小説 フィルタリング

※文学賞に出しましたがダメでした。精進します。

題名 フィルタリング

 二〇〇二年五月十一日付こども新聞、『高校生に表しょう状 帰り道に救助』、記事内に誤字を一つ見つけた。母に、「新聞社に電話したら、何か貰えるかな」と聞いたが、返事は返ってこなかった。
「どうして家では話ができるのに、学校ではできないのかしら」呆れ顔をした母の言葉は、独り言のようで、わたしは口をつぐんだが、喉元まで何かが迫ってくるのを感じた。


「先生、飛鳥ちゃんが気持ち悪そうにしています」

クラス中の目線がわたしに集まった。「また?」という声が聞こえる。喉の奥が締まり、ウッと嘔吐く。

「大丈夫?」

先生はわたしの席に近寄った。
「保健室に行くので、十二ページを黙読するように」
先生の指示に、同級生は、「やった。自習だ」と盛り上がった。わたしは下を向いたまま、先生の後ろに着いた。
 保健室では、膝を擦りむいた高学年生がいた。養護の先生は、「順番ね」と言い、消毒液をガーゼに染み込ませた。吐き気を感じたのは今週二回目だ。
 先生は、ため息混じりに言った。
「吐きそうなときは、自分で言いなさいよ」
うなづいた。先生はまた何か言ったが、わたしには、保健室の外から聞こえる笛の音の方が頭に響いた。空は青白く、高い。窓から、短距離走をしている隣のクラスの生徒が見えた。

 授業中に嘔吐することが三日続くと、私の机のフックには、ビニール袋がかけられ、「吐きそうなときは、袋を使うように」と指示をされた。折跡がついたビニール袋は、動くたびにグシャグシャと音を立てる。

授業中、教室からの外の景色は、時が止まったようにいつまでも同じに思えた。そのうち、窓からは、じっとりとした風が吹いてきて、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした空に変わった。
 吐き気がなくなるのは、本を読むときだけだった。休み時間は本に没頭した。祖父が亡くなった後、祖父の海外の絵本や翻訳小説のコレクションは、そっくりそのまま、わたしの本棚に仕舞われた。 
 『小公女』、『ああ無情』、『幸福な王子』、『十五日間の休暇』。子供向けに簡単な言葉で書かれた本では物足りなくなり、原書を翻訳しているものを探した。ヴェルヌの『地底旅行』は何度も読み返した。
 十歳になると、吐き癖は無くなった。両親はほっとしたのか、わたしに構い、小言を言うことはなくなった。両親の一番の関心は、私と六つ歳の離れた兄の大学受験だった。
「一浪までは、就職に影響しないのよ」
「そもそも、医学部は、現役で入る人の方が少ないから」
と、わたしには呪文にしか聞こえないことを、兄抜きで重苦しく話し合っていた。兄の夢は医者であり、その夢を叶えるために、たくさん勉強をしなければいけない、ということは理解していた。
 兄は、勉強に行き詰まると、わたしを尖った鉛筆で刺した。「痛い」と逃げても、兄は聞こえていないように、右頬だけを吊り上げて笑っていた。

兄には加害性があった。兄の部屋から、パン!という破裂音とコン!という反響音が同時に聞こえることがあった。兄と兄の友達が、二階の部屋から、電信に止まるスズメを空気銃で狙った音だった。自分の部屋の窓から見る限り、スズメは一匹も弾に当たることはなかった。
 小学校時代を通し、わたしは、話をすることが得意ではなく、友達ができることはなかった。一方、クラスメイトには、変化があった。学年が上がると、周囲のわたしの扱いは変わっていった。小学五年生になると、急にクラスメイトの男子が優しくなった。何故かはっきりわからないが、好意を持たれている気がした。母は、大学のミス・コンテストで入賞したことがある。母似の自分のルックスは、悪くないことがわかってきた。
 幼い頃に憧れたヴェルヌの冒険を忘れ、なんとなく過ごし、テスト勉強や高校受験、大学受験を乗り越え、二◯一四年、わたしは二十歳になった。

