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2021年「ディスクゴルフ」の世界選手権で何が起こったか
これは、「ディスクゴルフ」と呼ばれるスポーツのワンシーンである。
長髪の男がなにやら神妙な顔でディスクを投げ、70mほど先にある不思議な形のカゴに命中させると、なぜか大量にいる観客が、何事かというほどの勢いで沸き立つ。
「確かに上手なフリスビー投げだが、そこまで騒ぐほどか?」と感じられた方も多いかもしれない。
今回は、筆者を含むディスクゴルフファンがこのシーンにいかに熱狂したか、そしてなぜこの1投が「ディスクゴルフ史上最高のスロー」と呼ばれつつあるかについて、このスポーツを知らない方にもなるべくわかりやすくご説明したい。
ディスクゴルフについて
まずは「ディスクゴルフ」というスポーツについて説明する必要があるだろう。
その名の通り、フライングディスク("フリスビー"はWham-O社の商標であるためこのように呼ばれる)を用いたゴルフ様のスポーツで、所定のティーからディスクを投げ、着地点からまた投げ、を繰り返して、なるべく少ない投数で先ほどのバスケットに入れることを目指す。
投げるディスクは、ボールゴルフ[注1]におけるクラブとボールの役割を兼ねており、1投ごとに持ち替えてよいのが特徴である。
[注1]:クラブとボールを用いる「あのゴルフ」のこと。「普通のゴルフ」「本来のゴルフ」といった呼び方を避けるために、ディスクゴルフファンがしばしば用いる。
日本ではほとんど知られていない競技だが、発祥の地アメリカやその周辺ではそれなりの人気があり、近年はトッププロが1000万ドルものスポンサー契約を締結した例もある「伸び盛り」のスポーツだ。
さきほどの映像は、そんなディスクゴルフの世界大会ことPDGA Pro World Championships 2021の一幕、決勝戦最終18番ホールのスローである。
(以後、「ホール、パー、バーディー、ボギー」等ゴルフの基本的な用語の知識を前提に話を進めます)
選手について
動画の主役となった選手の名前はジェームス・コンラッド。
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世界でも五本の指に入るトッププレイヤーで、長い手足(あと髪)をムチのようにしならせるスローと、フォアハンド(詳細後述)をほぼ一切使わない特異なプレイスタイルが特徴の選手だ。
世界大会の決勝だけあり他のメンバーも相当の実力者で、例えば本大会4位・世界ランク7位のケビン・ジョーンズは、パワフルなスローとお尻を大きく突き出したパッティング[注2]スタイルで存在感を放つ名選手である。
[注2]:各ホールの最後、バスケットにディスクを納めるために行うスロー。ボールゴルフにおけるパターと同じ。
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今回スコアでは大きく水を開けられたケルビン・ヘインバーグも世界ランク8位の実力派。
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常に事も無げなアルカイックスマイルをたたえながらハイレベルなプレイを決める姿が、ディスクゴルフファンからの人気を集める注目の若手だ。
さて、このような好メンバーが集まった世界大会の決勝戦だが、もう一人の選手はそんな彼らよりも明確に上位といえるまさにトップ・オブ・トップ。
2013年以来不動の世界ランク1位、ポール・マクベスである。
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PDGA Pro World Championshipsの優勝はこれまで5度におよび、史上最強との呼び声も高い選手。
正確無比かつ事故の少ないスローで難関コースを苦も無く攻略する姿から、口の悪いファンや関係者からはディスクゴルフ・サイコパス[注3]なる異名を取る。
[注3]:氏は非常に親しみやすい人物として知られており、近年は財団を設立してシーンの発展に努めるなど、サイコさのかけらもない活躍を見せています。
2018年末には、当時スポンサー契約を結んでいた業界1位のディスクメーカー「Innova Disc Golf」から業界2位の「Discraft」に電撃移籍、そこで監修したディスクが飛ぶように売れる(そしてよく飛ぶ)など、シーンへの影響力も絶大な、まさにスポーツを代表する選手である。
ショットのシチュエーションについて
さて、問題の場面を再確認するに際し、別の動画でホール全体の流れをチェックしよう。
(以降の画像は、特記なき場合すべて当動画のキャプチャである)
ここまで4ラウンド+17ホール(都合89ホール)を終えてポール・マクベスが-39投、ジェームス・コンラッドが1ストローク差の-38投。
ディスクゴルフはボールゴルフと比べてバーディーが出やすいものだが、それにしても双方驚異的なスコアである。
最終18Hは、ディスクゴルフではロングホールに属するパー4[注4]。
[注4]:4投でバスケットに入れるのが既定投数、という意味。先ほどの「マイナスなんぼ」は各ホールに既定された投数を基準に算出する。ディスクゴルフでは大半のホールがパー3に設定される。
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マクベスの第一投が綺麗に決まった一方、コンラッドのティーショットは木に阻まれ、大きく距離をロスしている。
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足場も悪く、木によってスローラインを限定されたコンラッドが2投目を終えた時点で、残る距離はおよそ247フィートだ。
