法秩序を守る職責
1992年12月、後藤田正晴(1914-2005)氏は宮沢改造内閣の法務大臣に就任した。
当時、リクルート事件による混乱や務めた法相自身の信条が重なり、死刑執行が約3年間行われていなかった。
後藤田氏は就任時の心境を御厨貴氏などによるオーラルヒストリー『情と理 後藤田正晴回顧録〔下〕』(講談社;1998年)でこう明かした。
就任会見の発言は波紋を呼んだ。なぜなら長期間死刑執行が滞っていたことで、死刑廃止を唱える人々の動きが活発化しており、刑法改正を要する廃止までは難しくとも、執行停止状態は作れるのではないかと「期待」する向きまであったから。
実際そうした考えのひとからの声が後藤田氏のもとに寄せられる。
後藤田氏は「死刑廃止論」自体を否定はしないが、かといって法務大臣の職責を放棄するのはおかしいと考える。
この後藤田氏と江田五月氏のやり取りは示唆的だった。後年江田氏は民主党政権下で法務大臣に就くが、在任中死刑執行の決裁をしなかった。恐らく「持論」との折り合いがつかなかったのだろう。
法秩序遵守の立場を堅持しつつ、後藤田氏は国民世論の動向を確かめた。
徳島県が選挙区の後藤田氏の手元に四国四県の県庁所在地の調査結果がたまたまあったとは考えにくい。恐らく法相就任時点でこの問題が懸案だと分かっていたから、伝手をたどってデータを集めたと推測する。
「結論の出ない問題」に向き合う覚悟
様々な目配りが済み、いよいよ死刑執行の決裁となった。
実際のプロセスを後藤田氏はこう振り返る。