 「飛鳥ちゃん、今日は、ママと新しくできたカフェに行きましょう」
母は微笑を浮かべた。美意識の高い母は、ジム通いでスラリとした体型を保っている。
「わたしも行きたいと思ってた」母に合わせて笑みを作ったが、口元が引き攣っている気がした。
 新しいカフェはテラス席に通された。カフェのテーブルと椅子は、テーブルごとに形が違ったが、どれもアンティーク調だった。このような家具を、シャビーシックというのだろうかと、この前読んだ女性雑誌の特集を思い出しながら考えた。混んでるから早めに行こう、と母に提案され、現在十一時半、店内の客はまばらだ。
「決まった?」
母に聞いた。カフェのメニューは、日替わり、カレー、デリの三種類で、日替わりメニューは肉か魚かを選ぶことができる。メニュー表の文字はすべて手書きで、丸文字が可愛らしい印象を与えている。今日は、白身魚のピカタかチキンソテー、どちらもトマトソース付き。
「うーん、肉か魚か迷うわね。魚は昨日食べたじゃない?でも美味しそうなのよね」
母は、真剣な顔でメニューを眺めている。
「デリは、魚も肉も半分ずつみたいだよ。ちょっと高いけど」
「それもいいわね」
母はちょっと悩んだあと、「やっぱりお肉にする」と言った。わたしは魚を頼んだ。料理は一皿の木製プレートに盛られ、スープの入った小さな陶器のカップも同じ皿にのっていた。カップの色は、わたしが青で母親がピンクだった。
 「もう二十歳だから、フィルタリング機能外してもいい?」
食事を終え、皿を片付けてもらったあと、母に聞いた。
 殆どのクラスメイトはスマートフォンを持っているが、わたしはまだ、二つ折りの携帯を使っている。私の携帯電話やパソコンは、母が「有害」だと思う、ウェブサイトやアプリへアクセスできないようにされている。同級生が使うSNSは、フィルタリング機能のせいで使うことはできない。
「就職するまでダメよ」
母は微笑んで言ったが、目は鋭かった。テーブルに置かれた母の手は、くすんだピンク色のネイルが映えていた。
「じゃあ、使えるSNS増やしてよ」
「学費や携帯代全部、自分で払うならいいわよ」
「バイト受かってからまた言う」
母と話していると、背筋が曲がっていくことに気が付いた。
「飛鳥ちゃんは、薬学部に受かってよかったわ。文系の学科だと、あなたみたいにコミュニケーションが苦手だと苦労するのよ」
わたしは、中学一年生から学習塾に通い始めた。高校では、大学受験に向けて、文系を選択するつもりだったが、母の強い押しに負け、理系に進んだ。
「理系でも苦労してるよ」
「就職の話よ」
母は誇らしげに言った。母が、わたしにべったりと構うようになったのは、兄が大学進学で家を出た後からだ。
「飛鳥ちゃんが就職したら、ママ、一緒に住もうかしら」
母は、頬杖をついてわたしを見つめた。目の底から、鋭い光が覗いた。
「お父さんは、どうするの?」
「知らない」
母は冷たく答え、ウエイトレスを呼んだ。母の顔はツンと無表情に変わったが、ウエイトレスには微笑みを向けていた。

 家に帰ると、父がリビングで新聞を広げていた。背中を丸めた父は、いつもより小さく見えた。
「お茶をくれ」

わたしに向かって、父が不機嫌そうに言った。わたしは「うん」と返事をしたが、父は顔を上げなかった。母は、父の方を見ずに、カバンから携帯電話や財布を乱暴に取り出した。

