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5話と12話の『いつ僕』でシャニアニが描きたかった変化

さらちっす、ちむです。

シャニアニ2ndシーズン完走お疲れ様です。

先行上映会の時は智代子について感想noteを出しました。

本放送が終わった今、もう1人の担当である福丸小糸さんが所属するノクチルに関して、私の解釈を述べたいと思います。


私が12話を見たみなさんに提起したいのは、「なぜノクチルは12話で『いつだって僕らは』を歌唱したのか?」ということです。

他のユニットが新曲を歌唱する中、ノクチルだけが5話でも歌唱した『いつだって僕らは』を再度披露しました。

もちろん、5話の『いつ僕』はほぼ歌唱されておらず、不完全だったものを改めて歌唱したと言う流れでもおかしくはないです。

しかし、果たしてそれだけでしょうか?

ここからは、5話の不完全な『いつ僕』から12話の『いつ僕』の流れを通して、シャニアニが描きたかったものを想像します。

キーワードは、「息をする」

283プロはアイドルとして活躍していくことを「はばたく」と表現し、名前の通り「空」のイメージがあります。


対して、ノクチルは「海」のイメージとして例えられることが多いです。

当たり前ですが、人間は海の中で呼吸をすることができません。
海で泳ぐための前提条件として、まず「息をする」ことが出来なくては話が始まらないわけです。

シャニアニで何度か真乃と透が会話するシーンがありましたね。
その時、透は真乃に対して「アイドルとは何か?」と問いかけます。

上手く返答が出来ず悩む真乃ですが、11話で彼女なりのアイドル像を透に語り、透が「アイドルとは何か?」を自分の中で定義します。

真乃との会話の後、街中を走る透のシーン。

透「息、してる」

シャニアニにおける「アイドル」浅倉透の始まりは、この瞬間だったのではないかと思います。

アイドルという大海に、右も左もわからず出てきてしまった透。
息が出来ずに苦しんでいたが、息の仕方を覚えた
(≒アイドルとは何かを知った)

5話の『いつ僕』は、息の仕方が分からなかったから声が出なかった。
しかし、11話を息の仕方を理解したからこそ、12話の『いつ僕』では声が出た(歌唱できた)

……ということをシャニアニでは表現したかったのではないでしょうか。

この解釈を良しとする場合、1つ話しておきたいことがあります。

シャニアニ5話は不完全な「いつ僕」でしたが、1人だけしっかりと歌唱をしたメンバーがいましたね。


そう、福丸小糸さんです。
息をする≒歌唱ができるということをノクチルにおける「アイドル」の定義とすると、あの場で「アイドル」の条件を満たしているのは小糸ただ1人です

苗木くん、ここまでいえばわかるわね。

あの場にいた4人の中で誰よりもアイドルに向いていなさそうに見えた少女は、4人の中で誰よりも「アイドル」だったのです!!!!!

……これは担当贔屓が過ぎるのでしょうか。
そうだったら良いなという思いも込めてここに文章を残しました。

こうかもしれないと思った方が面白いので思い込みます。

以上、お読みいただきありがとうございました。

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