遍歴の騎士
その帰り道、雨が急に降り出し、スーパーの軒先で雨宿りをしながらバスを待った。
子供達は屋根の下、プロレスのようなことをしている。まあうるさい。
何度静かに待てと言っても、言うことなど聞かない。誰よりも大きい声で、うるせえ!!黙れれ!!!と叫ばなければ、静かになんてならない。うんざりする。異国の雨の中、店の片隅で雨宿りしている分際で、プロレス大騒ぎだ。うんざりである。
バスはほぼ定刻通りに到着するようだった。雨宿りの軒先からバス停まで移動すると、プロレスを楽しむ子供達に伝えると、
「ええええええ、なんで」
と、10歳児から返事が返ってきた。
お母さん、うんざり大爆発である。
「今!!この雨の中で15分待ったバス以外に優先させるべき物があるわけないだろうが!!!!!!!お前はそんなことも考えられないのか、ここで文句言うとは!!!乗らずにまた待つっていうのか?!!次のバスがいつ来るかも知らない、自分では何も考えてないのに文句だけ一丁前に言うようなやつは、マジでだせえ!!!おまえダサいことしてるってわかってるのか?????!!!!と、誰よりも大きい声で返答した。
息子にしてみれば、ちょっとした返事のつもりの「ええええええ、なんで」が、大問題と化したわけだ。
これについては、私の子育ての筋は通っていると考えているので、私がこのことで子供に大きな声で返事した(ブチギレた)事に、後悔はない。
文句だけ言うのに、なんもできない奴なんて、マジでダサいから、本当にそんなふうな大人になって欲しくないのだ。
バスに乗り込み、バスにも乗れるIDでバスの支払いを行おうと、財布からIDを取り出す。
そのバスにはIDを読み取る機械がついておらずドライバーさんから「そのまま乗っちゃいな」とタダ乗りの合図をされる。
バス車内には他に乗客はいない。
私たちだけを乗せて、大雨の中、発車する。ふと、顔に雨粒を感じる。見上げると、屋根の緊急脱出口の蓋が開いている。外は大雨なのに、屋根が完全に閉まっていないのだ。
これがアメリカである。
ここから家まで5分ほど。歩くことを考えれば、これくらい屋根の蓋が空いていても問題ない。
私はアメリカに少し慣れたらしい。
少し濡れながらも無事帰宅し、その翌日に出かけようと鞄を持つと、
私は財布を失くしていた。
おい、ここはアメリカだぞ。
自分の行いを振り返る。
子供にブチギレながら、バスに乗り、IDを見せ、屋根が空いていることに気を取られ、財布を鞄に入れ損ねている。
頑張って作った銀行のカードも、出来たばかりのIDパスも、再申請する手間を思うと、少し気が遠くなるが、自分のしでかしたことの落とし前は自分でつけなければならない。
翌日、夫がバス会社に連絡してくれる。(自分の事なんだから自分でやりなよ…)
なんと、私の財布が届けられていると言う。
行きにくい場所にあるバス会社本社まで、我が家に車がないことを見かねたアメリカ人の知人が車を出してくれる。(だから、自分の事なんだから誰にも頼らずやりなよ…)
知人は私の英語を心配し、受付まで付いて来ようとしてくれるが、一人でやってみる!と、勇んで断った私は受付で
「わたし財布とりにきてん!!!!」(こんな英語だった)
と伝えると、すぐに私の財布を取り出す受付の人。
「お、それ、わたしのや!!!パスポートもってきた!!それわたしのや!!!」(こんな英語だった)
と伝えると、
「じゃ、確認しようかな!これは完全に君のだね!!パーフェクト!!!」と言われ、ものの15秒で自分の財布を引き取り車に戻ることとなった。
「早すぎんか?!!!!中身は?!!」と知人が言い、確認すると何もとられていない。
なんのメリットもないのに私をバス会社まで連れてきてくれた知人が、
「それ奇跡やで」
(こんな英語だった)と言う。
「これがアメリカ?」と聞くと、彼は
「知らないけど、今日がいい日なのは間違いないね」と言う。
とにかく全てのことに「センキューソーマッチ!!!」である。
こちらの田舎に越してくる前に住んでいたニューヨークの都会には、地下鉄や電車が走っている。
