3度目の初恋で詰んだ。第7話「クリスマスが今年もやってくるその②。」
何本にしようかな。
スマホの画面を眺めながら、2と3の間を幾度もスクロールしている私。別にクリスマスは嫌いじゃない。四季折々の国に生まれることができて幸せだと思っています。目や耳を塞いだところでクリスマスを感じずにはいられないし、この際きちんとチキンでも食べようじゃないか。思えば去年も仕事帰りにチキンでも買って帰るかと折角思い立ったと言うのに、どこもかしこもチキンがない。ましてや普段は並ぶ行列に、チキンを求めて独り並ぶ気にはなれなかった。ひとつ席を飛ばして並んで座る後輩たちは、クリスマスをどう過ごすのかのお決まりの話が始まった。小さなミーティングルームでは彼女たちの控えめな声に合わせてその音も控えめに反響していく。私はパソコン越しに圭介くんを盗み見る。なんならあんたたち圭介くんにクリスマスの話題振ってくれよ。
「田中さんは、クリスマスどうするの?」
「ちょ、いま、聞くそれ。まぁでもすいません、興味あり。どうぞ差し障りのない範囲でお答え下さい。」
同期の都築くんのフォローとも言えないフォロー。彼はいつもそういった中立ぶった立ち位置にいて印象が薄いというか、尖っていないというか。色々な人が居てこそ組織であり、チームである。それをまた纏めるのもまぁ大変。私は特に取り繕う気力もなく、ある意味タイミングよく投げかけてくれたボールをそっと送りバントするイメージで答えた。
「うーん、今まさにどうしようかなぁと悩んでたところです。」
「おぉ!予定ありですか。」
「いや、本数。」
そういってさっきまで開いていたスマホの画面を彼らに向ける。チキンの本数は2本のところにチェックが入ったままだ。
「本数?」
「ぁぁあ、チキンっすね!あれ、マジ当日は争奪戦ですからね。」
「何本にするんですか?」
それをこそ今それ聞くか?とツッコむところじゃないのかと隣でスマホをいじっている都築君を節目がちに睨みつけた。睨みつけの帰り道、目頭をぐるりと回した途中、無意識に圭介くんに視線が落ちる。あ、目が合った。圭介くんが私を見ていた。私の話を聞いている?興味あり?私のチキンの本数に興味ありなんですか?
「2本か3本で悩んでたけど、2本かな。」
「へぇ」
なんか知らんけどシーンとしたミーティングルーム。え、ちょっと待って、1本って言えば良かったかな。へぇじゃないだろ。え、1人で、ですか?となぜ問わない?緒方‼︎緒方ー‼︎ その時だった。
「小津さんは、クリスマスどうされるんですかー?」
(お、緒方〜〜〜涙‼︎‼︎)
一瞬にして狭いミーティングルームに緊張が走る。寒くない?誰かエアコンつけて。ふと目をやると、スマホをいじる都築君の指すら停まっていた。
「僕は、、、」
ガチャ。
「よし。ミーテイング始めっぞ。」
ほんと、この男だけはタイミング悪い、空気読めない、気が利かない。TKKですよ‼︎
でもなんとなく予定ありげな目だったような。後で聞いてみようかな。あ、そうだ。この流れでチキンの本数のこともさりげなく相談してみよう。ありがとう、ありがとう、君がいてくれて良かった、緒方。きっかけをありがとう。ナイスアシスト緒方。
ミーティングが終わると、圭介くんは我先にすたこらさっさと部屋を出ていった。さっきの話の続きをさせないつもりだな。私も続いて部屋を出る。可愛い後輩が作り出してくれたチャンスを逃してはなるものか。
「お疲れ様。今年もあと2週間だね。」
「お疲れ様です。ですね〜。」
私が彼に追いつくと、彼は私に合わせて歩くスピードを落としてくれた。無機質な天井を見上げては今年は早かったなぁと振り返っている。この1年間、仕事とはいえ彼と多くの時間を共にできた。ひょっとして私って今年1番彼と居た女性なんじゃないのか?って1年を振り返ったりして悦の足湯に浸かる。
「今年は美沙さんとたくさん仕事したな〜。来年からもひとつよろしく。」
