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出会うべくして出会うことについて-上海蟹-
〈どーでもいい話〉
今日は、「絶対に結婚したい」と「この無駄時間こそ至高」の二つの気持ちが同時進行していた。
知らない土地に来て1時間ほど道に迷って迷子の子ども状態だったので「絶対に地図や方向につよい人と結婚して絶対的な味方になってもらって安心して人生を送りたい」という気持ち。でもなんか途中で訳わからないくらい風の強い橋があって、その橋から見下ろす水面が良すぎて、何回も塗り直したショートケーキの側面のような滑らかなでこぼこがあり、「この私が道に迷うことでしか生まれないダベ時間に出会えるのは私だけ。この時間を愛せるのも私だけ。」という気持ちにもなり…幸せですね、そんなんご自由にどうぞ
〈最近考えていること〉
ほんとに、出会うべくして出会っていて、話すべくして話しているなぁっていう。
…というとすごくペラペラな話に感じるんだけど、あの、その〈出会うべくして出会う〉の〈出会い〉というのは、私にもコントロールできてしまうということに、最近気がついたんですよね。
これについて最初に考えたのは、少し前に高校の教科書にフジファブリックの若者のすべてと、くるりのばらの花が載ることになったというニュースを受けて、私は最高じゃんって思ったんだけども、そのあと雷獣チャンネルを見ていたら、「あの曲って、教科書で出会わん方がええんちゃうかな」って話が出てて、ぐわぁ、そうかそういう視点かぁってなったところから。
私は、若者のすべてには大学1年生の頃いい出会い方をしていて、ばらの花にはまだ出会っていなかったから、さぁばらの花にはいつどんなタイミングで出会おう。と、出会い方をこちらが決められるような、不思議な感覚になったという。
それから少し時間が経ったけれど、最近自分の出会いはもちろんのこと、自分の推薦や発言は、相手の出会いにも加担していることを感じ始めた。面白い動画に出会う。ハマる。あぁあの人の感想を聞きたい。おすすめする。これがその人にとってのその動画との出会いになってしまう。
出会い方が悪ければ、どんなに良くても刺さらない。出会い方がよければ、たぶんかなり刺さる。
ここの見極めが難しくてね。勇気が出なくておすすめできなくなっちゃってますね。
昨日のYouTubeLIVEで、コメント欄で誰かが言った「くるりの、琥珀色の街、上海蟹の朝もおすすめです」っていう言葉から、なんて取り合わせだ。最高すぎると思ったやいなや、ずーさんが「上海蟹食べたい♪あなたと食べたいよ♪」と紹介してくれてそれがまた良すぎて、今は永遠に聴いているところなのだが、これは良い出会い方だった。出会い方なんて選べないしやり直せないしどうしようもないことばかりだけど、こういう良き出会いに身体をくねらせながらやっていくことで生きる意味を感じ直し続けたいな。
2023.7.8