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コロナ日記④:Happier than ?

※このシリーズは『ペスト』(カミュ著)の内容が出てきますので、ネタバレが嫌な方は見ないでください。

4/8 水曜日の昼前。
夜勤が始まる前に昨晩から頭に残っていたことを書こうと思って、またパソコンを開く。

残業と終わりない雑談は、こんな時期に一種の安息のように感じたことを覚えてる。まぁ普段から雑談は好きだけど。

そんなこんなで書きたい事が頭に残ったまま、気づいたら日を跨いでしまっていたので、先に体力の方が限界を迎えていた。

ぐっすり寝れるのは気持ちいがいいもの。

書くことはある程度決まってる。

昨日ペストを読んで感じたこと。
この時期に自分が感じていたこと。
最後に、批判承知で自分が思っていること。

この3つ。


個人の問題
緊急事態宣言がイマイチ実感を伴わないが、今大変な状態で、自分が普段以上に気を周りに配らないといけないことはわかる。

しかし、こんな状況でも妙に冷静で、むしろ普段より調子が良い時がある。
ウイルスが猛威を奮っている横で、不思議と幸せ(のようなもの)を実感する時がある。

ペストにコタールという人物が登場する。
このコタール、ペストが流行している今の方が、むしろ快適だと感じている描写が、作中では何度も出てくる。

「それに、私には気持ちがいいですからね、ペストの中で暮らすのが。だから、それを終わらせようなんてことに手を出す理由は、私には見当たらないんですよ。」

コタールが放った一節。

実はこの男、ペスト流行前にとある事件を引き起こしてしまい(それが意図的なのか、ミスなのかはわからないが)警察に事情聴取をされる予定であった。

警察に話を聞かれれば確実に逮捕されてしまうと恐怖したコタールは、ペスト流行前に自殺を試みている。

しかし、ペストの流行で街が混乱し、ペスト以外のことに関しては”それどころではない”状態になったため、コタールの件は後回しとなった。
だからコタールにとっては、ペストが流行している日々が安息の日々となっているのだ。

個人の問題が、その個人にとってとても大きいものであると、他の問題が発生しても特に気にならないなんてことは、自分にもあった記憶がある。

その問題が、例えば今回のような社会の問題となった場合、むしろ気が軽くなることは想像に難くない。

なぜか。

それは、皆でウイルスという一つの問題に対して注目し、問題を背負っている、と感じることができるからであると思う。

個人の問題は、最悪の場合その個人以外に問題を気にする人はいない。だからとても孤独を感じてしまう。
そうなれば通常、他人に相談するなど外に助けを求めるが、その助けをうまく求められない人もいる。(それはその人の性格要因であったり、抱えている問題の性質によって変わる)

だから、コタールが思ったように、皆んなで問題を背負っている状態は、一種の安心になる場合がある。
ペストは、コタールにとって、普通に暮らす人々と自分を繋ぐ絆であり、自分が普通に暮らしていくための許可証になっているのだろう。


あなたも私もと笑ってる
ウイルスの影響は例外なく自分の働いている場所にも影響を及ぼしている。

それは体制を変更するとか、働き方を工夫しようとか、ニュースで良く見るような変化もそうなのだが、むしろ自分が思うのはそういうところではない。

お客さんと話す時、普段であったら事務的な話で終わってしまうが、ウイルスの影響をお客さんも受けていると想像すると、自然とその話をしてしまう。
結局無駄話にはなってしまうが、普段は言えないような気苦労とかを聞けたりする。

「やっぱりこの時期だと大変ですよね〜」

大変なのは変わらないが、一言添えるだけで、自然とお互いに笑顔が生まれる。お客さんと少しフランクに話せたことが嬉しかった。

SNSでは相変わらず鋭いナイフを投げたり、鈍器で思いっきり叩くような意見が多いけど、人対人で接している時は、暖かさを感じるようになった。

人間は、自分が思っている以上に、優しい生き物だなって。

たとえ、それが諦めからくる笑顔でも、関わっている人同士が暖かさを感じることは、お互いを少しでも元気にしてくれると思う。

なんか自分がいる世界が少し明るくなった気がした。


だからこそ、この騒ぎが終わったあと、世界はどうなってしまうのか、不安だ。


このままでいい(?)
批判される。それでも、自分が思ったことは書いておこうと思うから書く。

”正直、このままの世界でいいんじゃないか”

と思うことが多々ある。

コタールのように、自分は社会的に葬られる恐れのある人ではないが、コタールの思いは無視できなかった。むしろ共感してしまった。

自粛が騒がれる少し前、仕事のことでかなり悩んでいた自分は、悩みすぎて一度仕事を休んだ。
もう嫌だった。数を追う毎日も。機械の歯車になる毎日も。人間の理不尽に耐えるのも。

なんとか自分を思考停止に持ち込み仕事に戻ったが、限界は来ていたのだろう。激しい頭痛や倦怠感。発症したと間違えられてもおかしくない状態であったが、もう何も考えられなかった自分はひたすら働いていた。(結果的に感染はしてなくて、良く休んだら治りました。職場では感染者は出ておりません。)

そんな毎日を壊すように入ってきたウイルスは、自分に一種の安心感と元気を与えた。人間対人間で仕事をできるようになった。

今まで恐れていた人たちも、皆同じ人間なのだとほっとした。

どんな権力を持っていても、どんな偉業を果たした人でも、皆等しくウイルスには粛々と立ち向かうことしかできない。

今の状況には一種の平等がある。
でも、

ウイルスは多くの人を殺し、社会を混乱させているが、
人間の作った経済は、それ以上に多くの人を殺し、死んだ人の大切な人達に悲しみの傷を残している。

僕の友人は、そうやってコロサレタ。

そのことをどうしても考えてしまう。

しかし、このままでいいはずがない。
それが総意である。

だから、騒ぎが収まった時、

対等に生きる権利を奪われる人
個人の問題でつぶれていく人
経済の波に飲まれていく人

それらを自己責任だと切り捨てる社会に戻ってしまわないことを願っている。

Beforeに戻すんじゃない。
Afterをより良いものにする。

今感じていることを、自戒の意味も込めてここに記す。

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