【日記】211218_コーヒーハウスニシヤのこと
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家事を済ませたあと、渋谷のコーヒーハウスニシヤへ。
ちょっと前、閉店の告知がバズった店だ。
ここ数年は行列していないタイミングがないほどの有名店だが、開店当初はもっとこう、コーヒースタンドとして一般的なレベルの客入りで、当時たまたま近くで仕事をしていた自分はしばしば利用していた。
初めて店を見かけたとき、ちょうど自分はイタリアンバルに関する(偏った)知識を得たところで、ニシヤさんのいかにも「それらしい」たたずまいに感激しながら入店し、ネットで見た飲み方を試したくてエスプレッソを頼んだ。砂糖をたっぷりと沈めてから混ぜずに飲み、底に残った砂糖をスプーンで食べるのだ。
「噂に聞いていたやつ」を体験できた事実に大いに感激し、翌週もまた店に行くと、当時西谷さんのほかにもうひとりいた店員さんが話しかけてきた。なんでも、先日自分が店に来てからエスプレッソを飲んで出ていくまでがあまりにも(曰く、風のように)素早く、それが印象に残っていたとのことだった。自分としては、スタンディングの店なのであまり長居するべきではないのかな、という思いからの行動だったのだが、少々度を超えていたらしい。
その店員さんというのが、当時30を超えていても驚かないような柔和な雰囲気の美男子で、さらに驚くほど人懐っこかった。当時自分は経済的に困窮しており、実際のところコーヒーなど飲んでいる場合ではなかったのだが、店の前を通るときに彼と目があって、その顔がぱあっと明るくなるのを見ると店に入らないわけにはいかなかった。更には住んでいる場所もかなり近所で、深夜のドン・キホーテで鉢合わせたこともあった。
店主の西谷さんも彼(そういえば、彼の名前を聞きそびれていた)とは違うジャンルのいい男で、いかにも「イタリアンバルのマスター」然とした気のいいおっちゃんといった雰囲気。当時お店について調べて、氏が実績のある方だと知った時には驚いたが、同時に「そりゃそうか」という気持ちになったのも覚えている。
定期的に(といっても月に二度程度が限界だったが)通うようになってからは、より彼の手がかかったものを飲もうとエスプレッソではなくカプチーノを頼むようになった。夏場には「きっとお気に召すはずです」とエスプレッソトニックをおすすめされた。これが苦くて爽やかでたいそう旨いのだ。
いま「ニシヤといえば」という評価になっているエスプレッソバナナシェイクやプリンも試したが、とくにプリンは仕事終わりの時間だと品切れなことも多かった。
その後、芸能人に紹介されたとかでみるみる人気になっていくタイミングと自分の転職が重なってしまい、当時のような定期的な訪問は叶わなくなった。たまに近くを通っても、あんなに席数があって滞在時間も短いはずの店では考えられないほどの行列ができていて、訪問を断念することもしばしばあった。
そんな中で閉店の報を聞いたのが先月末。インスタグラムに書かれたメッセージを読むに妙な納得感があった。また同時に、これはたいそうおこがましいことではあるのだが、当時の自分は氏の言う「スタイルを持って仕事をし、それに共鳴してくれるお客さま」であれたかもしれないな、と少しだけ考えた。
ともあれ閉店前に、もう一度くらいはあのカプチーノを味わっておきたい。新しくお店をオープンする予定だとのことで、場所もそう離れたところではないのだが、それでも店の雰囲気や氏の佇まいなど、記憶をアップデートしておくべきだろう。
そう思って平日の昼間など、仕事場から速歩きで向かってみたことも何度かあったのだが、やはりほとんど常に行列しており、閉店の背景を考えればその行列を伸ばすことはためらわれた。
そしていよいよ閉店が間近に迫った今日、土日とはいえタイミングを選べばあるいは、と、おやつ時を過ぎた位の時間を狙って向かうことにしたのだ。
まずはちょっと遠巻きに様子を伺う(これは「人懐っこい彼」がいたころに体得したことなのだが、店の向かって右手側から近づいていくと、お客さんを含めた中の人たちにいぶかしがられずに店の内外の様子を確認できる)。やはりまだまだ行列しているが、すこし遠くのコンビニに行ってから帰ってくると、行列がなくなってこそいないものの、自分を含めても店の敷地内に収まるレベルになっていた。
最後だしこのくらいは許されるかな、と列に並ぼうとしたタイミングで、ちょうどテラス席の片付けをしていた西谷さんと目が合い、「(並ぶのは)ここでいいですか」「(お待たせして)すみません」と最低限の会話をこなす。一番通っていたころから随分時間が経っているし、おそらく彼は自分のことを覚えていないだろう。よしんば記憶のどこかに残っていたとしても、自分は当時と比べるといくらかまともな服を着ているし、社会の荒波に揉まれた結果太ってもいるし、なんなら昨今の情勢でマスクまでしている。思い出していただくための情報があまりにも足りない。
二分ほど待っていると、見知らぬ、しかしいかにもニシヤらしい佇まいの店員さんに店内に通された。カプチーノは記憶にある通りのハート模様で、写真を撮る前に思わず口を付けてしまった。砂糖を入れなくても穏やかに甘く、液面が下がるにつれてハートがどんどん小さくなっていく。
後ろではニシヤさんが常連と思しき親子と話しながら、店員さんに指示を通している。それらをほぼ同時並行で行っているのに、仕事の声は常にクールで、接客の声は常に柔らかい。昔と同じ雰囲気だ、と思う一方で、「これ」を更に高いレベルで行うために店を畳む、という決断の凄みを改めて感じた。
かねてからそうしていたように、カップとお冷のグラスを空にしてすぐ会計を済ませにいく。カウンターで西谷さんから「だいぶ久しぶりですね」と声をかけられたとき、コーヒーハウスニシヤがここまで人気の店になった理由を全身で理解した。新しい店に不安があるとすれば、今のように流行りすぎてしまうことくらいだろう。