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「正しさ」を持つと不幸になる?!人生を楽しむには両極が必要だった

今日はまた本からの学び、気づきのお話になります。

読んだ本は「悪魔とのおしゃべり」(さとうみつろう著)です。

 

みつろうさんの本は物語を読みながら、色んな知識を学べるので(しかも面白い)本当に素晴らしい作家さんだな~と思います。

さらに、物語って記憶に残りやすいんですよね。

そんなことも知っていてあえて物語にされているんだろうな、なんて思ったりしています(笑)

 

「神様とのおしゃべり」(さとうみつろう著)につづき、

悪魔とのおしゃべりも本当に面白かった!

「正しさを疑う」「極を楽しむ」などなど、

色んな考え方が学びとなりました!

 

私なりの解釈と気づきにはなりますが、

ゆるっとお付き合いいただけると嬉しいです。

それではよろしくお願いします!

「正しさ」なんてなかった!価値観を疑う!

今までブログを書きながら、

私はたくさん「価値観」という言葉を使ってきました。

 

なぜなら、

「自分の価値観」をとても大切にしていたからです。

 

でもここ最近、

またその考えが変わってきました。

これは自分の中ではとても良い変化だと思っています。

昔感じていたような「価値観」は手放せたんだと思います。

 

「価値観」に執着しない。

 

そんな感じです。

 

もちろん、

自分にとって何が大切か。

何に対して価値を感じているのか。

 

そういったものはあります。

 

価値観の中にはいろんなものが含まれますからね。

 

私の価値観の中で手放したものは、

「こうあるべきだ」

「これが普通でしょ」

「当たり前」

といった価値観です。

 

今回本を読むことで、

今までもそう考えていたことが、

改めて再確認できました。

 

本の中では、

「正しさを疑う」ということが書かれていました。

 

正しさというのはつまり、

自分の中にある「こうあるべき」のことですよね。

 

でも。

「こうあるべき」

というのが何から作られているのかというと、

時代背景であったり、

生育環境であったり、

経験であったり、、、

自分の経験してきた過去のデータから作られているものが多いと思います。

 

ここで一つ思うことは、

たった私の数十年の経験からのデータで、

「絶対にこうあるべきだ」という物ってそんなにないんですよね(^^;)

 

物事って必ず裏と表があります。

 

いいことをしていても、

人によってはそれが悪いことだったりします。

 

自分の常識は、誰かにとって非常識。

まさにこれです。

 

ちょっと日本から離れたら、

(日本の)「常識」なんてものは通用しなくなりますからね(^^;)

 

なので、

「正しさ」1つとっても、

絶対にこれが正しい!

ということってないんですよね。

 

価値観というのは本当に人それぞれです。

 

でも正しさを判断するのは、

自分の価値観が元になっています。

(だから結局色んな価値観を元にそれぞれがジャッジしている)

 

自分にとって許せないから、

「それは間違ってる」ってなるんですよね。

 

自分にとって良いと思えるから、

「それは正しい」ってなるんですよね。

 

あとは世間一般、多くの人たちが、

「それは正しい」と思えば、

そうなることもたくさんあります。

 

まさに多数決の世界。

 

多数決というのは、

ただその考えを持っている人が多いというだけなので、

「正しい」とか「正しくない」とかを決めれるわけじゃないんですよね。

 

でも、

どうしても大多数の意見が「正しい」という気持ちになってしまうことって大いにあると思います。

あとは、

影響力のある人が発する言葉もまた、

「正しい」となりやすいですよね(^^;)

(これはバイアスが関係してますね)

 

そんなことを思っていると、

「何が正しい」っていうのはないんですよね。

 

「あなたはその意見なのね、でも私はこの意見」

本当はただただそんな感じなんです。

どっちが正しいとかではなくて。

 

正しい、正しくない、で判断してしまうと、

とっても息苦しい世の中になりますよね。

 

もちろん、

犯罪とか、戦争とか、

それらを肯定しているわけではありませんが…

 

でもこういうことも、

0から生まれるものは何もなくて、

少しの偏りが生じる事によって生まれるんですよね。

 

