そういう星
以下全て、私自身の話で、私以外の人に対しての意図は一切ありません。ご了承ください。
子供を産んで、自分はここにいていいと思えるようになった。
大仰に人生を嘆いているつもりはないのだけど、自分が世界の役に立っていない感じが、ずっと気になっていた。
仕事ができるわけでも、世間の役に立っていけるわけでもない、なんだか頼りない私がここに居ていい理由が、自分の子を産み育てており、その役は他の人より私が適しているからというエクスキューズによって、成立するような気がして、ようやくここにいていいなと思えるようになった。
この世を、誰かを、救うわけでもない私が生きていて良い理由ができたと思えた。
反面で、パニックになりキャパオーバーしながら、母乳が出ないと悩み、吐き戻しに悩み、乳腺炎で発熱し、食物アレルギーを持つ子供が食べられる食品を探し、発育や発達に心を配り、思い通りにことを運べず悪戦苦闘し、子供が引き起こすトラブルに肝を冷やし、社会の中の子育てに納得のいかない部分を睨みつけ飲み込み、大人になった彼らが他者を傷つける人間とならないように言葉を尽くしながら彼らを育てているとしても、
私はさして、いい母親ではない。
料理にも掃除にも、生活能力にも長けていない。他に長けているものがあるわけでも無く、感情に任せて怒り、周囲をビビらせ、生活の多くの事にうっかりしている。夫もそんな私を不憫に思うのか、随分気を遣わせていると思う。
なぜ私のような自分が居てもいいかすら不安な人間が、ホモサピエンス界の宝である子供を育てているんだろうと出産してからずっと感じている。せっかく素晴らしく生まれた子供らをわたしが育てては、彼らを歪めてしまうことになるのではないか、余計なことをしているんじゃないか、これで良いのだろうかと思いながら子供を育てている。
結局、「世界の役に立っていない感じ」は、「世界の宝に余計なことをしているような感じ」に形を変えた。
夫にその話をすると、
「こう言っちゃなんだけど、私の親もあなたの親も大した人たちじゃないし、そこからどうにか私たちもここまでやってきたんだから、彼らも自分で考えるようになるでしょ」
と、いう。
そう言われて、子供に余計なことをしている気がすることは、あまり気にしなくてもいいのかと思えて救われる反面、自分の存在はしているけど、「どうにも役に立たない感じ」についての問題は、据え置かれた。
自分の価値のなさについて、ずっと考えている。
そんな中、今年度、小学校のPTAの役員をすることになった。仲間内で固まって立候補し、やってしまえば後々楽になるのでは?という思い立ちから、私から知り合いに声をかけ、会長含めた本部役員をフルメンバーで立候補することにした。
会長は大変そうだと皆が尻込みし、誰もやりたがらなかったので、私がやっている。
会長をやってみて、わたしはこれが一番楽な仕事だったと思う。
他のみんなは忙しそうに見えたけど、私は暇だった。
PTAというもの自体の存在がなんなのか考える謎の哲学の時間や、事の方向性をもんもんとしながら決めたりや、責任があったり、会長として会議に出ることも多かったが、自分の発言に責任さえ持てば丁重に扱われる。個人的には私には会長職が合っていたと感じている。
その一方で、能力的にこれしかできなかったと感じるのだ。
そして、この気持ちは、自分の無価値さに紐づいていく。
私以外の人のお陰で、私はすごく楽だった。そして、そこに会長としていることはできたが、何かに役に立つことはなかった。
わたしは存在として、いることができるが、いるだけで役に立つよう用法のある人間ではなく、いなきゃ話が進まない人間でもない。期間通して、頭数としていた方がいいから存在していたが、特に役に立つ訳でもなかった。その会長期間もそろそろ終わろうとしている。
やってみたら、こんなものなのかと、肩透かしを食らっている。
また来年度、渡米転居をすることになり、今の事務のバイトを辞めるにあたり引き継ぎなどについて確認した際にも、「何も気にせず、辞めたい時に辞めてもらって大丈夫ですよ」と、優しすぎて怖い上に、逆にアメリカでの生活を心底、心配された。事務所の方がアメリカの生活について調べてくれて、「車の運転どうしましょうね?」と、わたしより前のめりだった。もちろんバイト先でも、言われた以上のことができる事はなく、他の何かがすごくできる訳でもないけど、堂々と働いていた。
