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アメリカの犬と、古傷

古傷が痛む。
20年前に遭った交通事故で、断裂した靭帯が痛む。
なぜか。アメリカで正座して暮らしているからだ。

この家を借りる時に大家のミーガンは
「ヘーイ!!今空いている部屋は1階、急がないと借り手が付いてしまうと思うし、隣のピザ屋はここら辺でいちばん美味い!!!」
みたいな事を言っていた。
子供が二人いて、1階を切望していた我が家としては即決、ホッと一安心。
そして、私達は今、2階に住んでいる。

ミーガン絶対ダウンステァーズって言ってたけど、私たちに宛てがわれたのは、2階だった。

初めからこんな調子なので、もうアメリカ人は陽気に見える軽率だという偏見は確信に変わっている。

玄関を入るとすぐ自分たちの部屋に上がるためのカーペットの階段がある。日本人なら絶対靴を脱ぎたくなる小上がり付きだ。

その結果、カーペットの上で大体床に正座をして日がな過ごしている。日本にいる時によりジャパニーズスタイルである。結果、右くるぶしの外側が痛む。

アメリカに発つ前に、大学時代のサークルの友人に会う機会があり、あの頃の話になった。
「あの時、こうでさ〜大変だったよねぇ〜」
の話に、わたしは出てこない。その頃わたしは、自転車にぶつかられ怪我を負い、松葉杖で試験期間の校内をヒィヒィ言いながら移動していたから。松葉杖タイミングと引越しタイミングが被りギプスで引越しをしていたから。サークル激動の諸問題より何より足が痛かったから、である。

くるぶしの痛みに何十年ぶりに事故の記憶が蘇る。青信号を渡るわたしをセンター試験1日目の帰り道に自転車で轢いてしまった高校生のことを思う。君のセンター試験も大変だっただろうが、わたしもここに来て古傷が痛いから、センター試験の結果くらいは人生にかかる怪我だったようだよ。

日本の比でなくアメリカはでかい。その割に電車がないので、車を持たない私は全てをバスと徒歩で移動する。その為、実は膝も痛い。両膝痛い。

この膝についても思い出す。
先の大学のテニスサークル時代の事だ。

テニスなんてしたことがないのに、大学で隣の席になったアメリカ人(大学でできた友達2人の内の一人)に誘われ、入ってしまったテニスサークルだ。思えば、彼女も陽気で軽率である。

人生初めてのしっかりした運動にわたしの膝は早々に根を上げ、病院にかかると「亜脱臼症候群」と診断された。膝の皿がずれやすいという症状で、皿がずれたら固定に一ヶ月くらいと言われる。サークル活動で体を壊したくないと思い、痛まないようにテニスをしていたのに、結局交通事故で、靭帯を断裂した訳だ。

という過去の出来事が、アメリカに来て、若干響いている。

アメリカに来て、4ヶ月経った。
私は特に日本に帰りたいとも思わず、アメリカが嫌だとも思わず、びっくりするくらい変わらない。
日本食は米があれば納得だし、家の裏にはアジア食料品店がある。どうしてもサーモン以外の魚が食べたくなり、韓国語しか書いてない冷凍のサバを食べてみたが、めちゃくちゃ美味かった。寿司も変なタレはついているけど、売っている。美味しい。生活の方も、別に暮らすだけならどうにかやれている。

「わたし、これ、2回ピッてなった!でも、1個ほしい!!!わからないよー!!!」
「たすけて!ここどこ?!!わたし、電車のるのー!!右はこっち!!わかる!!!ありがと!!!」
「こにちはー!あなたはげんきですかー?!!さよならー!!!!ありがとー!!!!」
「クッキー、ほしい、けど、ピーナッツいらない。それわたしのだから、3個にしてよー!!」
「ポテト欲しいよ!ない?!ありがとー!!わかたよー!!!」

みたいな変な言葉を発しながら元気に生きている。ミステリアスな英語すぎて、英語だと何度同じエピソードを話しても、みんな初めて聞いた顔をする。多分全然伝わっていない。それでも、無碍にせず何となく適当に流してくれるアメリカ、めちゃめちゃ寛大である。

その寛大さと反比例して、アメリカの犬にめっちゃ吠えられる。

アメリカで犬と暮らしている友人(さっきも出てきたサークルに私を誘った女)に会いに行き、その友人の飼う犬にめちゃくちゃ吠えられる。
家人に気を遣われるほど吠えられる。私は中型犬を飼っていたことがあり、日本で犬に吠えられたことがなかったので、少し自信を無くした。彼は私が滞在していた3日間ずっと私に吠えていた。

