コロナ日記⑧:刃物
※このシリーズは『ペスト』(カミュ著)の内容が出てきますので、ネタバレが嫌な方は見ないでください。
4/22。水曜日夕方。
実は4/19の日曜日の夜に書いたものがそのまま残っていて、日記のくせに内容が現状から遅延してる変な文章になっている。
それでも日曜に感じたことはそのまま、今思うことはその後に付け加える形で書いておこうと思う。
日曜日。
出勤日だったから日曜日感は一切なかったが、それは皆一緒みたい。
外出自粛のせいかな。
帰宅中の電車で気づいたが、いつの間にか電車の窓を開けるのが普通になっていた。
会社の上司が「最近電車が少し寒くて」と言っていたのをふと思い出す。
家ではAmzonPrimeでアニメを見ることが増えた。
普段は一切見ないが、いい機会だと思って気になっていた作品を一気見している。ほぼ1日中見ている。
そういえばNetflixが歴代最高売上を更新したとニュースを見た。
家で見れるサブスクライブのコンテンツはもっとシェアを伸ばしていくのだろう。
今回もだらだらと書いてしまいそうだが、明日も出勤だから手短に書いてしまおうと思う。手短にできればだが。
数字
東京都の感染者が、毎日3桁出てくることにそこまで驚かなくなってしまったことは確か前回の日記で書いた。
因みに、現状東京のみでも約3000人の感染者が記録されている。
この人数、一体どんなものなのか。
東京都の人口(2020年1月31日時点の推定)は、東京都のページで確認すると、約1400万人。
東京都で発見された感染者数が仮に全員都内住みだと仮定すると、現時点で東京都人口の約0.02%が感染していることになる。
この数字を見てどう思うか。
これしかかかってないのか、余裕じゃん。なのか。
いや、これだけに抑えられているだけでも奇跡だ。なのか。
これから増える可能性が十分にあるから油断ならない。なのか。
自分は正直言って、
0.02%という数字を見てまだそこまでなんだと何だか拍子抜けしてしまった。
しかしそれは、半分希望的観測と半分絶望的観測が混じった感想。
それはまだそこまで広まってないという緊張がやや残った安心感と、
まだこんなものじゃないという予測不可な得体の知れなさ。
少なくとも油断はできない。まだまだ。
ペストの終盤。
ペストの絶望の中で、その脅威に終わりの兆候が見えた時、人々はそれでも油断しなかった。
正確には希望を持つことを自分に許可しなかった。
それは、あまりにも長く続いた悲劇によって人々が過度に慎重になり、期待することにかなり控えめになったからである。
もし今、ウイルス騒ぎが落ち着く兆しが突然見えたら、私達はどのように思うのだろう。どのような行動をとるだろう。
データか目の前の人か
数字を見るとある程度安心したり、また場合によっては不安になったりする。
数字は全体、社会を指標にしている。
どれくらいの規模かということが客観的に見えればいい。
そこには、個人のエピソードはそこまで必要とされない。
だから、もし感染者が減少し事態が収束に向かい始めても、真の当事者になってしまえば何も関係なくなってしまう。
もし自分が感染したら、自分の大切な人が感染したら、
1日何人が感染したとかの数字なんて意識しなくなると思う。
今、私達は刃物を突き立てて人と接触している。
外出自粛が要請された時にふと思いついた比喩だが、今見ても大袈裟な比喩だと思う。
しかし、感染した人、その人を大切に思う人、患者に直面する医療関係者、
この人達にとっては、何も大袈裟な比喩ではないのかも知れない。
ペスト終盤の話をもう一度出すが、事態が収束に向かい、数字からしても安心できると解釈できるようになると、人々は少しずつ明るくなり街へ出てくるようになる。
その一方で、依然としてシャッターの閉まった閉鎖的な家がある。
家族がペストに感染しているのだ。
感染者の家族は、全体が良い方向に向かっていることを自分にまだ許可せず、今目の前で苦しんでいる大切な人の病が治るまで、歓喜を横に置いているのだ。
全体が良い方向に動いても、その陰で苦しみ続ける人はいる。
医者も感染者が「0」になるまでは油断できないと思う。
感情の足並みまで揃えろということを言いたいわけじゃない。
だけど、この先全体の感情と同じ感情を抱ける状況に自分がいない可能性は十分にあるということは覚えておこうと思う。
不用意に誰かを傷つけないためにも、自分を傷つけないためにも。
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