだしばらく上海の外へは出られそうにありません。
せっかくの海外生活、いろんな経験をして、日本に帰った時に誇らしげに帰りたい…そういう気持ちもあります。
どうしても、ネパール時代との過ごし方の差にギャップを感じてしまう。
いつも、キャリアのこと、語学力のこと、自分の人生のこと、焦りが募ります。
もっと充実させなければ、というプレッシャーが自分の中にあります。
※人から言われているのではなく、自分から自分へのプレッシャー
反対に、「やらなければいけないこと」がない状態の生活に、
心地よさを感じている自分もいます。
自炊をしっかりする時間がある、思いっきりゲームができる、運動できる時間が増えた。
社会人になって始めて、自分の収入が無く旦那さんの収入に頼る生活になって、これ自体にはやっぱりまだなかなか慣れず…笑
旦那さんは駐在員なので、家族がいることを加味して会社からの手厚い手当はあるのですが、
どうしても「他の人のお金」で生きていることにプレッシャーを感じてしまう。
旦那さんは、ふたりのお金だ、っていうふうに言ってくれる素晴らしい旦那さんなのです。でも、私が慣れて無さすぎて。。。
これも、私がもっと慣れて、家庭の財政面でも前向きに生活していけるようになる訓練が必要だなあと感じます。
2022年は100点だった!と自分を褒めることにする
何が達成できたか、というとこれと言ってない2022年になっちゃったけど、
冷静になってみると、こんな大波乱のタイミングでようやく慣れた仕事を辞め、一人で引越し準備して上海に来た。
それだけでもう100点じゃないか、ようやった、と自分を褒めてあげることにします。
仕事を辞めることにはかなりの精神的・身体的にエネルギーを使ったし、
(こんなにすぐ辞めたのに、今でも連絡を取り合ってくださる会社の方々には頭が上がらない、、、)
子供がいないとはいえ、二人で生活していた浜松の家の海外・国内引越しの準備や手続きを全て一人でやるのはなかなか大変だった。
毎日情報が更新されていく中国の渡航情報に目を光らせて、
たくさんの手続きや病院通いを済ませて渡航できたのも、本当によく頑張ったと思う。
わざわざ今、このタイミングで渡航したって経験は絶対に生きてくると思う。
もちろん、家族や会社やその他色々な関係各所のサポートが得られたおかげなわけなんだけど、たくさんの「一人でやらないとどうにもならんこと」をクリアできたのは上々だったと思いたい。
2023年:「できない理由」じゃなく「できるための方法」、を探す1年に
目標、というわけでもないけれど、意識したいこと。
できない理由を探すより、できるようにどうすればいいか?を考えたい。
できない理由を探している時って、なんやかんや本当はやりたくないからってのが根底にあったりする。
そういう場合はもう、無理してやらん。
でも、興味があることを先送りにしている状態だったら、
せっかくの出会いや体験のチャンスを手放しちゃってる気がする。
それは勿体無いから、どうやったら実行できそうかな〜?っていうのをしっかり向き合って考えようと思う。
落ち込み気味の日でも、ふと外にでたら何かいい経験や発見があった、ってのはよくある。
だから、そういう小さなチャンスを見逃さない1年にしていきたいな〜^^