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地元で起業日記 No,15社会との繋がりをもう一度

第三章 副業と私 

~起業準備から稼げるようになるまで~
僕は現在38歳で奥様と4歳の息子の3人家族。これから不確実な時代の中でも自分の力で稼げるようになりたいと地元で起業を目指している。起業準備中の今、なぜ僕がサラリーマンを辞めて地元で起業を目指したのかを過去を振り返りながら書いておこうと思う。そして起業前のリアルな試行錯誤を2週間毎に更新して、稼げるようになるまでの出来事や様子を書き留めておこうと思う。いつか僕と同じ様に自分の力で人生を歩もうとしている人に、少しでものお役立てば嬉しいと思う。早く稼げるようにならなければという焦りは勿論あるけれど、方向性を間違わない為に自分のrootsと向き合う事も大切。まず1年間を目標に更新していきます。 2023年7月8日スタート。

目次
■第一章 商売家系と僕(7回)
1,母の手伝いから
2,遊び場だった製材工場
3,配達と地域の繋がり
4,恩師との出会い
5,木の自由研究
6,おじちゃんおばちゃんが誇らしげに見えた
7,身近にいる素敵な人に磨かれた美意識

■第二章 営業と俺(7回)
8,大学を卒業して営業会社に
9,「ダイレクトセールス」ってこういう事なんだ(会えなきゃ始まらない)
10,反響案件はいりません!
11,24時間いつでも電話して良い上司
12,尊敬する社長との出会い
13,営業成績が上がる一方で
14,愚か者のメンタルダウン

■第三章 副業と私 (7回)
15,社会との繋がりをもう一度
16,もう一度「自分通知表」を書いて住宅業界に再就職
17,副業を始めたきっかけは比企起業大学
18,なんで国産材なんか売ろうとしているの?っ言われる
19,国産材を売る事の難しさ
20,こりゃダメだ!!地元木材業界の希薄な関係性
21,副業で学んだこと

(第四章 起業 7回予定)


【15,社会との繋がりをもう一度】
1年半の引き籠りから社会復帰、副業まで書こうと思う。なぜなら、自分のやるべき事についてめちゃくちゃ悩み、考えた大切な時期だからだ。
都内から帰る車の中、ストレスから発熱し体の震えが止まらなかった私は、母親の運転する車の助手席にいた。あまり記憶にないのだが、半年間一人暮らしの部屋から殆ど出られず、久しぶりに外に出た感覚だった。車内での数少ない会話を思い出す。
「俺は負けたのかな」っというと
母は「そんな事は言うんじゃない!」と怒った。
今だったらマジでそんな事思ったのか!?っと自分に言いたくなる。(笑)でも、その時はライバル営業マン達に負け誰も助ける事が出来ずに、挙句の果ては、自力で帰る事も出来ない情けない状況に本気でそう思っていた。
それから半年程、姉夫婦の家にお世話になり、外に出られず人に会う事が出来ない私は布団の中でずっと天井を見上げるという居候生活だった。姉の家で救われたのが、3歳と1歳の甥と姪の存在だった。保育園が休みの土日になると、ドアが勝手にあく、ちっちゃな2人がちょこんと顔を出す。何も反応しない私を見て、ドアを閉める。その数秒後またドアが開く。小さな子供にとって、当然人に恐怖心を抱いている私の感情なんかお構いなしだ(笑)
そんな生活を送らせてもらった後、築70年の雨漏りする空き家に引っ越した。この頃も身近な人に大変助けて頂いた。引っ越して半年程経った時、第一章でも書いた親戚の電気屋のおじさんとおばさんがリハビリを兼ねて週に1回アルバイトに来ないか?っと声をかけてくれた。まだ昼夜逆転していたし、人と顔を合わせるのが怖くて仕方がなかったので、かなり躊躇したが姉の勧めもありやってみる事にした。車を買うお金なんか無かったので、始めは親戚の方が貸してくれた原付でお店のある川越市まで1時間程かけて行った。高校生以来の原付で、これまた怖かったが、ゆっくりゆっくり原付を運転した。おじさんの電気屋は冷蔵庫や洗濯機、エアコンを設置したり、パソコンの使い方を教えに行ったり、時には電球交換をしに伺うまさに「あなたの町の電気屋さん」という感じだった。おじさんは面白い人で、トラックに乗りサングラスを掛けると、好きなカントリーミュージックをかけて陽気にお客さんの所に向かう。こんなに楽しそうに仕事をする人がいるのか!っと思った。そんなおじさんを待つお客さんもびっくりする程優しかった。ピリピリの職場しか知らない私には、はじめは信じられなかった。おじさんの携帯は頻繁になる、電話が鳴る音にさえ恐怖を感じる私の横で陽気に話す姿を何度も見ていて、私の感情の波が少しづつ動き始めたようだった。まるで心電図の心肺停止状態から生還して小さく波が打ち始めるように、フラット状態から抜け出せなかった私の感情が、小さく小さく揺れ出し始めていた。お客さんは高齢の方も多かったので電話が来れば電球一個から交換に行く。パソコンの使い方が分からなければ教えにいく。TVのリモコンの調子が悪ければリモコン交換に。週1回から始まったお手伝いは、数か月後に週5日のお手伝いになった。おじさんの優しさとお客さんの温かさに触れながら、少しづつ少しづつ人と関わる恐怖心が薄れていった。「人のお役に立つこと」で社会と繋る実感と安心感が私を救ってくれた。丁度1年間お手伝いをさせてくれたおじさんとおばさんには感謝してもしきれない。
ずっと感じていた空虚感を安心感が埋めてくれ、もう一度自分の心と向き合う時期が近づいていた。

【この2週間の取組】
・仲間と桧のお盆を製作した
・地元にオープンする「ときがわ食堂」に、仲間と桧のお盆を18枚納品させて頂いた。その後、これから頑張る仲間と、山を見ながら少し未来会議。
・地元の新聞店用の看板製作依頼を頂いた。
・設計士さんから、新築用柱をの注文を正式に頂いた。
・プレオープンしたキャンプ場の起業仲間とトイレ小屋打合せがじっくりと進んでいる
この2週間の案件は、全て地元ときがわ町内でものになった。全て人との繋がりから。お声掛け頂けることにもう一度感謝をして取り組んで行こうと思う。

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