基本的にわたし自体は、この世にいなきゃいないで問題が起こらない。そんな中で、初めていなきゃいけなくなったのが、子育てだった。わたしがいないと、初めてことが進まなくなった。初めての、そして束の間の、「ここにいて良い感」。すぐさま襲いかかる、宝に余計なことをしてはならぬという新たな使命。
出産育児中の方がよく言う社会生活を送っていないから、周りに置いて行かれるような気持ちからの焦りや、社会と切り離された孤独を感じて…という思考とは、わたしの感じているものは違う。
昔からそうなのだ。学生の頃から、そうだった。小学生の頃、なぜか生徒会長をすることになったが、覚えているのは大きい声を出して一生懸命やってみてもそんなにうまくいかないという感触だけだ。部活でも特に役に立たなかった。部員として存在だけしている感じや、人から何かを頼られても求められてる以上のことが返せない不甲斐なさや、わたし以外の人の忙しさや、自分の頼りなさをどうにもすることが出来ないとずっと感じてきた。頼られれば嬉しい反面、心持ちはどこかで荷が重いと感じている。むしろわたしが一人で困れば、誰かに助けてもらうことになる。一人でやろうとしてできる部分と、誰かが助けてくれる部分の割合では、圧倒的に助けてもらうが多い。
中学校の卓球部では、下級生の経験者の子とダブルスを組み、足を引っ張りながら、そこでわたしは年下にも頼って良いと学んでいる。高校の部活でも、もちろん役には立たず、わたしはここで「わたしっているだけで、基本役に立たないな」と気づきを得ている。
おそらく、私はそういう星のもとに生まれついている。
いつもこんな感じなのだ。わたしには大変なことは起こらない。その代わりに、物事の本質や、真ん中で考え込んでいる。実際には何も困るようなことは起こっていないのにだ。見方を変えた他者からすれば、順調に見えているかもしれない。確かにその側面だって、あるかもしれない。
卓球は何回か勝てて気分はよかったし、高校の部活も青春だった。今も、子供はかわいいし、夫の事は好きだし、PTAは力を合わせて取り組めた、仕事も後を濁さず辞められる。
大変なことは何も起こっていない。
ただ、私だけが自分について気難しく、ずっと考え込んでいる。
このバカバカしさに、当の私も気づいている。
もし、子供が「自分は無価値だ」と言い始めたら、そう思わせたことを反省するとともに、そんなことはないという。面白くてかわいくて、温かくて最高だと言葉を尽くす。
もし、一緒に役員をしている人が「わたしは役に立たなくて…」と嘆いたら、それは違うと、一緒だったから一年乗り越えられたと、あなたがいなかったら全てはこうならなかったと、言葉を尽くす。
もし、仕事先の先生が、「わたしなんて居ても居なくてもいいですから」と自虐すれば、「先生がいなかったら、どんだけの人が困ると思ってるんですか」と、即答できるだろう。
もし、部活内で誰かが自分の不甲斐なさを語れば、「部活は初めてのそういう体験をする場所かもね」なんて、偉そうに言ったかもしれない。
もし、夫が「わたしなんかが子供を育てていいんだろうか」とわたしに問えば、「あなたの子供をあなたが育てられることは幸せだと思うし、あなたに育てられているその子供は幸せだと思う。わたしはあなたの子供を育てられて幸せだ。」と、わたしは心から言える。
わたしは、ずっと自分は役に立っていないなと思いながら、それでも、まあ、どうしようもないし、仕方ないかもと捉えながら、生きてきた。
後になって、あの日あの時あんなことしなければ…と思うかもしれないと頭に思い浮かべながら、
でもやるしかないからという理由で、人生の選択を続けてきた。
アメリカでは小学生を一人にすることはできない。
とりあえずわたしは頭数として、子供といるだけでも役立てる可能性がある。それは助かる。
ここまで読んでくださった方には申し訳ないほどに、深いプールだと思って入ったら、思ったより浅いプールで、足をくじいてしまうほどに浅薄な見解に辿り着いてしまった。
アメリカでまた、また新たなことに考え込むだろうが、それはもう全く想像がつかないので、その時思い悩み考え込むことにする。
役に立たず申し訳ないと思い、わたしはずっと考え込んでいるが、多分それにも意味はない。多分、考えても仕方ないのだろうと思う。だって、考えているのがわたしなのだから。
多分、わたしはそういう星の元に生まれついている。