「うん。こちらこそ。っていやまだやや気が早い。クリスマスが立ちはだかっている。」
「ん、まあそうですね。あ、チキンってどこのチキンですか?」
改めまして緒方ありがとう。お姉さんお前のことはしばらく可愛がってやるからな。
「ケンタッキー。ベタですいません。」
「え、いや、僕もあんま知らないんでどこの買うのかなぁって。それにケンタッキーで十分ですよ。多分シェアも1位とかでしょ。」
「1本だとほら、1人なのか寂しい奴って思われちゃうでしょ?それで2本か3本か悩んでて。圭介くんはどう思う?」
「いや、知らんし笑」
訳のわかんないこと言っちゃったけど、クシャっと笑った彼の顔をこんなに近くで久しぶりに見たと思った。本当はクリスマスに圭介くんを食事にでも誘おうと思っていたのに、彼女と会っていることを牽制された私は今だに1塁ベースから動けずにいたのだった。リードを取っては投球モーションに入った彼をみて一塁に戻るを繰り返している。
「圭介くんは、クリスマスどうするの?」
「うーん、、、まだわかんないですね。返事がこないので。」
「返事?」
「ダメだったら、チキン3本にしといてもらえる?」
親指と人差し指、それと中指。指を3つ立てて歯に噛む彼。もう私の心臓はドッドッと鳴っていた。きっとダダ漏れなはずなのにそれでも彼は気付かない。鈍感すぎてイライラする。ダメだったら3本?なんだそれ?おいおい小津。あーもう、圭介くんったら…あたしもうダメ、心がもんじゃ焼きにされてかき混ぜられてる気分。
サンタさん聞こえますか?お願いです。難しい願いではありませんから、ただ彼と過ごさせてください。何にもなくたっていいです、本当です。どうか彼女の返事がNOでありますようにとサンタさんにお願いするズルい女。ズルくて結構。本当に欲しいものがあるのなら、何かを踏んづけてでも進む勇気と覚悟が必要だ。私が好きだった漫画のキャッチャーの人が言った言葉が印象的で胸にしまってある。もう誰かや何かで寂しさを紛らわすこともしない。私の小さくてまっすぐな恋心を育ててくれませんか。約束なんて要らない、たまたまでも何分でもなんだっていいから彼と過ごしたい。日頃の行いに胸を張れるような自覚もないし、神頼みみたいなこともしない。過度な期待は後が辛い。この時はサンタさんが私の身勝手な願いを叶えてくれるとは、微塵も思っていなかった。
「・・・はつみ。」
「お姉ちゃん、、、、、が、、。、、ね、、とに、、、、う。、、あ、、え。」
「待って、、、私は大丈夫だから、、、はつみ‼︎」
病院の部屋は外の季節と箱ごと遮断されているよう。白く統一された内装やシーツのせいではないだろうけど幾許かの影響はあるように思う。春だろうと夏だろうと秋だろうと冬だろうと、季節を切り離す箱。窓の外を眺めると葉っぱを脱がされて寒そうな大きなイチョウの伸びた枝と、その先にどんよりと薄黒く横たわる雲が重たい冬を表現していくれてる。窓枠がちょうど額縁のように見えて1枚の絵のようだった。ああ、私また倒れちゃったんだな。ごめんね、はつみ。なるべく音を立てないようにと気を使われた病室のドアがゆっくりゆっくりと、綺麗な丸っこい爪した手によってスライドされていく。
「あ、気がついた?良かったぁ。」
「梨花、、、ごめん。」
「謝るならカニさんとシェフに謝ってよね。」
「カニ、、、? ぁ、ぁあ、そうか、、カニ…。」
「いやぁ私もさ、勿体無いなぁって後から思ったんだけど、ななみが倒れてるってのに「お相手の分が、、特にカニが、勿体無いので、いただきますね」ってわけにはいかないよね。」
梨花はあえてわざとらしく安心させるように笑いかけてくれた。疲労感に覆われていた私はその表情でありがとうと返したつもり。伝わったかな。少し乱暴な冬の風が病室の窓をガタガタ鳴らす。
「大丈夫なの?」
「うん。ちょっとボーッとするくらいかな。でも、寝起きですって感じ。」
「なにそれ笑。どんだけ心配したと思ってんのよ。」
「ご、ごめん。」