地下鉄の改札を入るのにも少しコツがいり、なかなか慣れず切符を入れたのに子供と二人で改札内に入りそこねてしまったことがあった。
初めてのことにアタフタしていると、
改札から出てきた女性がその様子に気づき、さっと自分の切符を切り改札を開けてくれる。
そして、私に向かって強めの、
「ゴーゴーゴー!!!!」
「セ、センキューソーマッチ!!!!!」と言って、私は改札に入る。
改札を入り振り返ると、先ほどの女性はもういなくなっていた。
つまり、その人がお金を払ってくれたので、私達は改札に入れたわけなのだが、見知らぬ人からのものとは思えぬ恩恵を受けて、正直ちょっと意味がわからない。おそらく乗り放題のパスで入れてくれたのだとは思うが、果たして日本で私に同じことができるかわからない。親切すぎんか。
これが、アメリカなのか。
また、あるとき、一人で少し遠めの散策に出た帰り道、電車を待っていると、次は急行という表示が出る。私の降りたい駅は大体どの種別の電車も停車する為、いつもの通り乗り込むと、普段よりも車内は混雑している。こんな日もあるのかと車内アナウンスを聞いていると、この電車は超急行らしい、それはすべての駅を終点まですっ飛ばす電車!と言うことらしい。
もちろん私の降りたい駅もすっ飛ばす。
気づくと、チケットの確認に車掌さんが目前まで来ている。
私が持っているチケットでは足りない。
車内で追加分を買う必要がある。私は焦っている。英語で車掌さんにそのことを伝える英語力はない為、滑る指先で焦りながら翻訳をかける。
「間違った電車に乗ったみたい、チケットはどうすべき?」
と、翻訳の画面を車掌さんに見せる。
「15ドル払えば大丈夫だよ」と言われる。
まだ見せていない10ドルのチケットを持っていた為、ちょっとした確認のつもりで、
「私の持ってるチケットは使えない?」と、翻訳を使わず聞く。
「んん、ちょっとここで待ってて」と、言って消える車掌さん。
しばらくして、さっきの車掌さんがデッキの方から私を呼ぶので、そちらに向かうと翻訳機を出してと言われる。スマホを渡すと文を打ち込み、私に見せてくれる。
その英語は、
「あなたの降りたい駅に電車を止めてあげましょう」
と日本語に翻訳されている。
「ええええええ!まじで?!!!マジで言ってます?!そんなんはありえんのかい?!!!!!!」
と、驚きのあまり全部日本語で返事をする私。
それを見て、にっこりと頷く車掌さん。超特急電車は、再び「セ、センキューソーマッチ!!!!」しか言えなかった私を、駅で私の前のドアだけを開けて、私だけを降ろすと、また出発していった。
ホームにいた家族連れが
「なんで停まったんだろ」「知らん」(こんな英語だった)というやりとりをしている。
電車を降りてから、この事態の凄さを抱えられなくなり、思わず夫に電話をすると、私の話に驚かないで有名な夫も流石に驚く。
どの展開も、凝り固まった私には思いつかないものばかりだ。
さすがのアメリカである。
おそらく、これら全ての出来事が、風車を巨人と呼ぶくらい、私側から見た事象と、私を助けてくれたアメリカ人側から見た事象で、見え方が違うだろう。
ただ、私はこの全てに助けられ、励まされ、ここにいる事を許されているような気持ちになった。それは今の私にはとてもありがたい事だ。
雨の中バスが15分で来たこと、直前にわたしにブチ切れられながらもバスのドライバーさんには「センキュー」と言いながらバスを降りた息子たち、彼らが雨宿りさえも思い切り楽しんでいたこと、今ここで毎日初体験しながら生きている私たちの事を、起こる全ての事をポジティブに捉えて、
「セ、センキューソーマッチ!!!!」
と言いながら、ずんずんと生きていくのが良い。
自分を遍歴の騎士と見なし生きることが、自分を保っていられるたった一つの方法ならば、私だってそうするしかないと思うからだ。そのことが、他の誰でもない私自身を救うと思うからだ。
私にこう思わせているのは
アメリカか、それとも。