台所に立ち、電気ケトルの蓋を開けたが、お湯はなかった。浄水器の蛇口を捻ると、勢いよく水が流れ出した。ぼうっと水が溜まるのを待った。
 「ねえ見て」

母がわたしに、携帯電話を渡した。母の携帯電話のストラップの鈴が小さくチリンと鳴った。兄から母宛のメールで、今度の土日に実家に帰ると書かれている。
「ご飯、何にしようかしら」
母の目が輝いた。わたしに向ける微笑みよりも崩れた笑顔だ。
 わたしは兄の帰省が憂鬱だ。兄が帰ってくると、母の関心は、兄だけとなる。兄がいる間は、わたしも父と同じように、母に「いないもの」として扱われる。
 父にお茶を出してすぐ、自室に行った。授業の復習に取り組もうとしたが、集中できない。消しゴムとシャープペンシルを筆箱に入れ、机に伏した。倦怠感で体が包まれている。
 『二十代にやっておくべきこと』、『二十歳の君に』、自己啓発本が部屋の本棚に並ぶ。自己啓発本は、ここ一年で増えた。本棚に入りきれない本は、収納ケースに入れてクローゼットに仕舞ってある。
 同い年の女優が、朝ドラのヒロインに抜擢された。芸能界という遠い世界の人間なのに、同い年というだけで、ただ一人、自分が取り残されているような焦燥感に駆られる。父親が稼いだお金で大学に行って、父や母の機嫌を取る毎日。アルバイトの面接も上手くいったことがなく、三日前に受けた、家庭教師の面接も手応えがない。面接の最後、「合格の場合、一週間ほどで連絡します」と、渋い顔で言われたのを思い出した。

 兄の帰省の日、母は珍しく台所に立ち、兄の好きな天ぷらを揚げた。かぼちゃ、海老、椎茸、れんこん、シソがワンセット。四皿、家族分。海老天は、兄の皿だけ多い。
「一人暮らしは、天ぷらなんて豪華なものは食べられないよ」
兄は明るく言った。最近の兄は笑うとしっかりと口角が上がり、人好きのする顔となる。それは、兄が身につけてきた処世術なのだろう。

母は、兄がいるときしか料理のやる気が出ないようで、兄と同頻度で天ぷらを食べているなと思った。父は、無言で食べている。
「今の彼女はどんな子なの?」
母は、にっこりとしながら聞いた。兄は、動物を虐待し、それを楽しむような性格の悪さだが、その気性を隠すのが上手いのか人気がある。中学生のとき、面識がない女の人に兄にチョコレートを渡して欲しいと頼まれたこともあった。
「結構可愛いよ。ネットで人気があってさ、SNSフォロワーは一万人だよ」

兄は顔を上げず、抹茶塩を見ながら言った。
「それってすごいことなの?お母さんはわからないわ」
母は、目を大きく見開いた。
「飛鳥に聞いてみなよ」
兄が珍しく、わたしに話を振った。兄の顔を久しぶりに見た気がした。
「SNSにアクセスできないからわからないよ」
「二十歳なのに?」
兄が眉を顰めた。母は何も言わなかったが、わたしは、母にフィルタリング機能を外させるチャンスだと思った。
 父は、早々にご飯を食べ終わると二階に行き、母と兄は、兄の彼女の話で盛り上がった。兄の彼女は、身長が低いけど、小顔で、母が知らない芸能人に似ているらしい。その芸能人について、わたしはモデルであることや、最近、熱愛報道があったことを知っているが、わざわざ話に入りたくないので、テレビに夢中なふりをしていた。

神妙な顔をしたアナウンサーが事件を報道する。今日の話題のニュースは、消費税率の引き上げの延期。十代、二、三十代、四十代、五十代、六十代以上、年代ごとの街角インタビューがあった。

自分の生まれ年にはもう、日本経済バブルは弾けていた。生まれた時から不景気で、好景気がどんなものかを知らない。父と母は、五十代前半、バブル世代に当たる。両親は、いい大学に入りさえすれば、就職ができると考えている。大学入学時は、両親と同じような感覚だったが、だんだんと現実が見えてきた。就職活動は険しく、厳しいものだと。