馴染みの単位に換算すると約75m、これだけでも一般的なディスクゴルフコースにおける1ホール相当の距離があり、ゴルフに例えればだいたい河川敷のミドルホールに相当するだろう[注5]。
[注5]:筆者はボールゴルフ側の知識に乏しいので、話半分に聞いて下さい。
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これを見たマクベスの2投目は、バスケットの真正面、しかしだいぶ距離の離れたところに着地させるレイアップ(刻み)・ショット。
ここは4投でまとめれば勝てる、という冷徹な判断か、あるいはコンラッドにほんのわずかでも勝つチャンスを残すスポーツマン的な演出かは定かでないが、ともあれマクベスのこの選択が、ディスクゴルフ史に残る名ショットを膳立てたことは間違いない。
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そして問題のシーン、コンラッドの3投目、バーディートライである。
改めて確認すると、バスケットまでの距離は247ft、これを外せば敗北がほぼ確定するが、もしこの、並のコースにおけるホールインワン[注6]に相当するチャレンジを成功させれば、勝負はマクベスとのプレーオフ(同点決勝)に持ち越される。
[注6]:ディスクゴルフでは「エース」と呼ぶことが多い。さすがにゴルフのそれと比べればいくらか簡単だが、公式大会での記録に限ればプロでもキャリア中に数度、というレベルだろう。
コンラッドからバスケットまでは大きく右に曲がったラインとなっているが、実はここに、ジェームスにとって更なる困難があるのだ。
ここで一旦脇道に反れて、ディスクゴルフにおけるフライングディスクの軌道について説明しよう。
ディスクの軌道について
ディスクの飛行には、歳差運動やマグヌス効果など様々な物理現象が関与するが、スローされたディスクは一般に以下のような軌道を描くことが知られている。
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つまり、右利きの選手がバックハンドで投げるなどして時計回りの回転で投げ出されたディスクは、まずその回転の強さに応じて右向きにゆっくり旋回(ターン)し、威力が落ちるにしたがって軌道を左向きに変えながら落下(フェード)する。
軌道を右側に曲げたい場合は、回転を逆にする、つまり、ディスクを利き手側に構えて野球のサイドスローのようにして投げるフォアハンドスローを行うのが一般的だ。
しかし先述の通り、ジェームス・コンラッドはそのフォアハンドスローを一切行わないのである。
いちおうバックハンドスローでも、ディスクを右側に傾けることで浮力を右に働かせ強くターンさせる「アンハイザーショット」と呼ばれる技法があるのだが、高回転時のディスク軌道をコントロールし、ディスクが「フェード」に至る寸前[注7]に着地させる困難さについては、皆さまにも想像いただけることだろう。
[注7]:アンハイザーショットが勢いの残った状態で着地すると、時計回りに強く回転するディスクが右フチから着地することになるため、ディスクが意図しない方向に跳ね転がっていく「カットローラー」と呼ばれる現象が発生してしまう。
もちろん、コンラッドがフォアハンドを使わないということはすなわち、彼がアンハイザーショットの名手だという証左でもある。
しかし今回はただ「ベタピン」を狙えばいいというのではなく、ただ1点のバスケットに命中させる必要があるのだ。
つまりジェームス・コンラッドは、初の世界制覇への道がほんのわずかに見えたこのタイミングで、自身の欠点と真正面から向き合うショットを成功させなければならなかった。
ここでコンラッドが選択したディスクはAxiom Envy。
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常人離れしたアームスピードを誇るトッププロの選択としては妥当だが、一般的にはターンしにくくフェードしやすい、すなわち右に曲げにくいとされるディスクである。
このディスクを制作するMVP Disc Sportsは、2021年からコンラッドとスポンサー契約を結んでいる。
ディスクメーカーとして卓越した技術力を誇りながら、長らくスター級選手の擁立がなかった会社であることも付記しておくべきだろう。
こうした文脈の上で放たれたのが、冒頭で紹介したあのショット。
観客や筆者が味わった興奮のうち、ほんの1割でも伝わっただろうか。
勝負の行方
この後、マクベスはH18を予定通りパーでまとめ、両名プレーオフに進出した。
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(マクベスのH18 3投目。筆者は結果を知った上で動画を見たのだが、このショットを入れてしまうのではないかという気迫があった)
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(プレーオフ第1投直前のシーン。完全にアウェーとなった舞台でヒステリックに膝を揺らす絶対王者の姿は、それだけで衝撃的だ)
最終決戦の舞台となった16番ホールで、コンラッドが左曲がりのバックハンドを選択してパーク(ベタピン)したのに対し、フォアハンドを選択したマクベスが痛恨のOBを喫し、見事ジェームス・コンラッドが世界チャンピオンとなった。
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以上が、2021年6月、とあるマイナースポーツ界に巻き起こった衝撃の一部始終である。
知らない競技の話にここまで付き合って頂けた読者の方に感謝したい。