音を立てないように鼻から大きく息を吸う。梨花のことだ、おそらくこれから幾つかの柔らかく尖った質問が飛んでくる。自ずと私は白く薄地のシーツを両の掌に手繰り寄せて軽く握りしめる。さぁ来いと、少し口角と肩を持ち上げて身構える。
「もう、何にも聞かないけどさ。お互いもう子供じゃないし。ななみのしたいようにしたらいいし、ななみの思いを私は尊重する。」
梨花の思わぬ第一声に握りしめていた拳がスルスルと解けていく。注射針が刺さる前のように身構えていた体も解けていく。初めて聞くいつもの梨花の柔らかく優しい声。
「だから、相談してほしいかな。頭ごなしに否定したりしないからさ。今までごめんね。」
「梨花、、、」
寝起きでしょぼしょぼしていたはずの私の瞳から粒の涙が溢れだす。この涙はまるで艶めいたビー玉のように愛らしく思えて、手で拭うことすら勿体なく思えたから溢れ出すままにを私は受け入れて好きなようにさせた。もうずっと前から私の心の中にある[ここから先立ち入り禁止]の仕切りが外された。
「ごめんね、、、はつみにまた会えたのが嬉しくて。私、お姉ちゃんだから、あの子のお姉ちゃんだからさあ、なんか、あの子を、、あの子が喜ぶなら、、、い、、生きられなかったあの子が、そうしたいなら、私にそれが、、私にしか、、できるなら、、受け入れて、、もうはつみを邪魔だって思わないから、、帰ってきてくれて、ありがとうって、、そんな風に思えて、だから、、」
「うん。なんとなく、気づいてたよ。そんな気持ちなんだろうなって私も思ってた。」
一度溢れ出した気持ちは涙と言葉がいくら渋滞しててもお構いなしに進んでいく。
「だ、、だから、、わた、、私は、、ここに、居て、、、ここに居てもいいからねって、、一緒に、、生きようよって、、居ていいからね。。ご、、うご、、ご、ごめんねって。」
梨花は膝に欠けていたスカーフを広げて私を包み込む。その上からぎゅうって抱きしめてくれた。梨花の藍色に染まったスカーフはもふもふしていて気持ちよさそうって思ってたんだ。梨花のぬくもり、香り、優しさに包まれて、私は一気にデトックスされていく。
「言い方があってないかもしれないけど、、はつみちゃんと代われるの?」
「う、、ううん。それは無理。」
「そっか、、残念。じゃあ、、、やっぱり、、、」
「うん、小津くんと会ってるときだけ。」
「あの時は、私たちも居たからね。はつみちゃん、怒ってなかった?」
「あ、言われてみれば笑。それはないみたい。」
「そっか。よかった。あの後も、ななみがはつみちゃんとまた会えてるみたいだなって気づいた時から気になってたの。あの日のこと、怒ってないかなぁって。ごめん、ちょっと勝手にスッキリした笑。」
「私がはつみとまた会えてる」そう表現をしてくれる梨花のさりげない優しさが好きだ。梨花は平気そうにしてるけど、案外繊細で引きずるところがある。私にも見せようとしないし、私でもなかなか気付けないから歯痒い。梨花の方こそ私になんでも相談して欲しい。
「ちょっともう、本人前に、聞きにくいんだけど、、小津くんとはどこまで?」
「え!!? え、、え、、し、、知らないよ。」
「なわけないでしょ笑」
「えーーーー、、、これって言っていいのかな・・・。」
「い、、いいでしょ。怒ってる感じする?」
「いや、わかんないけど、それは大丈夫と思う。えぇ、、ま、じゃあ、その。。。」
「はい。」
「特に、なにも。」
「ないんかい‼︎」
椅子をがたんと音を立ててのけぞる梨花。その時、胸の奥がぬくくなった。はつみが笑っているのかな。
「なんかね、私も聞いたんだ、はつみに。小津くんのこと、好きなの?って。そしたら、よくわかんないって。」
「うぶだねぇ。焦ったい。。やっぱりほんとに代われないの?私が直接聞き出したいわ。」
「だから無理だって笑」
「実はだいぶ前から思ってたんだけどさ、普段、はつみちゃんはどうしてるの?ななみの中から、私を見てるの?聞かれてるの?」