私も戦争や争い事はこの世からなくなってほしいなと思います。

でも、それもまた、私が自分の「正しさ」を前面に突き出していくことにより、

反対派の人たちとぶつかってしまう事になります。

 

戦争があることによって喜んでいる人がいることも事実。

 

みんなが学び、自ら気づきを得る事で、

それぞれが自分にとっての思う事を、

自分で考えて行動していく事で、

そういった悲しい事が起こらなくなればいいのにな…と切に願います。

 

どんなに「いい考え」があっても、

その人にとってのベストなタイミングでその考えを聞いて、

気づきを得なければ意味がありません。

 

今は「戦争」という例えを出しましたが、

日常生活でも小さなトラブルというのはたくさんありますよね。

 

だからこそ、

それぞれが「正しさ」を疑っていく。

 

「本当にこれは正しいのか?」

と疑い、自分の中に落とし込んで考えていく。

 

今までは当たり前のように「こうあるべきだ」と思っていたことが、

本当にそうなのか?

と一旦立ち止まってみる。

 

こうすることで、

いろんなジャッジというのがなくなっていくだろうなと思います。

 

そしてそれは、

とてもみんなが生きやすい世の中になるのではないかなと思います。

 

それぞれの意見の偏り自体も楽しんでいく。

 

そういうことができたら素晴らしいよな~

と自分自身とても学びとなりました。

 

両極があるからこそわかること(1つだけでは感じる事ができない)

本の中でもちょっと哲学的な、深いことが書いてありました。

「全てあるところには何もない」「何もないところには全てある」

 

これって深いですよね~。

 

大前提として、

私たちが住んでいるこの世界、そして宇宙は、

全てのものを持っていると言われています。

 

本の中でも量子力学として分かりやすく書かれていましたが、

宇宙は最初「特異点」というひとつの存在だったそうです。

 

全てがあって完璧な状態。

全てというのは、

私たちの世界で言うと、

嬉しい、悲しい、良い、悪い、、、、

そういった両極端なものが全て含まれているということです。

 

全て含まれるということは、つまり0になるということです。

 

例えば、

いいことが1個(+1)、悪いことが1個(ー1)ということを考えると、

計算上は1ー1で0になりますよね。

でも、

全体から見ると、

1-1=0を含めた全体となるわけです。

 

だから、

全てあるところは0になる。

だけど全てある。

ということになるんですよね。

(私が本を読んでいてとても興奮した部分です(笑))

 

 

宇宙の話に戻りますが、

特異点という一つの存在だった状態からビッグバンが起こり、

長い長い年月をかけて今の形になりました。

 

ざっくり言うと、

私たちも宇宙の一部だということです。

そして一部であり全体ということになります。

 

私たちが生きているこの世界には全てがあるということです。

 

本当は全て持ってるんです。

 

でも人間って、

あるものにはなかなか気づけないんですよね。

 

だってそれは当たり前のようにあるから。

自分と同化してしまって見えないんです。

 

だからない方にばっかり目がいってしまう。

本当はあるのに。

 

 

引き寄せの法則の観点から見ても、

ない方にばかり目を向けていると、

ない現実ばかりが引き寄せられます。

 

充足を感じることが一番の幸せへの近道なんですよね。

 

私にはこれがある。

これもある。

こんなこともできる。

充足に目を向けていると、自然と感謝が生まれてきます。

 

そのサイクルに入ると、

やはり「ある」状態を引き寄せていくので、

結果、

幸せな状態がずっと続いていくということになるんですよね(^-^)

 

 

そしてそして。

題名の「両極」の話ですが、

両極があるからこそわかること。

 

両極というのはつまり、

物事に対しての一番端とその反対側の一番端っこ!という意味です。

 

先ほども言った、

嬉しいことの反対は悲しいことですよね。

 

良いことの反対は悪いことですよね。

 

人生は、

嬉しいことや楽しいことばかりが起こってほしいと思ってしまいますが、

嬉しいことや楽しいことばかりだったら、

嬉しいことや楽しいことさえ気づくことができません。

 

比較対象がないからです。

 

2つあるということは、

比べることができるということです。

 

悲しいことをいっぱい味わうからこそ、

嬉しさを最大限に味わうことができる。

 