兄が帰った後、兄の困惑をダシに、母からフィルタリング解除の許可を得た。ホッとしたような、ワクワクするような気持ちがした。何かが始まるような気がした。

 携帯電話を新しく買うと、久しぶりに気持ちが昂った。初めて、二つ折りの携帯電話ではなくスマートフォンを持った。

これまでは右手で携帯電話を持って、右手の親指で操作していたが、スマートフォンは、左手で持って、右手の親指で文字を打つとしっくりときた。携帯電話の販売店からもらった説明書は、読むのが面倒で読まず、実際に、スマートフォンを触りながら機能を覚えることにした。スマートフォンカバーは、淡い水色を選んだ。
「お前、携帯ばっかり触ってるな」
酔っ払った父が帰ってきた。一ヶ月に一度、父は、会社の飲み会で帰りが遅くなる。
「別に、悪いことはしてないよ」
鮮やかなスマートフォンの画面から目を離した。父の鼻は、赤かった。
「俺の金で買ってるのに、何を偉そうに」
父は、食卓にある醤油の瓶をわたしに投げつけ、
「謝れよ!」
と怒鳴った。痛みはなかったが、ビンは跳ね返り、床が茶色に染まっていった。父の手は震えている。また始まったと、思った。怖いとは感じなかった。
 キッチンから廊下につながる扉の小さな穴は、五年前、父が殴って空けた。兄が大学受験に失敗し、浪人した頃から、父は常にイライラとしている。母は、父がわたしに暴力を振るっても見ているだけだ。醤油の飛沫はカーテンにも跳ね返っていた。白いレースカーテンに不揃いな点々が着いた。

 小学生のころ、自分の好きな場所を紹介する授業を受けた。イライラしたとき、悲しいとき、一番行きたくなる場所はどこだろう。     私は、汚れたカーテンを持って、コインランドリーに行った。洗濯機が回る音、洗剤の匂い、備え付けてある安っぽい椅子、私の一番好きな場所だ。
 道端の鉢植えは、ありとあらゆる花が咲き、地面に植っているツツジの葉は青々としている。大型コインランドリーの駐車場には、軽自動車が二台止まっていたが、中には誰もいなかった。洗濯機に三百円を入れると、音を立てて勢いよく水が流れ始めた。洗剤を入れて、蓋を閉める。椅子に座って、外を眺めると、女性二人組がコインランドリーの建物のそばの自販機で、飲み物を買っているのが見えた。二人が帰ると、のぼり旗がパタパタと揺れている音だけが聞こえた。

バックから携帯電話を取り出すと、ちょうど、見知らぬ番号から着信があった。もしや、と思った。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
 家庭教師のアルバイトに合格し、小学5年生の男の子の担当となった。乾燥機を終わらせ、家に帰り、母に報告すると、
「女の子の担当の方があなたにはいいわよ」
と、断るように言われた。流石に断るのは気が引け、次の日、「女の子の担当に変更になったよ」と嘘をついた。

母は何か言いたそうだったが、
「良かったわね」
と、何か母自身に言い聞かせるように言った。レースカーテンのシミは、完全には取れなかったが、薄くなった。

 「お姉さん、お金稼ぎたくないかな」
家庭教師の派遣会社に向かう途中、風俗のスカウトから声を掛けられた。大丈夫ですと言うと、連絡先だけでもと頼まれた。それも断ると、スカウトマンは諦めて、人混みに消えていった。

派遣会社のビルは、築三十年以上は経っていそうで、ひび割れが目立つ外壁に、暗鬱を感じた。
「それでは、オリエンテーションを始めます。まずはお手元の資料をご覧ください」

長机に厚い冊子とビーヨン用紙の契約書があった。隣の席には、二〇代後半ぐらいの、四角い顔の、きっちりとネクタイを締めた男性が座った。
「冊子の表紙をめくってください。家庭教師の基本は生徒の家族との信頼です。」

派遣会社の名刺を首に下げた、二十代後半ぐらいの女の人が説明を始めた。説明を聞くのは、わたし含め四人のようだった。冊子の一ページ目に、家庭教師と家族が笑い合っている絵が描かれている。
「次は格好、挨拶、ニページを見てください」
清潔感のある格好がどのようなものか、女性と男性の絵を使って、図解してあった。爪は短く、アクセサリーは着けるなら小ぶり、化粧も派手すぎないようにと丁寧に説明された。
「一つとして同じ家庭はありませんが、皆さんが気をつけることは、共通です」
家族や家庭という単語が繰り返されるたび、私の頭にはアルバイトのことよりも自分の家族の顔が浮かんだ。
 わたしの家は、外から見れば「いい家族」なのだと思う。金銭的に苦労をせず、兄妹どちちらも大学に通っている。一軒家に住んで、自分の部屋は八畳、大学の学費は、全て両親が出してくれる。だけど、父と母に会話はなく、兄妹仲も悪い。母は、私の行動を制限し、父は、私に暴力を振るう。
 虐待を受け、亡くなってしまった子のニュースをテレビで見ると、母は可哀想ねと漏らす。世の中には虐待されて、ご飯も満足に食べれない子もいるのね、の後には、うちは恵まれてるわと付け加える。
「質問がないようなので、これで終わります」
研修が終わり、エレベーターに乗ろうとすると、親切にボタンを押して、先に行かせてくれる人がいた。いい人だなと思った。同時に、この人は外だけでなく、家でも同じように優しい人なのだろうかと、ふと、考えた。
 少し歩くと、往路で声をかけてきたスカウトマンが、駅前に立っているのが見えた。背が高く、派手で光沢のあるスーツを着ているため、周囲の風景に馴染まず目立つ。若い風俗のスカウトマンや居酒屋のキャッチの男の人は、形容し難い圧があるなと思う。私のように、生きるのが下手な人間には出せないオーラ。気の弱い人間を、理不尽なことにも従わせてしまいそう。安易に近寄ってはいけないと思ってしまう。

