#14 ALS患者になるまで⑤
筋生検が終わった。
あのとてつもない痛みで、生きる気力を折られてしまった。
改めて、近いうちに動けなくなる自分を想像しては涙が出て止まらなくなる。
家族の顔が浮かぶたびに、自分の介護の負担を背負わせたくないという気持ちが強くなった。
まだ、娘は4歳。
主人には新しい元気な奥さんを。娘も母親が変わってもまだ懐くだろう。
誰にも相談しないまま、離婚をしようと決めた。
1人になったら岡山に行こう。
岡山は19から約10年、過ごした街。
親が倒れるまでは、実家に帰るつもりが全くなかったほど、岡山県人で生きたかった場所。
そこへ戻って、友人たちに会いに行って、やりたいことやって、自分の最期は自分で終わらせようと、迷わず決めた。
…今から思えば、自分のことしか考えず身勝手なことを考えていた。
退院する前に、まずは今、一緒に仕事をしている人たちに、一斉メールで難病宣告されたことを送り、活動を抜けることを報告した。
皆、心配してくれて、
「大丈夫」
と、返信してくれた。
しかし、その時の自分は、みんなからの「大丈夫」は励ましの逆効果で、
「誰も私の苦しみなんてわかるわけない」
と決めつけていた。
…それも、今から思えば自分だけが悲劇のヒロインぶっていたんだと思う。そんな貧相な思考しか浮かばなかった。
そんな中、1人だけ、長いメールを送ってくれた仕事の先輩がいた。
この1通のメールがあったから、今、私は生きている。
「言葉の力」を初めて知ったメールだった。
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