だから人生って、

楽しめるんですよね。

 

私もついつい、

いいことばっかり起こってほしいな~

と思ってしまいますが(笑)、

良いことばっかりだと、それが普通になってしまって、

感動することもなくなるかもしれません。

 

 

宇宙は全てを持っていたから、

ニュートラルな状態だった。

 

どっちにも偏りがない状態。

 

でもそこに、面白みはなかった。

 

だからこそ、

いろんなことを味わう(体験)ために、

ビックバンを起こした。

 

1つの完璧だった状態から、あえて分裂した。

そのようなことが本書では書かれていました。

 

 

そうか、

宇宙はいろいろ経験したかったんだな~

だから私たちが全体の一部となって、

いろんなことを経験してるんだな~

と私は腑に落ちました。

 

 

だから、

これからもいろんな感情になると思いますが、

それはそれで、

その時の感情を感じるきることって本当に大切なんだなということが、

改めて分かりました。

 

心理学の方から見てみても、

言われてますもんね。

「感情を感じきることは大切だ」って。

 

だから無理やり、

その感情をコントロールして、

どうにかしようと思わなくたっていいんです。

 

 

本当に。

 

 

いいこともあれば悪いことだってある。

 

でもそれらをもう少し俯瞰して、

上の方から見てみたら、

それさえもが幸せなことなんですよね。

 

 

物ごとに意味を付けているのは自分

最後に。

いろんな出来事が起こりますが、

嬉しいと感じたり、悲しいと感じたりすることも、

その意味付けをしていることさえも、

自分がしていることなんです。

 

もともと出来事には意味なんてないんです。

 

それを嬉しいとか、悲しいとか、辛いとか、寂しいとか、、、、

そうジャッジしているのは自分自身なんですよね。

 

当たり前のことなんだけど、

そこに気づけるとなんか、

ちょっとワクワクしてきませんか?(笑)

 

事実として○○が起こった。

 

その○○に対して、

自分がどう意味付けするのか?

 

そこは自由なんです!

  

 

どんな風に意味付けしたっていいんです。

 

 

宇宙の法則では、

全ての出来事は完璧なタイミングで起こっていると言われています。

 

そこにはきっと学ぶべき何かがあって、

そう起こっているということなんですよね。

 

 

私はこう思うようになりました。

 

私がこの世に生まれたのは何かの目的(課題)を持って生まれてきた。

その目的(課題)を達成するために、

いろんなことが日々起こる。

自分が世の中の価値観や、自分以外の考えに惑わされて、

間違った思い込みをしていると、

「それは間違っているよ、気づいて!」というサインとして、

いろんな出来事が起こる。

そのサインに気づけずに「私の人生は悪いことばっかり!」と嘆いていると、

いつまでたっても課題をクリアできないので、

同じようなことが何度も何度も起こってくる。

でも。

途中でそのサインに気づくことができると、

課題クリアとなって、

同じようなことがぱったりと起きなくなる。

そうしていきながら自分のたくさんの課題をこなしていき、

人生の目的を達成していく。

  

人生とはこんな感じで、

回っているんじゃないかな?!と私は思います(笑)

 

まあこれも、

どう思うか自由ですからね(笑)

 

 

でも過去に、私も色々なことがありましたが、

そして、つい最近も色々なことがありましたが(笑)、

(詳しくはブログを見てくださいw)

そこにどんな課題が隠れているのか?

という視点を持つようになってからは、

本当に物事の捉え方が変わってきました。

 

そして過去さえも、

捉え方が変わるんですよね~。

 

本当にどんな意味づけをするのかで変わってくるなと、

自分自身の体験を通してめちゃくちゃそう思います。

 

 

ショックなことが起きたらもちろんショックなんですけど(笑)、

でもそれさえも、

「極を楽しんでやる!」と思えたのならこっちのもんですよね!

 

 

人生って、

楽しいですね(^-^)

 

生まれてこれたことに感謝です!

 (合掌~)

 

本当にいろんなことを改めて考えさせてくれた良書でした!!!

 

ということで、

今日も最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました!

 

あなたの『今日』という日が最幸な1日になりますように!(^O^)

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