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コロナ日記⑥:便乗する。

※今回は『ペスト』(カミュ著)の内容が出てきません。ネタバレが嫌な方でも大丈夫です。。

4/11。土曜日。
いつもより長めに寝てしまい気付いたらもうお昼も近い。

緊急事態宣言、休業要請、そして相変わらずの外出自粛。
この生活が少しずつ当たり前になってきたんだろうか、とても穏やかな1日のスタート。

でも書こうとしてることは相変わらずそんなに穏やかではない。


あやかるではなくて便乗する
あやか・る 【肖る】
① 好ましい状態にある人の影響が及んで、自分も同じような状態になる。「あなたの幸運に-・りたい」
② 物事に触発されて、動揺する。揺れ動く。 「風はやみみねのくず葉のともすれば-・りやすき人の心か/拾遺 雑恋」

通常あやかるという言葉は良い人や事象の影響を受ける時に使う言葉であり、例えば、令和にあやかるというのはなんか違うと思う。
令和に年号が変わることは良いことなのか。なんて言ったら怒られそうだが。

だから、ウイルス騒ぎにあやかるという使い方ははまずいよね。
だから便乗する言葉を採用する。

びん じょう 【便乗】
① 自分が行くときに都合のよい車・船などに相乗りして行くこと。 「トラックに-する」
② たくみに機会をとらえて、他の権威を利用すること。 「世の風潮に-する」 「 -値上げ」

たくみに機会を捉えているかは分からないが、他の権威を使用すること、
という表現はなんだかしっくり来る。

というかここまで何を言いたいかっていうと、
”普段自分の意見を言うことが苦手な自分がウイルス騒ぎをきっかけに発信をするようになったことを表現する”適切な言葉を探していたんだ。

変なこと書いちゃってもウイルスのせいにすればいいか。
なんて半分冗談、半分本気で思ってる。


その正体は?
緊急事態宣言の直後、経済再生担当大臣から「休業要請の2週間延期の打診要請」が発表されて、TwitterやらFacebookがまぁ大荒れしていた。

まずTwitterのトレンドで以上のことを知り、「え?」と思い思わずスマホでタップしてしまった。

「頭おかしいのか」「命より金か」「国民を殺したいの?」
人々の怒りと悲しみが無数の投稿に書き込まれていた。

自分の感じた「え?」という一瞬も、今や鮮度は落ちてしまっているけど、理解できないものに対する怒りのような感覚であったことを覚えてる。

何が緊急事態とか言ってんだ。
政府のスタンスに対して怒りをぶつけるのももっともだと思う。

でもTwitterをスクロールしていくと、あまりにも多い怒りと悲しみの投稿に、なんだか冷静になり、別のことを考えるようになった。

わざわざ考える必要なんてないこと。
放っておけばいいことだがどうしても考えてしまった。

”そんなことを言わせているのは何か?”

荒々しい投稿達の中には、色んな人がいたんだと思う。
この状況で本当に生活ができるかどうかの選択を迫られている大変な人。
自分の周りに悩んでいる人が、いてもたっても居られなくなった人。
普段から政治に興味があって冷静に批判をした人。
緊急事態宣言直後なのになんでという疑問をぶつけた人。

ウイルス騒ぎに乗じた(意識的にも無意識的にも)人。

共通しているのは、皆ウイルスの脅威に日々晒されながら生きているということ。

それでも怒りや悲しみは当人のもの。
程度は異なるが皆何かしらを感じ取って反応したのだろう。と信じている。


批判の味をしめて欲しくない
無論、自戒の意味も込めて書いていくが、
この騒ぎで、無闇に批判をする人が増えて欲しくないと思っている。

外出自粛、休業要請によって、いわゆる芸術分野は瀕死の大打撃を受けているのだと思う。補償を出すかどうかについてSNSでは意見を出している人を結構見る。

そのような分野で働いている当事者からの意見。
自分の好きなもの(博物館でもいいしアイドルでもいいし)が苦しんでいると想像して、何とかして欲しいというファンの意見。

それは最近になると嘆きに変わってきた印象があるが、この休業延期打診によって、再度怒りの色を帯びるようになった。と思う。(主観)

そんな中で、上に挙げたどちらでもない人もいる。
芸術分野のことをとりあえず言っておきたい人。
この騒ぎに乗じてなんやかんや言ってみる人。
(はい、自分です。ここで言いたいこと言ってます。)

今の時期なら、とりあえず批判の矛先を政府か、もしくはウイルスに向けておけばそれなりの批判は共感される。ウイルス騒ぎに乗り放題キャンペーン中なのだ。

そして、中身はどうであろうと、批判するというのは自己正当化の裏返し、つまり自尊心(自己肯定力のような)を守ることになる。批判している時、自分は正しいと思えるのだ。

勿論自分にも経験はある。
(対面で言う勇気はない。傷つけるのは本当に嫌いな弱虫なので。)
中身の無い空っぽの批判ほど、言った後何だか意地悪い心地よさがある。

ちょっとスッキリするのは愚痴を漏らした時と似ているからだと思うけど、愚痴よりタチが悪い。
繰り替えしなるが、自分がなんだか正しいという錯覚に陥るから。

騒ぎが収まれば人々はたいてい個人の問題に注目を戻し始める。
そうなれば、自分の空っぽな批判は共感の土台を失い空気の中に溶けてしまう。虚しくなる。

誤解のないように、
批判的に見ること、批判的な意見を言うこと自体は必要だと思う。
皆が何も言わなくなったり、全てに肯定するようになったら、それは思考停止社会による独裁の始まりだと思うから。

ただ、自尊心を守るための批判は、自分を惨めしていくからやめた方がいい。それは快楽を与えていくれる一方で、麻薬のように中毒性のあるもの。
自分の経験からそう考えてる。

ウイルスが感染するのは人体だけじゃない。心もだよ。的な。

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