「もしも、わたしがこんな人間だったら家族ともっと上手くやれていたのではないか」
 アルバイトは一週間後から始まる。入学式に着たスーツをクリーニングに出した。

 大学の授業を受ける席は最前列か二列目。定期テスト前にそこそこ勉強して好成績が取れていた高校時代とは変わって、予習復習をしなければ授業についていけない。「大学は人生の夏休み」という言葉は、私の通う大学、学部には当てはまらない。
 全学部合同で、キャリアデザインの授業があった。少人数の授業のとき、隣に座ってくれる唯一の友達は、どこに座っているかわからず、一人で二列目に座った。熱を逃すように、ホールの窓はすべて空いている。三〇代ぐらいの若い講師がマイクを握る。
「学部学科問わず、自分の人生設計は早いうちから考えなければいけません。自分の人生の設計図を書いてみましょう」
 チューターの大学院生からワークシートが配られ、周りは一斉に書き始めた。シャープペンシルを小刻みに走らせる音が聞こえる。大学卒業後、就職。私はそこから何も進まなかった。一年後の未来さえもわからない。
「大学には就職カウンセラーがいます。二年生でも相談できますよ」
授業の終わりに大学のキャリアセンターの紹介をされた。今日の授業の意図がわかった。就職の相談は早いうちにと講師はアナウンスした。
 授業の意図に乗り、事務棟を抜けキャリアセンターに向かった。入り口のボードには、インターンシップ、説明会の案内ポスターが貼ってあった。合同説明会のポスターは、真剣な顔をした女性が映っており、隣に墨字で「本気」と書かれている。
 「安岡です。よろしくね。あなた二年生なのに、相談なんて偉いわねえ」
事前に書かされた面談書を見てカウンセラーが言った。その言葉で、誰も授業後にキャリアセンターを尋ねていないことがわかった。

 カウンセラーの安岡さんはベリーショートの髪型で、厳しそうな人に見えたが、声と表情は柔らかかった。

行ってみたものの、私が今感じている将来の不安は、相談するには漠然としすぎていると思った。何に将来の不安を感じているのか、頭の中で少し紐解いた。
「あの……。話すのが苦手で、今から就職までに出来ることあったら教えていただきたいです。」
なんとなくカウンセラーが答えやすそうで、自分が気になっている相談内容を質問できた。
「今しっかり話せてるじゃない」
「自分が話していいとわかる場面では問題がないのですが、実験中など話しかけていいタイミングが微妙な場合、声が出なくなります。小学生のころも学校で声が出せなくなりました。」
転校してから声が出なくなった時期を思い出した。
「それは場面緘黙症かもね」
「場面緘黙症ですか?」
聞き返したが、安岡さんは説明せずに、真っ直ぐとわたしの目を見つめて、話続けた。
「小学生からなら、おそらくご両親も気にされていたと思うから、一回当時の話を聞いてみたらどうかしら?」
「あんまり両親とこういう話をしたことがなくて」
「就職のことは?」
「いいところに就職して欲しいとは言われたことはあるのですが、いつも何となく相談できません」
どちらかと言うと、わたしが母の相談に乗る方が多い気がした。
「まあ、まずは自分がどうしたいかよね。相談できる人はたくさんいるから、また、カウンリングにいらっしゃいね。話す練習は、面接練習でやっていきましょう」
「はい」