そう言ってどれどれと私の瞳を覗き込む。私も梨花の瞳を覗き返す。梨花の瞳は薄くちょっとゴールドがかっているような綺麗なブラウンをしている。梨花の瞳の幕の向こう側に誰かいないのかな?変なことを思ってしまう。
「いや、ほとんどわかんないみたい。それだったら便利なのにって笑ってたけど、そりゃ私はやだよね笑。」
「そりゃそうよね。あ、窓、開けていい?」
「あ、うん、大丈夫。ありがとう。空気変えたいなって思ってたの。」
「今夜には雪になるかもね。散歩できたらいいのに。。だめかな?」
「うーん、どうだろ。ん?あれ?でも、そういえば、はつみが1度だけ、お姉ちゃんの中から見てたって、、ほら、あの子、、」
「え?」
コンコン。
病室のドアがコンコンって鳴って、東雲さーん入りますね〜と声がかかった。あ、私病院に居るんだった。ふっくらして色艶のいい看護婦さんが入ってきた。白衣の天使とは言い難いかもしれないが、どこか安心感もあり、男性からするとその肉付きがたまらないんだって言われそうな人だ。
「気が付かれましたか?ご気分はどうですか。」
思いのほかトーンの低い声にお仕事感を感じながら、大丈夫ですと答えた。ちょっと診ますねと目、喉、胸と、病院ごっこで私もやったことあるようなチェックが入る。
「うん。大丈夫ですね。今日は1日様子を見て、問題なければ明日でも退院できますからね。安心してください。」
「ありがとうございます。」
「あの、外を歩いたり、食事は大丈夫なのでしょうか?食事というか、、珈琲ブレイクのような。」
梨花が私の気持ちを代弁してくれたけど、看護婦さんはフッと鼻息を吐いて、ニコリとわざとらしく微笑む。
「今日は安静にされててください。明日には退院できますから、先生にも確認はしますが、おそらくは明日以降なら大丈夫でしょうね。」
「はい。」
梨花がしゅんと小さく丸まって可愛かった。看護婦さんが出ていくと、私たちは忍足で目を合わせて笑った。
「こわいわ笑」
「ありがとう、代弁してくれて。」
「でも、なんかエロかったね。」
「おっ、やっぱり?」
「明日は私、予定あるから来られないけどなんかあったら連絡して。」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう。」
梨花が掛けてくれたスカーフを畳みながら入れ替えてくれた空気を鼻から食べる。少しひんやりとするけどその分に新鮮さが伝わる空気が鼻筋を通り抜ける。新鮮な空気が脳みそをスキャンしていく。
「あのね、梨花。」
「ん?」
「はつみがね、クリスマスに小津くんに会うんだ。」
「うん。」
「許してくれる?」
「私が許すもなにもないよ。だけど、ごめんね。ちょっと矛盾するけど、普通に心配なのね。こんなこと言ってアレだけど、それははつみちゃんも一緒じゃないかな。」
「うん。わかるよ。でも、、」
「あぁ、だから、会っちゃダメとか私は言えないから。私が着いて行くわけにもいかないし。」
「ありがとう。」
「まぁでも、何かあったら心配だから、時間と場所だけは知らせといてくれる?あと、病院と主治医の先生とか。」
「うん、わかった。メールするね。」
梨花はスクッと立ち上がり今しがた丸くなっていた体をウーっと伸ばした。病室を出ていく背中に向かって、梨花に素敵な出逢いがありますようにと、そうでないにしてもこの子に幸福が訪れますようにと今までよりもっと強く、もっと太く私は祈る。
「梨花、ありがとう。」
「大丈夫だよ。退院したらランチやり直しね。」
「うん。」
「ま、その前にクリスマスだね!がんばってね。」
そう言って梨花は私たちに向かって拳を突き出す。胸がキュッてなる。さっきまで無機質だった病室も明るく清々しく、ひらめく白いカーテンも羽衣のように映る。胸の鼓動や空気を感じる肌、酸素を吸う脳、私たちと梨花とで過ごした初めての時間だった。とても嬉しかった。壊したくなくてだからこそ言えなかった。梨花、ごめんね。私たちの時間は多分、これで最期だと思う。