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佐世保市北部のダム現況

石木ダム建設についてのツイート

俳優の伊勢谷友介氏が石木ダム建設についての私見をツイートした事がヤフーニュースにも取り上げられて少し話題になりました。私見を述べるのは良いと思うのでコレについて特段何か言うつもりはありません。

しかし、このツイートで佐世保市のダムについて興味を持ってくれたなら、当記事を見て佐世保のダムはどんなダムなのか?どんな状況なのか?を知って欲しいので記事を書いています。

佐世保市北部の水道用ダム

図1

現在、佐世保市北部に水を供給しているダムは5つ。古いものでは明治時代に建設された山の田ダムから、新しくても太平洋戦争終戦直後に作られた川谷ダムと古いダムばかり。全体的に設備の老朽化が激しいです。

山の田ダム

図2

山の田ダムは大日本帝国海軍が1908年(明治41年)に建設した高さ24.5mのアースダム。建設当時は佐世保海軍工廠と佐世保市へ水を供給していました。2020年現在で112年も前に建設され、改修を経て今でも現役で佐世保市に水を送っています。

図4

ダムから溢れる水を放流する導水路です。コンクリートは剥げ地盤がむき出しになっています。安全性には問題がないようですが、外からでもボロボロなのが分かります。

図6

山の田ダム内部にある取水設備です。左にあるバルブが排泥管で、右が取水管です。このバルブで取水量を調整したりしたそうですが、古く錆びついているため今は動きません。

ダム本体は阪神大震災による耐震性見直しを受けて改修されましたが、取水設備は昔のまま。改修しなければ取水に支障が出て、佐世保市への水の供給に問題が発生する可能性があるのは一目瞭然ですね。

転石ダム

図8

転石ダムは大日本帝国海軍が1927年に建設した高さ22.7mの重力式コンクリートダムで、苔むした堤体がなかなか素敵です。こちらのダムも建設当時は佐世保海軍工廠と佐世保市へ水を供給していました。

図9

内部は表面的には改修されてきれいになっていますが、導水管は当時のままです。山の田ダム同様に排泥管のバルブは動きません。

転石ダムが建設された時期は戦争も無く良質な材料を使って建設できたため、ダム本体の状態は悪くありません。

菰田ダム

図10

菰田ダムは1939年に佐世保市が建設した高さ40mの重力式コンクリートダムです。

菰田ダムができる前までは大日本帝国海軍の山の田ダムと転石ダムから佐世保市へ分水・供給されていましたが、1935年頃に大日本帝国海軍から佐世保市への水供給打ち切りを突然通達されたため、市民への水供給のために急遽建設されました。

日中戦争開戦目前であり佐世保海軍工廠では多くの軍艦が建造され母港として機能していた時期でもあるため、海軍工廠で使う水を優先するために水供給が打ち切られたのだと推測できます。

図11

ダムの外観をクローズアップしてみると表面に白いものが垂れている様子がみてとれますが、これは雨によってダム本体の成分が溶け出しているためです。1935~1939年という日中戦争が勃発して資材が無い時期に急ピッチで作られたため、材料も作りもイマイチでダムの状態はよくありません。

相当ダム

図12

相当ダムは1944年に大日本帝国海軍によって建設された重力式コンクリートダムです。

ここまで読んでくれたなら建設時期を見れば察してくれると思いますが、太平洋戦争末期のため建設資材は欠乏しており材料の質が良くなかったようです。

図13

相当ダム内部の取水管。きれいに見えますが表面は改修されています。改修前はこの通路に膝上までヘドロのようなものが常時貯まっていて、長靴を洗っても汚れや匂いが取れないほど酷い状態だったそうです。

図14

ダム上部の高欄の様子。骨材の大きさが揃っていない上に、風化が激しく内部の鉄筋がむき出しになっています。このように内部も外部も老朽化がとても進んでいます。

川谷ダム

図15

川谷ダムは1954年にアメリカ進駐軍の要請によって佐世保市が建設した高さ46mの重力式コンクリートダムです。

ダムの表面にはコンクリートの成分が雨により染み出した白い跡がたくさんあります。

図17

川谷ダム近景です。ダムの表面のコンクリートは一部で剥離し、コンクリートの継ぎ目から漏水しています。

こちらも終戦後の物資に乏しい時期に建設されたためダムの状態がよくありません。

安全性は問題ないが…

ダムが老朽化していると言ってもダム本体は半永久的に使えるもので、阪神大震災を受け耐震性の見直しもされているため、決壊するような事態にはならないでしょう。

改修したいけど水に余裕がない

取水設備の改修をするためにはダムの水を大幅に抜いて工事をする必要があります。しかし、佐世保市では現在ギリギリの状況で水を供給している事情があります。自動車ならメンテナンス時に代車を借りれば良いかもしれませんが、水源は借りることができません。

1994年に起こった渇水、いわゆる平6渇水においては、給水制限264日間、最大43時間連続断水が実施されました。断水や給水制限は生活に大きな影響を与えます。

最近では2018年の大阪北部地震や北海道胆振東部地震、2019年台風15号による千葉県の大規模停電などで長期間の大規模断水もニュースになり記憶に新しいと思います。

新規の水源を確保できない状況では、既存のダムの水を捨ててまで改修工事を行うにはリスクが高すぎます。

特殊な事情も

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この写真は山の田ダム内部にある工事関係者の名前が刻まれていたと思われる銘板です。よく見ると表面の大部分が削られて何が書かれていたのか分からなくされています。大日本帝国海軍からアメリカ進駐軍の手に渡ったタイミングでしょうか?山の田ダムが佐世保市管理になったときにはすでにこのような状態だったそうです。

これは銘板だけでなくダムの設計図も同様で、大日本帝国海軍が建設したダムは、本来あるべき資料が残されていません。改修しようにもダムの構造や地形が不明なため、まずは調査からやらなければならない事情もあります。

石木ダムの出番

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出典:長崎県WEBサイト

そこで石木ダムが重要になってくるわけです。

石木ダムにより新規の水源が確保できれば、既存のダムの水位を下げて改修工事が可能になります。佐世保の水を支える66~100年以上前のダム群を今後も大事に使っていくために必要な工事です。

最後に

図18

写真:石木ダム建設予定地

当記事では、佐世保市水道局にご案内いただき現状を見せていただいた写真を使用しています。僕は全国で600以上のダムを見てきましたが、ここまで老朽化が激しいダムはなかなかありません。

ダムは基本的に半永久的に使えるものですが、それは適切なメンテナンスがあってこそです。取水設備の改修や土砂の浚渫や古いダム本体の補修など、今後も長期に渡るメンテナンスの必要があるはずです。

県のダムですので佐世保市や川棚町や長崎県の当事者がどうするか決めることですが、佐世保市のダムの現状をよく見て、知って、判断して欲しいと思います。

※これ以上は長くなるため、今回は治水面での必要性には触れません。


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