地元で起業日記 第二章 営業と俺 ⑭愚か者のメンタルダウン
地元で起業日記 第二章 営業と俺 ⑭
~起業準備から稼げるようになるまで~
僕は現在38歳で奥様と4歳の息子の3人家族。これから不確実な時代の中でも自分の力で稼げるようになりたいと地元で起業を目指している。起業準備中の今、なぜ僕がサラリーマンを辞めて地元で起業を目指したのかを過去を振り返りながら書いておこうと思う。そして起業前のリアルな試行錯誤を2週間毎に更新して、稼げるようになるまでの出来事や様子を書き留めておこうと思う。いつか僕と同じ様に自分の力で人生を歩もうとしている人に、少しでものお役立てば嬉しいと思う。早く稼げるようにならなければという焦りは勿論あるけれど、方向性を間違わない為に自分のrootsと向き合う事も大切。まず1年間を目標に更新していきます。
第一章 商売と僕
①母の手伝いから
②遊び場だった製材工場
③配達と地域の繋がり
④恩師との出会い
⑤木の自由研究
⑥おじちゃんおばちゃんが誇らしげに見えた
⑦身近にいる素敵な人に磨かれた美意識
第二章 営業と俺
⑧大学を卒業して営業会社に
⑨「ダイレクトセールス」ってこういう事なんだ(会えなきゃ始まらない)
⑩反響案件はいりません!
⑪24時間いつでも電話して良い上司
⑫尊敬する社長との出会い
⑬営業成績が上がる一方で
⑭愚か者のメンタルダウン
第三章 副業と私 7回予定
第四章 起業 7回予定
【⑭愚か者のメンタルダウン】
仕事の目的がぼやけ始めてきた社会人4年目。営業はなんとかコンスタントに数字が叩けるようになっていたが、走り回る日々で、気が付けば2年近く実家には帰れずにいた。両親とコミュニケーション取らず、家族との電話は数か月前に姉と話した程度だった。まぁ大抵そんなものである。その電話で実家の製材工場は景気が悪く従業員は雇えなくなっている、それでも両親2人でなんとか会社を続けている、そんな話は聞いていた。
ここからは、あまりにも自分が愚かだったので、あえて爽やかにいこと思う。(笑)
ある日の午前、仕事中に珍しく母親から電話が入った。デスクは営業電話の真っ最中で、皆立ち上がって必死にアポ切り入電をしていた。あまりに久しぶりだったので、トイレに行く振りをして離れて電話をかけ直した。
「もしもし、久ぶり!」
俺がいうと、母親からの返答はなかった。
あれ?おかしいな、
「もしもし・・・?」
「もしもーし!?」
・・・しばらく間をおいて、母親の小さな声が聞こえた。
「悪いんだけど」から始まった話は、びっくり仰天、全く予想していなかったことだった。
その内容は、会社の負債(借金)が膨れ上がりどうする事も出来ない。ずっと返済が滞っていて、あと数日で家も会社もなくなってしまう。っというのだ。「おい!何だそれ!」
「あなただけは心配をさせたくなかった。」
っという母の言葉に、その時は何も言えなかった。
そもそも家業は祖父が始めた木材業で、戦後の高度経済成長の流れに乗って当時は順風満帆。祖父の元で何不自由なく裕福に育ったドラ息子の父が2代目として跡を継いだ。父は外で働いた経験がなく、バブルの波に乗せられた会社にあぐらをかいていた。言ってしまえばなるべくしてなった結果なのである。今であれば「俺に出来る事は無い。」と距離を取る事が出来るが、当時の俺は親に対して経済的、精神的に線引きをする事が出来なかった。そしてその結果、もうとんでもない過ちを犯す!!親父も親父ならその息子の俺も同類だった(笑)
俺が取った行動は、親父の負債を調べて返済しようとする愚か過ぎるものだった。
自分の仕事に疑問を持ち始めていた俺は、他人(親といえど)の負債を返済するという、目的にすり替えてまた走り始めていた。そこから1年間の生活はもうめちゃくちゃ。夜中まで仕事をして職場で仮眠を取ったり、ネクタイだけ替えに自宅帰ったり、所詮自立すら出来ていない人間が人の為に何かをやろうとしたところで、持ちこたえられるはずは無かった。俺が稼げば両親を救える。とか言って、お前は下手な漫画の主人公か!
その後、両親離婚、家族バラバラ、育った実家には入れない。1年後何も出来ない事を知った俺は、無力感に襲われ、見事にメンタルダウンしていた。(笑)。今では笑ってしまうが当時はこのまま死ぬんじゃないかと本気で思っていた。部屋から出られず、風呂にも入れない、よろよろ歩いて数日ぶりにシャワーを浴びると、シャワーの刺激が耐えられない、髭剃りは怖くてあてられず、体重は63㌔から55㌔に落ちていた。当時の記憶はあまりない。グレーの世界に1年半ほどいたらしい(笑)。愚か者よ。。。
結局友人に連れられ埼玉に戻り、築70年の小さな平屋を借りて、母親と2人で生活を始めた。ところで現在は、親父は相変わらずひょうひょうと生きていて、母親は再婚!母は強し(笑)なんだったんだ。
結局、自分を救えるのは自分なのだ。まず自分が自立をする、自立する前に周りに目を向けるのは単なる甘えなのだ。当時の俺に「勘違いするなよ」っと言ってやりたい。今でも油断すると甘え癖のある俺は、この経験を意識して思い出さなければならない。
■この2週間の取組
箇条書き
・起業相談に参加した
・町内で注文頂いた、フェンス材260本の配達をした
・町内で木製お盆の発注を頂いた
・町内で木製看板の発注を頂いた
・町内で小屋建築の打合せをした
ありがたい事に町内でご相談が増えてきている。今一度感謝をする。
【気付き】
尊敬する方がいるのは良いが「尊敬と依存は違う」。尊敬はきっかけの一つ。何を尊敬するのかを分析して理解する必要がある。現在の俺に「勘違いするなよ!」っと言ってやった。