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特別読切 ワタシはケンジと結婚したい!

「オレ、お前のこと一生大切にしてやっからよ」
アタイは今、幸せの絶頂というところにいる。

「ほんとに後悔すんなよ?」
「モチ、早くやって」
ケンジという名前を右腕の上腕に刻み込むのは少しの痛みと少しの時間で済んだ。ハートを入れる工程は彫り師、そしてアタイ双方の体力を鑑みて後日ということになった。

これからアタイは「ラブドラゴン」の初代総長を引退し、ケンジの妻として、カタギになるんだ。料理なんかしたことなかったけど、母さんに教えてもらえればなんとかなる。

午後9時。いつもの集まりにしては早すぎるので、メンバー達にも動揺が走っていた。どこかにカチコミに行くのだと確信し単車をかまびすしく唸らせている。この空き地には総勢30名の女が集まっていた。

「静かにしろい!」
副総長のミチコの怒号で騒ぎが止んだ。皆、様々に座っているがその背筋は鋼のように硬く、まっすぐだ。

「総長から重大発表がある!」
アタイは勢いよく土管に飛び乗る。皆の顔を見渡し、大きく息を吸った。

「今日、12月25日をもって、ラブドラゴン総長を……」
今までの熱き日々が走馬灯のように脳裏をよぎる。涙をこらえながら精一杯声を張る。

「引退する!!」
一瞬の静寂の後、ええー! という声が上がった。あまりの衝撃に泣き崩れる者もいた。

「なんで? アタイ達、これからじゃなかったっすか?! 総長がいたからここまで頑張れたのに……!」
古株のマチコが土管にすがりながらアタイに叫んだ。

「これを見よ!」
アタイは新しくファッショナブルホームしもむらで買ったニットセーターを脱いで右腕にまだ少し腫れている「ケンジ」の文字を露わにした。

「な……ケンジ?!」

「アタイはこれから……男のモノになる!」

「え……ど、どういうことっすか?!」

「……アタイを愛してくれる……世界一の男に……出会っちまったのさ……」
アタイは人差し指で鼻をこすった。

「真実の愛に出会っちまったのさ!」
寒いのでセーターを着直す。

「だからアタイは今日、特攻服を置いて、カタギの女の格好をしてきた、オマエらもいつか、真実の愛に包まれやがれ! じゃあな!」
なんとなく気恥ずかしくなってそのまま土管を飛び降り、ケンジの待つ家へ駆け出した。背中からは待てコラとか悲鳴とか怒号とかいろいろ聞こえてきたがアタイは必死に走った。

待っててね、ケンジ、今ご飯作るからね!

「アタイ……はダメだな、ワタシにしよう、うん」
自分の呼称を考えていたらケンジの住むアパートにたどり着いていた。というより昨日アタイの家にケンジが転がり込んできたのだ。

道草で買った手鏡を見て前髪を直す。乙女の身だしなみ。
玄関前で深呼吸をして、精一杯可愛らしくなるように声帯を調整した。

「ただいまぁ〜♡」

何も声が返ってこない。いや、かすかに仔犬がわめいているような声がする。寝室のほうだ。

やだ、ケンジったら、サプライズプレゼントで?
んもう、ガキだったら明日にでも産んでやるのにぃ。

「ケ〜ンジ♡」

寝室の扉を開けると、煌々と電気のついた寝室に、裸のケンジと、アタイのピンクの特攻服を着てケツ丸出しで四つん這いになっている、どこかの女がいた。

それからの記憶はなかった。気づいた時には寝室の壁にクマがつけたような大きな傷がたくさんあって、誰かの血がたくさんついていた。

「痕は残るよ」
「え?」
「完璧には消えないよ」
「え?」
「ケンジの文字は読めるぐらいには残るよ」
「お、おい、ジジイ、何とかならねぇのかよ、この名前見る度に自分が自分じゃなくなって狼が、狼の人格が……」
「何があったのかは知らんが、刺青は消えない、入れる時に聞かれただろう? そりゃ何千万も美容クリニックに使えばわからないぐらいに消すことはできるが」
「な、何千万……」
「とにかく、その傷はいい勉強だと思って、残しときなさい」
「た、たのむよ、一発やるぐらないなら我慢すっからよ! なんとか消してくれよ! アタ……ワタシはカタギになっちまったんだよ! これじゃケンジ以外の名前の男と付き合ったらドン引きされちまう!」
「そしたら新しい名前を彫ればいいじゃないか」
「でもケンジは消えねぇんだろ? 浮気みてぇじゃねぇか!」
「だから……ケンジ……など、って彫ればいいじゃないか」
「いい加減にしろ! このヤブ医者!」

どうしよう、今さらケンジは捨てたからまたラブドラゴン戻りまーすなんてシャバい真似はできないし、ケンジの名前は消せない、そもそもこの名前をもう見たくないのに……くっそー、昨日のアタイ、何のぼせあがってやがったんだ……! あんな浮気男にいれあげて……!

ドン!

「ごめん! よそ見してて! 大丈夫かい?」
「いってぇ! どこ見て歩い……てらっしゃる……」
そこには黒髪ストレート、鼻高、高身長、そして白衣を身にまとった黒縁メガネ知的イケメン男子が立っていた。

「ごめんね、大丈夫だった?」
「……は、はい」
「一応検査したほうがいいかな? 立てる?」
「あ……」
ワタシを白馬に乗せるように優しく手を取って、体を起こしてくれた。
「今日はこれから時間ある?」
「あ……は、はい……」
「じゃあこれ僕の名刺、受付でこれを見せて先生の紹介で脳のCT受けさせてくださいって言えばやってもらえるから、じゃあね!」
彼は足早に去っていった。もらった名刺に目を落とす。

脳外科医
真宮 賢治

「というわけで、次もケンジと付き合えばいいじゃんてことに気づいたわけよ!」
アタイは上機嫌で旧友のシンジと飲んでいた。昨日の惨劇を知ったシンジはアタイをとにかく心配してくれて病院帰りに飲む約束をしていたのだ。

「元気そうでよかったよ……心配したぞ、誰が死ぬかわからない状況だったんだから」
「アタイが喧嘩で負けるわけないだろ! ケンジは4分の3死んで、女は5分の4死んだ! ガハハハハ」
「女は浮気相手を憎むからな……」
「まぁ、これで清々したわ! アタイは真宮さんのために生きていく!」
「でもよ、その人医者なんだろ? きっといいとこの坊ちゃんだぜ? スミなんか入れてたら引かれるって」
「だから〜、アナタを思いすぎてなりふり構わず入れちゃったの! って言えば解決よ」
「そんな単純かねぇ……」
「……やっぱりスミはまずいかな?」
「とても」
「どうしよう……でもアタイはもうケンジという名前の人としか出会えねえんだぞ……」

「お、おれは?」
「は?」
「おれは別にお前の体に名前だろうがウンコだろうが入ってても気にしねぇぞ……?」
「は?」
酒に弱いシンジの顔が、酔っているのか照れているのか、ワタシにはわからなかった。


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