また、子供たちをスクールバスに乗せた後、一人で歩いていると散歩中の犬に吠え掛かられた。闘犬種である。かなりの恐怖に走って逃げる、アメリカで犬に噛まれて保険はおりるだろうか?!!!と降りかかった身の危険に思考が飛躍するほど、怖かった。飼い主はもちろん犬を引き止めてはいたが、「ソーリー」というだけで、犬を叱らない。なぜなんだ。その犬を叱ってくれ。怖い…あの道にまたあの犬がいるならばもう通れない…が、また子供を迎えに行かねばならない。意を決してその道を通ると、飼い主のおじさまから
「ごめんね!さっき!!!!ねえ!げんき?!!!」
と、声をかけられる。
「わたくしはだいじょぶであります!!!が、はい!!!ありがとございます!!!」
と、謎に感謝してしまったのを皮切りに、送迎の度、そのおじさんとは遭遇することになる。気づくとそのおじさん(犬吠さん©️長男)と毎日話すことになり、彼はわたしの生活の一部となった。

犬吠さん「子供らはどこにいった?!!」
わたし「学校に行ってるです!!わたしは行くです!!」

遠くから私を見つけ手を振る犬吠さんと、遠目からでも私を目視し吠え掛かる犬。怖いけど、手を振りかえす私。
子供らも犬吠さんと話すようになるが、まだ後ろで犬は私に向かって吠えている。アメリカ到着から一ヶ月半をそんなふうに過ごし、夏休みを区切りにアメリカ国内で引越しをした。
引っ越し前に犬吠さんと会えたら今日が最後の日だと伝えようと思いながら結局言い出せないまま、あの犬との関係も良くならないまま、田舎に越し、小上がり付き2階での正座生活が始まった。こちらの田舎にも犬はいて、やはり、大体吠え掛かられる。


夫の仕事に帯同することを人に話すと大抵、
「いいなあ、楽しそう〜」と、言われる。
言われるたびに「何も楽しいことはない、あたしゃ、アメリカのこと、なんとも思ってねぇんだわ」と思う。ちなみに、犬にはその気持ちがバレているから、吠えられるのでは無いかと考えている。その私でも、小学生の我が子らにうってつけの英語に触れる、新しい文化に触れる機会として、この帯同は価値があると踏んだ。
4ヶ月暮らしてみても、好きでも嫌いでもない。再来年日本に戻っても、寂しさを覚えない気がする。実はほんの少しだけ、人生が変わるかもと期待していた。自分が想像できるポジティブな変化の内、海外生活以上のものが思い浮かばない割に、自分のあまりの変わらなさにがっかりする。自分が新しい生活に他人事のように大期待をしていたことを思い知る。

18歳の頃、大学に行けば何か自分が変わるかもしれないと感じていた事を思い出す。

変わらないのだ。
初めての一人暮らしをしても、環境が変わっても、アメリカに行ったって、変わらない。
変われるのは、傷ついた時だけだ。
傷付いてそれを踏まえて行動したなら、人は変わる。あの膝が傷んだ時、さっさとサークルを辞めておけば、くるぶしは痛まないし、アメリカの犬に吠えられることも無かったような気もする。

子供や夫の生活は、激変し彼らは、これまでの人生を覆すような日々を過ごしている。一日中英語を聞き、訳がわからないらしい。
なんのためにここに来たんだろうと、日々の辛さに眩むような気持ちになる彼らの背中を励まし撫でながら、
今傷ついているなら、私が20年たっても思い返す思い出と同じように、君たちの今もいつか、何度も思い出す思い出になるよと、そんな思い出がある事が、またその時の君を励ますんだと、私は思う。
そして、生活を整えておくこと以外に、彼らのために私がしてあげられることは無い。

古傷が痛む。
大学時代の新生活を上手く乗りこなせなかった頃の私が、ここに来て何度も何度も蘇ってくる。日々が無事に嫌なことが起こりませんようにと願いながらヒリヒリと過ごし、キラキラとした大学時代とは言えない日々だった。あの日々になんの意味があったのか、もっとああすれば良かったと思う所しかないあの日々を、新たな新生活の今、悉く思い出す。

痛むくるぶしにも、吠える犬にも、うんざりだが、反面、私の姿勢を正してくれる。

あの大学時代の生活も、今の私との変わらなさや、私の恥を俯瞰で見せてくれる。

無駄なんだけど、無駄じゃなくて、
何にもならないけど、何かにはなっている。

その日々も、いつか忘れた頃に思い出せる思い出になるらしいと、時を超えて大学生の私を励ます。あの頃よりもほんの少しだけ余裕がある。

息子たちの背中を頑張っているねと撫でながら、私の中の小さな私のことも撫でている。

息子たちにも来る、こんな日がいつか。
痛む古傷は持っておいて損は無いのだ。

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