F1世界選手権パーソナル・セレクション番外編①【ホンダマイルストーン】
本稿の意図はこちらに。
2020年限りで本田技研工業株式会社が母体のホンダF1は参戦を終了する。そこでホンダの輝いたレースを取り上げる。なおパーソナル・セレクション①~③にも1987年イギリスグランプリなどホンダが素晴らしい戦いを演じたレースは含まれているのであわせて御覧頂ければと思う。
1987年第4戦モナコグランプリ(5月31日)
ホンダエンジンモナコグランプリ初優勝。ここから1992年まで6連覇を達成している。また個人通算最多6勝をあげたアイルトン・セナにとっても初のモナコ制覇。
1987年第10戦オーストリアグランプリ(8月16日)
スタート時のアクシデントとレース後のマンセル頭ゴッツンの陰に隠れているが、ホンダエンジン参戦100戦目のレース。
高速マウンテンサーキットのエステルラリヒリンクはエンジンに厳しく、ホンダはそれまで優勝どころか、完走すら覚束なかったが、1-2フィニッシュで4台完走という最高の形で制する。
なお、第4期の初勝利は供給先のレッドブルの地元、エステルラリヒリンクを大改修したレッドブルリンクが舞台のオーストリアグランプリだった。
1988年第16戦オーストラリアグランプリ(11月13日)
1.5リッターターボレギュレーション最後のレースでホンダエンジン搭載車が表彰台を独占した。優勝のプロストはルノー、3位のピケはブラバムBMWで早い時期からターボエンジンと関わったドライバー。
2人がそれぞれの位置できっちりとレースをまとめた。
しかし、ピケの3位が名門ロータス最後の表彰台になろうとは。
1991年第15戦日本グランプリ(10月20日)
色々語るポイントのあるレースだが、通算2回しかないホンダ地元1-2フィニッシュ。マクラーレンに次ぐ第2供給先のティレルも中嶋悟は残念だったがモデナが6位入賞。またヤマハエンジン搭載のブラバムが5位に食い込んでいる(ブラバム最後の入賞)。日本のモータースポーツ受容史の到達点であり、バブル経済によって膨張したF1ブームのピークと幕切れだった。
1992年第16戦オーストラリアグランプリ(11月8日)
ホンダF1第2期最後のレース。正真正銘のベルガーの勝利。普段はポカもするがチームが困った時に勝つ運を持ったドライバーだった。ホンダV12のカン高くどこか寂しい余韻の排気音はいつまでも耳に残る。
アバンタイトルで過去の名ドライバーなどを紹介するのも本戦が最後だったが、ラストを飾るにふさわしい出来ばえ。ナレーションのスクリプト執筆を務めた高桐唯詩さんは2021年4月14日に72歳で逝去。