スキズアイエン.2
愛されたり、好ましく思われる事をただ受け止めるのには、体力がいる。その体力があるかどうかが、アイドルを仕事にできるかどうかの最初の線引きな気がする。
わたしのような他人からの期待を素直に受け取れない人間にとって、他者の期待に応える事は他者への献身であり、相手の好意を素直に認め尊重できるのは他者への博愛だとすら思える。わたしはアイドルにどうしたってなれない。
ヤンジョンインが花咲くように笑うたびに、わたしはこの子のアイドルとしての類まれな素質と献身と博愛を思う。(ヤンジョンインまたの名をアイエン、またの名をイエニは下段中央)
野球を見にいけば自分が応援しているチームが必ず勝つと、なんの衒いも無く、ヤンジョンインは言う。
「僕が笑うと幸せになると言ってくれる。僕は笑うだけなのに幸せになるから、僕まで幸せになって。誰かを幸せにできてることに感謝します。」と、ヤンジョンインは言う。
眩しいほど、持つ者の自己肯定感と献身的思考回路と、博愛だ。
ストレイキッズの末っ子(マンネ)である彼は、リーダーバンチャンの導きによって、このグループに参加している。バンチャンがいなければ、この形でのデビューはなかったと彼は言う。バンチャンは彼のことを「僕のジョーカー」と表現する。いつか何かしらで大爆発を予感をさせる末っ子ヤンジョンインはグループの中で年上の兄たちを冷静に眺め、可愛がられながら、またそれを微妙に疎ましくも思いながら、末っ子としての役割を担ってきた。もちろん、苦しいことも辛いこともたくさんあるだろうが、基本的には苦しみや悲しみには、向き合わないようにしている気がする。どこかで線引きしないと、ネガティブな気持ちに飲み込まれてしまうから、ヤンジョンインは深く考えない。深く感じ入ってしまえば辛くなるから、考えないようにしている。わたしには彼がそんな風に見える。その場に即した態度で、気楽に、誰かの悲しみに気づけば癒し、誰かの喜びには適宜に合わせ、できることをやる。
自己肯定感と献身と、博愛の精神で。
ヤンジョンインはその見た目の特異な清廉さと、存在感という業によって、気づいたらアイドルをすることになっていた。目立つのは苦手だし、見られる事でアドレナリンが出るタイプでもない彼はできることをやって、求められることに応えて、これをしろあれをしろと言われれば、それに応えている間にここ(アイドル)に辿り着いた。真面目な性分の健気な良い子はそれに応えているうちに楽しくなり、これがやりたくなって、今ここでアイドルをしてくれている。
存在感と精神性で、かわいい末っ子として、彼なりにやってきた。
兄たちは、そういう彼を愛で、褒め、方向を示して、激励し、導く。彼は、場を読み、要求に応え、グループ内の自分を出来るだけ俯瞰し、見失わないようにやってきた。グループというホームの中で自分を見せるのであれば、それなりにのびのびとできる。かわいいけど、冷静な我らがマンネは、グループの外に出た時に、自分の魅力だけでは事が立ち行かないことに、気づく。
キングダム(2021年に放送された韓国アイドルが6組がパフォーマンスを競い合う番組)に参加したストレイキッズは、この番組で優勝を果たした。
番組の中で様々なパフォーマンスが披露される中で見えたヤンジョンインの姿は、グループの中で愛される姿とは裏腹に、魅力的な存在感やその底抜けの自己肯定感が消えてしまうような描かれ方をしていたと思う。パフォーマンスを悔やむ彼の姿が幾度となく流れ、自信なさげに出来ないと落ち込む姿が編集の妙なのか、とても苦しかった。求められていることに応えられない辛さや、そのことによってグループの足を引っ張ってしまう苦しみを、感じる他ない日々だったのではないかと思う。それでもグループは優勝する。もちろん誇らしく、参加したメンバーみんなで勝ち取った優勝だった。
そんな中で、ヤンジョンインは新たに歌唱のレッスンに通い出す。
自分がどうであれ優勝したとも言えるし、結局優勝できるくらいには期待に応えられてたと、考えてもおかしくはない。本来ならあまり、自分の本気の気持ちに向き合わないようにしている彼が選択したのが、新たなレッスンだった。
実際に彼がどう考えているのか、どんな心境だったのかをわたしが知る事はない。一生ない。全然無いし今書いてるこれだって、全部妄想だ。わかってるでも、書かせるんだよ、ストレイキッズはさ。悪いけど書き切るよ、悪いけどね。(誰に悪いのか、強いて言えばストレイキッズに悪い、謝れ)
ただレッスンに通い出して一年になるライブでの彼の歌唱を聴いて、わたしは彼の心に触ったような気持ちになった。
ヤンジョンインも私たちの期待と同じように、これを求めているし彼にとってこれはもうただの献身ではなくなったとんだと、感じた。
自分の感情を爆発させないように生きているように見える彼の感情の大爆発が乗った歌唱は、わたしには祈りに聴こえた。できることをやらなきゃという献身が誰かを救うかもしれないという願いで、祈り。歌い終わった後に、花咲くように笑う彼の表情に、少しの自信を感じて、なんだか猛烈にニヤニヤしてしまった。
これを聴いてほしいと、さては君、思っていたね?と、彼の抱える心に触れられた気がした。
彼が献身以上の欲望を持ったことを、喜ばしく思い、学生だった彼が青年になっていくのを目を細めながらもしっかり見てしまった。
先のキングダムでの名場面、あるパフォーマンスで思う通りにいかなかったヤンジョンインを慰めるリーダーバンチャンが落ち込むヤンジョンインをこう励ます。
「こんなに大きくなったの。もう抱きしめる事ができないよ。」
親でもこれを言えるか、わからない。
リーダーのデカさと、冷静に兄達を見つめながらも、着いてきた末っ子の健気な関係性とその様子にただただ胸が打たれる。
7人の兄達に揉まれ、ぐしゃぐしゃに可愛がられながら、自分の歩む道を選び取っていく彼の行く未来の明るいことを、いつまでも君が花が咲くように笑うことを、これからの彼にさらなる期待を込めて、願う。
私たちの期待と応援を晴れやかに受け止めてくれるヤンジョンインに、わたし達はファンは、ただ盛大な拍手をする準備をしよう。
愛したり、好ましく思うものを応援するのもまた、選ばれたもののできることなのだから。