携帯電話で場面緘黙症について調べると、私の小学生時代の症状と合致した。

『言語能力はあるのに、学校など、特定の場面で話ができない。』
両親に病院に一回も連れて行ってもらえなかったことを少し恨む気持ちが生まれた。


 授業棟の外の木製のベンチで、場面緘黙症についての記事を読んでいると、
「やっほ!キャリアの授業休んだの?」
と、黒髪をポニーテールにしている女の子、真莉ちゃんに声を掛けられた。真莉ちゃんは、求心的な顔で、離れ目に見せるためか、目尻にだけ、つけまつげをつけている。笑うと頬が盛り上がる。
「ううん、前の方にいたよ」
「気づかなかった」
彼女は、アニメキャラクターのようにわかりやすく表情が変わるけれど、本当にそう思っているかは怪しい。授業前も本気で私のことを探してはないだろう。
 真莉ちゃんは、いつも気まぐれに話しかけてくる。高校時代は、ちょっと変わった人間は避けられる傾向があったのに、大学生になると急に個性を重んじるようになる。ゆえにフレンドリー。浅い友達関係を築いていく。
「バイバーイ」
少し話をしたら、真莉ちゃんは、別の場所にいってしまった。家族には出せない距離感。遠すぎると寂しく、近すぎると鬱陶しい。

 家に帰ると、玄関に兄の靴があった。兄の白色のスニーカーは、玄関に並んだ靴の中で一番大きく、存在感がある。こんなに短いスパンで、兄が帰ってくるのは珍しい。

兄は、テーブルに肘をついて母と話をしていた。
「ただいま」

と小声で言って、自分の部屋に向かおうとすると、母に、

「せっかくお兄ちゃんがいるのに」

とリビングに引き留められた。兄はわたしに気を留めず、母に話し出した。
「俺さ、人の役に立てる職業に就けるの嬉しいよ」
母は誇らしげな顔で、指で髪を耳にかき上げた。
「そうよね。医療系は特に人の役に立つもの。飛鳥ちゃんもそう思うよね」
「どんな職でも、人の役に立つと思う」
母の顔を見ずに、低い声で答えた。
「飛鳥って、何でひねくれてるんだろう」
兄は不機嫌に言った。
「飛鳥ちゃん、もう二十歳なのに子供っぽいところがあるのよね」
母は兄に同調した。だから友達がいないのだ、暗いのだとわたしへのダメ出しに見せかけた攻撃に話は変わった。


 少しずつ、疲労とも諦めとも言える感情がわたしを支配していく。家族といないときも、いつも重荷を背負っている。二十歳を超え、その重荷を殆どの人間が背負ってはいないことを知ると、わたしの歩みは乱れていくようになった。しかし、わたしはこの荷物を何処へも下ろすことはできないのだ。


 母と兄の会話は、別の話題に移っていった。なんとなくリビングにいなくても良い雰囲気を感じ取って、自室に行った。

部屋のベットに寝転がり、天井のシミを見つめる。私が八歳の頃、両親はこの家を建てた。築一三年、少しずつ天井のシミは広がっている。
 スマートフォンを手に持つと、鮮やかなブルーライトが目に刺さった。メールのアイコンを押し、思いつくままに文章を打ち込む。いつのまにかスマートフォンに慣れ、フリック操作で文字を打つスピードは上がった。

文章を読み返し、書いては消しを繰り返し、段々と文章が短くなっていく。苛々としながら文章を作る。

「わたしは、経済的に困窮したことはありません。それでも息苦しいのです。世の中にはわたしより恵まれない人もいることも知っています。それでもわたしは辛いのです。ご飯を抜かれてるわけじゃない。殺されるような虐待をされているわけじゃない。それでも家族といることが苦しい。」
やっとの思いで完成した文章をメールの下書きに保存した。いつのまにか部屋は陽が落ち、真っ暗で、デジタル時計だけが緑色に発光していた。 

今日、大学で読んだ記事の最後に、

『漠然とした悩みを解決するためには、悩みを言語化をしてみよう』とあった。

きっと今より正しく言語化ができた日には、私は家を出るだろうと思った。クローゼットの中のキャリーケースを出してみると、幼い頃に憧れた冒険への思いが蘇った気がした。

1億円欲しいです。