私が聖飢魔IIにハマるまで【前編】
まえがき
先日Xにて「#信者になる前の聖飢魔IIの記憶を勝手に語る」というハッシュタグが話題になりました。そこでは実に色々なきっかけで、世代も様々な信者さんがいることがよくわかり、とても楽しく読ませていただきました。
そして当然私も参加させていただいたのですが、ふと思い立ってXでは書ききれなかった部分の補足と、その後いかにして聖飢魔IIワールドにのめり込んだかまでを前後編に分けて書いていきたいと思います。
よろしければお付き合いください。
デーモン閣下との出会い
まず、私がデーモン閣下を初めて見たのがいつだったか具体的にはもう憶えていない。おそらく幼児の頃に見た「フジカラー 写ルンです」のテレビコマーシャルのシリーズのどれかだと思う。なので物心ついた頃に私はすでに閣下のことをなんとなく芸能人の一人として認識していた。なにしろ見た目のインパクトが凄かったから。
その後はもう少し年齢が上がって物事の捉え方がはっきりしてくると、たまたま遊びに行った親戚の家のテレビで相撲の解説をしている閣下を見かけたり、同じくたまたま観ていたクイズ番組にゲスト回答者として出ている閣下を見ると、子供ながらに「この人、変な恰好してるけど頭いいんだな」と、思っていたのをぼんやりと憶えている。
デーモン閣下の本業を知る
小学校生活も半ばに差し掛かったある晩のこと、私はテレビでとあるものまね番組を観ていた。するとあるお笑い芸人がデーモン閣下に扮して聖飢魔IIの「蠟人形の館」を歌い、さらにデーモン閣下ご本魔も登場した。そこで私は衝撃を受ける
「デーモンって歌手なの!?」
そう、当時の私はまだデーモン閣下をお笑い芸人か何か的なタレントさんだと思っていて、前述の「写ルンです」のくだりからもわかる通り私が生まれた頃はギリギリ聖飢魔IIの本活動期間中だったものの、さすがに幼すぎたせいか聖飢魔IIは知らなかったのだった。
ちなみに小学校半ばのこの頃には人並み程度に(?)ジャ二ーズやハ口プ口系列のアイドルが好きだったためグループやバンドといったものを理解しており
「なるほど、デーモンは“せいきまツー”っていうグループの人なんだ。」
と、長きに渡る勘違いも込みで把握したのだった。
歳上のメタル友達
そこから一気に時は進んで、高校生になった私はヘヴィメタルにハマった(この辺りの話はまたいずれどこかで書こうと思います)。
ある時、年齢も性別もバラバラの“いつメン”でカラオケオフ会をした時のこと、いつメンの一人で私の一回り歳上のスラッシュメタル好き兄さん…以下“スラニキ”…が、定番の洋楽HR/HMナンバーに加えて歌ったのが聖飢魔IIの「蠟人形の館」「Jack The Ripper」そして「地獄の皇太子」だった(そしておそらくその時に私は作曲者のクレジットを見て“ダミアン浜田”の名前を憶えたはず)。
そんなスラニキのキレッキレのシャウトも相まってその場は大盛り上がり。が、当時洋楽贔屓かつミクスチャー偏食だった私は、聖飢魔IIそのものにはまだまだ興味を持たなかった。
【後編】へ続く…の前に、
《小休止》潜在的な素質
先日(と言ってもかなり前)諸用で実家に帰った際のこと、母への近況報告もそこそこに私の推し活の話になり、
「昔“写ルンです”のCMがあったじゃん?多分あれでデーモン閣下を憶えたけど、まさか今になってハマるとは思わなかったねー。」
と、いった内容のことを私が言うと、
「あんた、その頃から閣下の真似してたよ?」
と、母から驚きの発言が。
なんでも母によると、「写ルンです」のCMシリーズの一つで子役の座った椅子を背負って崖を登る閣下を真似て、幼い私はアウトドア用の子供椅子を背負い「もっと上ー!(※これは子役の台詞)」と言っていたそうな。
私自身は本当にまったく憶えていなかったものの、物心つく前からデーモン閣下の真似をして遊んでいた私が聖飢魔IIにハマるのはある意味必然だったのかもしれない…のか?