見出し画像

僕が死んだあともあの海はてらてらと輝くのだろう

 芸術家として生きていこうということは、真夜中にこれから先も見えないけど、舟を漕ぎ出そうと言うくらい無謀だった。ハンセン病療養所を3日間取材した。今回はIさんの生きた人生を辿るための取材だった。こんなことが、いつか誰かの役に立つのだろうかと、考えると一向に検討はつかない。だが、僕のためにはなった。

 Iさんという方は、とんでもなく暴れまわって生きていたからこそ、癩園に美談などあるものかと言い切れたのだ。彼には真理眼があったことは間違いない。彼が見た景色を、今の僕が見たことは、2019年に見たときとは、意味が違う。しかし、これを意味のある行為に昇華させられるのかはわからない。しかし、どちらにせよ、彼は歴史に自身としては何かを残さなかったが、間違いなく時代を動かした一人であるだろう。明石海人という療養所内でキチガイとまで言われた巨大な文豪と『白描』を共に書いた関係性は、僕と親友との関係性に似ている。天才には必ず、もう一人の天才がいるものだ。つまり僕がIさんを辿ることは僕の親友を辿るような気さえするのだ。だが、僕は決して明石海人の代筆だったから、彼を尊敬しているわけではない。ライ園に美談などあるものか と言い放つ、彼の言葉と批評精神に僕は感動するのだ。

 悲しい出会いもあった。Hさんという画家を僕は知っていた。歴史資料館に俺の作品を置くなと言っていたと聞いたが、彼は2020年に亡くなられたらしい。僕は彼が生きている頃に長島に訪れたが、彼が長島にいると思わなかった。彼の死後、設置されたギャラリーには彼の絵画が飾られていた。素晴らしい作品と作品数だった。芸術家は例え見向きをされなくとも、作り続けなければならないことをHさんは、人生を通して僕に教えてくれた。こんなにも僕の胸を打った人に出会えなかったことは不幸でしかない。

 Iさんはある意味では、僕に生きることの辛さと苦しさを、長島で見させてくれたのではないかと思う。てらてらと輝く海だけは、IさんもHさんも見ていたに違いないが、彼らを追悼するわけでもなく、ただ、てらてらと海だけが輝いている。僕もいつか、死んだあともあの海はてらてらと輝くのだろう。

作家の日記
2022.10.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?