「キヨの次にプロでナイキと契約したのは実は俺」森博幸インタビュー
千葉経大付の監督就任で話題の森博幸さん。“スーパースター”清原和博の控えであることを宿命づけられた男が語る「清原」評とは!?(EX大衆 14年6月号)
96年オフの納会で、真っ先に俺のところにビールを注ぎに来て
『お世話になりました』って言ってくれたのは感激したね。
――同じ85年のドラフトで指名されながら、森さんは1年間社会人に残留されました。そこにはやはり清原という存在への意識も?
森 正直言うと行きたくはなかったよね(笑)。いくらキヨのほうが年下でも、相手はあれだけのスーパースター。自分の実力を冷静に判断しても、もう1年残って違う球団にトライしたいって想いのほうが強かった。外野に行くにしたって、当時のライオンズはレフト以外に入りこめる余地はなかったしね。まぁ、根本(陸夫)さんには新日鐵君津のときから恩があったから、結局は1年遅れで入ることにはなったけど。
――入団後の、第一印象は?
森 無愛想だなと思ったね。向こうはすでに新人王も獲ったバリバリの4番だから俺のことなんて気にもとめてなかったんじゃないかな。俺が1軍に上がった3年目のキャンプからは、ファーストで一緒にやるようになったけど、その頃でもまだあんまり会話はなかったね。
――打ち解けたきっかけは?
森 例の〝バット投げ〟のあと、俺がキヨの代役で4番を任されて、かなり打ったんだよ。正確な数字はもう覚えてないけど、10何試合かに出て、打率も5割以上は残したんじゃないかな。そしたら、たまたま俺がホームランを含めて3安打ぐらいした次の日のシートノック中に、キヨがボソッと「すいません」って言ってきた。俺は代役だから、どんなに活躍してもキヨが戻れば翌日からはまた補欠。そのことに対して、申しわけないと思ったんだろうね。
――らしいエピソードですね。
森 そういうやさしいところがあるんだよ。俺がアキレス腱を痛めていたときもそう。いまでこそライオンズのユニフォームはナイキだけど、当時はまだプロ球界には進出してなくてさ。プロで初めてナイキと契約したのがキヨだったんだよね。で、ハワイキャンプのときに、俺が足を痛めているのを知ってて、「森さん、コレ履いてみますか? よかったら紹介しましょうか?」ってスパイクを貸してくれてね。
――なるほど。ナイキのシューズにはエアが入ってるから!
森 そうそう。ちょうど足のサイズも同じだったしね。だから、キヨの次にプロでナイキと契約したのは実は俺なんだよ。実際、足も楽になったし、あのときのことは、キヨにはホント感謝してるよ。
マスコミには子ども嫌いなんてことも書かれていたのに、優勝旅行でハワイに行ったときなんかでも、幼稚園ぐらいだったウチの長男のことを「昔の自分に似てる」って、やたらかわいがってくれたしね。「森さんちょっと貸してください」って、帰りの飛行機までずっと横に座らせてたぐらいだから(笑)。
――言葉にしなくても、そこにはきっと信頼があったんでしょうね。
森 そこは確認したことないから、ホントのところはどうか分からないけどね。まぁでも、キヨが来年からジャイアンツに行くってときの選手会の納会で、乾杯が終わってすぐ、真っ先に俺のところにビールを注ぎに来て、「お世話になりました」って言ってくれたのは感激したね。俺のほうが頑張れよって注いでやらないといけないのに、「たぶん酔っぱらうからいちばん最初に」ってね。いま振りかえっても、俺のなかでは、そういういい思い出しかないんだよ。
――森さんの話を聞いて、僕らのキヨマーが“番長”なんかじゃないってことが確信できたような気がします。ありがとうございました!
PROFILE
もり・ひろゆき
1963年、福岡県生まれ。小倉工から新日鐵君津に進み、清原と同じ85年のドラフトで西武から4位指名を受けて、1年遅れで入団。主に清原のスーパーサブや指名打者、外野手として活躍した。97年オフに現役引退。07年からの4シーズンは古巣のコーチも務めた。
生涯成績:374試合/155安打/15本塁打/80打点/率.275/OPS.759