「優しさ」ってなんなんだろう?
優しさってなんなんだろうって、とある本を読んでからずっと考えています。
辞書で引くと出てくるのは
①「おとなしくて素直なこと」
②「刺激が少ないこと」などなど…
わかるようで、なんかわからん。
これって結局、人畜無害で、人に大きな影響を及ぼさないってこと?そうしたら優しい人って、弱肉強食のこの地球で、もっとも弱者なのかもしれない…?でも私は、人に優しく生きていたい。
どうすれば強さと優しさを両立できるんだろう。
そんなことを考えさせられた1冊がこちらです。
「六畳間のピアノマン」。
梅田の紀伊國屋書店で平積みされていて、表紙に惹かれて手に取った1冊でした。
以下、できるだけネタバレになれないように前提のところを一部、私の言葉でまとめます。(引用ではないです!!)
それを知ったBくんの父親は、「優しい人になれ」と育ててきたことを悔やみます。「辛い時は逃げろ」「優しくなくてもいい」と教育していれば、彼は死ななかったのかと。優しさは、弱さだったのかと。
私はこれを読んでから優しさについて考えまくりました。
私も誰かの役に立てたら嬉しいし、人を傷つけるのは嫌だし、優しい人になりたいって思ってた。学校でも、人には優しくしなさいって教わったし、「優しくあること」の負の側面なんて、ちゃんと考えたことがなかった…ような気がする。
「人に優しく!」って言ってた先生たちが、優しく成長した生徒の人生、責任とってくれるわけじゃないのにね。当たり前だけど!!
優しさとはなにか。弱さか、強さか。どれだけ考えても、私は答えを見つけることはできません。「優しさ」っていう日本語が孕む曖昧さに、甘えて、逃げこんで生きてきたのかもしれないです。
「優しさ」だから、これは良いことなんだって。
だけど、私が自分を犠牲にして誰かに優しくすることで、私を大切に思ってくれている誰かに心配をかけるかもしれないし、度が過ぎたらありがた迷惑にもなる。その時点で、私の行動の燃料は「優しさ」ではないのかもしれない。本当の優しさは、人畜無害、つまり「他者に過度に優しくしないこと」なのかもしれないとすら思えてきました。なにこれ思考実験かな???難しいね。
でも強いて私の中で結論を出すなら、
私が存在する世界と存在しない世界、両方を見比べることができたとして、私が存在してる世界の方が1人でも笑顔になったり、気持ちが楽になったりしていたとしたらそれは、ほんの少し世界を変える「強さ」を内包した優しさなのかなって、そんなことを考えたりもしました。
そんな強さを内包した優しさを燃料に生きられる人間に、わたしはなりたいです。